カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
『彼』、再び 前編 Side:LILIMON
ぼんやりとしていた。私ったら、また眠ってしまっていたみたい。
――あーあ。退屈……。
ここは、病院のベッドの上。東京ドームぐらいはある、とても大きな体のデジモン専用の病室の片隅に、ぽつんと私のベッドは置いてある。窓はほとんどないここは、電灯の光だけで照らされている。
――いつまでここにいなくちゃいけないの? 飽きちゃったわよぉ〜。
私の体にちょうどいいぐらい小さなベッドの周囲は、最初の頃、透明な薄い膜で覆われていた。まるで水の中から水面の向こう側を見ているように、そこからの景色は歪んで見えたっけ……。
今ではその透明な膜も無い。それでも部屋全部を見渡すことはなかなか出来ない。
――だって、まだ体が回復しないんだもの……。
妖精型デジモンの私の体は、まだケガが回復していない。
――メタルマメモンさんは便利よね。パーツ交換すればすぐ復活!だもの。私はそうもいかないから……。
もともと戦闘訓練を受けているわけじゃないのに、『受け皿』の内部に飛び込んでしまった。そこで戦うのだって、足を引っ張らなかっただけまだいい。お見舞いに来た親には小言言われるし、散々だ。
寝返りを打ちたくなって、私は顔を横に向けようとした。
「――つうっ」
全身に痛みが走り、歯を食いしばる。
「グルゥゥッ!」
すぐに大きな唸り声が聞こえる。
「だ……」
大丈夫と言いたくてもすぐに言葉が出ない。それぐらい、今のは痛かった!
「だい……じょ……」
「グルゥ! グルゥッ!」
そちらを見ることが出来なくても、シードラモンが心配してくれていることが解る。
――大丈夫だから……。
背の翼はあの戦いで切られ、まだ完全に元には戻っていない。全身に麻酔をかけ続けるわけにはいかないから、ある程度の痛みは我慢しなくちゃいけない。
――シードラモンがいるから、痛がっていられないわ。早く治さなくちゃ…早く……。
無菌状態で過ごさなければならなかった時に比べれば、かなり回復している。とても長い時間をこの病室で過ごした私は、苦労の甲斐もあってようやくベッドの上に起き上がれるようになったけれど、それもまだ自分の力だけでは出来ない。もちろん歩くことも出来ないから、移動は車椅子に頼るしかない。
「大丈夫? 無理しちゃだめよ……」
「うん……」
毎日お見舞いに来てくれたタネモンも今ではロゼモンに進化していて、今日も私のためにナシを剥いてくれた。ふわふわのブラウスの袖を捲ったロゼモンは、にこにこ笑っている。
「何か良いことあったの?」
「んー? リリモンのお見舞いに来るのが嬉しいのよ」
「ほんと? 迷惑じゃない?」
「前よりずっと元気になったリリモンの顔、見たいもの」
「ありがと……」
「どういたしまして。さ、美味しいから、どうぞ」
このナシは買ってきたものじゃなく、メタルマメモンさんの実家の庭に生えている木に生ったものだと言われた。
「痛む? 起きられる?」
「起きる……」
ロゼモンにベッドを起こしてもらう。電動で枕元が起き上がり、そこに寄りかかる格好になる。
「はい。食べられる?」
「ありがと……」
左手は動かせるからナシも食べることが出来る。右手首はまだギブスで固定しているので動かせない。
透明なガラスのお皿の上の、美味しそうなナシを食べる。瑞々しい美味しさが口いっぱいに広がる。期待した以上に、すっごく美味しー!
シードラモンは私のすぐ近くにいる。――というより、私がシードラモンの病室に間借りしているような状態。ケガは回復し、あとはウイルスを除去するだけだけれど、何回も回数を重ねないと完全に除去出来ないらしい。
「グルゥ……。リリ……」
空中をうろうろと浮遊していたシードラモンはぐるりと体を傾け、私の真ん前に来た。大きな顔を近づける。
「グルゥゥゥ……」
首を傾けると背中や肩が痛む私を気遣い、真正面から顔を覗き込む彼に、
「何よぉ!」
と私は口を尖らす。
「アンタもロゼモンが剥いてくれたナシ、食べたいの?」
一欠片をデザート用フォークで刺し、シードラモンに差し出した。
そろそろと口を近づけ、器用にひょいとそれを食べ、
「グルゥゥッ♪」
シードラモンは嬉しそうに鳴く。
「もーうっ! ロゼモン、ロゼモンって、みーんなロゼモンのことばっかり!」
そう言いながらも、私だってロゼモンが大好きだけれど。
「シードラモンは違うわよ。ね?」
ロゼモンはシードラモンに笑いかける。
「だって、私の名前は呼べないでしょう? それなのに『リリ』って言えるでしょ? もちろんマコトくんのことも名前呼べたけれど、リリモンは特別なのよね?」
「そうかしら?」
私はじっとりとシードラモンを見た。
「そうよ、きっと! リリモンが食べさせてくれるから喜んでいるんじゃない? ねえ? 『あーん。パクッ』って、ね?」
ロゼモンが訊ねると、シードラモンは
「リリ……」
と私を見つめる。
「ええーっ! そう言われてみれば、これって……」
うん、まさにロゼモンの指摘どおり、『あーん。パクッ』よね?
「バ……バッカみたいっ」
私は恥ずかしくなって頬を膨らませた。
ロゼモンはくすくすと笑う。
「シードラモンって、人間の姿の時はどんな姿なのかしら?」
「うん、そうね……」
もうじき、メタルマメモンさんが来てくれる。そうしたら、シードラモンは最後のウイルス除去を受けることになっている。十数回繰り返されていたそれも、これでようやく終わる。
「長かったよね。シードラモンはずっと我慢して……偉いね……」
ウイルスが全て除去されれば、通常の状態に戻るわけだからもちろん人間の姿にもなれるようになる。きっと感動しちゃうんだろうなって思うと、すっごくワクワクする――!
「私、感極まって泣いちゃうかも……」
「えー? リリモンったらぁ!」
ロゼモンに笑われた。
「ねえ、ロゼモンの時はどうだった? メタルマメモンさんが人間の姿になった時って……」
訊ねたら、とたんにロゼモンは顔を真っ赤にした。
「ど……どうって……べ、別に……」
「やっぱり感動した? っていうか? ぎゅーって抱きしめてもらったりキスしたり? あ、でもその時ってタネモンだったのよね? ふふ〜どうだったのぉ?」
「き、き…キスなんかしないわよっ!」
ロゼモンは顔を真っ赤にする。
「あやしー! ……ねえ、シードラモンは?」
私はシードラモンに問いかける。
「グルゥ?」
「人間の姿になったら、私にキスぐらいしてくれる?」
そう言うと、ロゼモンは
「リリモンってば!」
と慌てている。
「え? だって、好きだったらキスってしたくなるじゃない?」
そうからかうように言っても、シードラモンは何のことだか解らないみたいで、首を傾げている。
「ま……アンタには無理ね」
シードラモンは記憶を無くしている。こんなに大きな姿で、あんなに強い力で……でも、今の彼は白紙に近い状態。
「ウイルスを除去したって、奇跡のように記憶が戻るとは思えないもんね……」
「リリモン……」
ロゼモンが辛そうな顔をする。
「ロゼモンってば、そんな顔しなくてもいいんじゃない? だってここで記憶戻るなら、それじゃ少女マンガみたいだもの。仕方ないことって世の中にたくさんあるもの。それに記憶が戻らなくてもまた覚えてもらえたからいいわ。リリスモンさんに言われて、気持ちが楽になったもの……」
ロゼモンにはそう言った。そして私は、シードラモンの大きな瞳を見つめる。
「でも、記憶が元に戻って……せめてメタルマメモンさんのことを思い出せたらいいのにね。だって、友達なんでしょう? 全力で助けようとした大切な友達なんでしょう?」
シードラモンに問いかけた。彼は黙って私の言葉を聞いている。けれど、何を言われているのかは解ってくれていないかも……。
「それで……私のこと、ちょっとだけ思い出してくれたらもっといいけれど。マコトくんや、皆のことも……」
やがて、
「お待たせして申し訳ありません」
と、メタルマメモンさんが来た。珍しく、デジモンの姿だった。
「よぉ……」
ベルゼブモンも一緒だった。ベルゼブモンもデジモンの姿。
二人とも、シードラモンのウイルス除去の立会いの任を引き受けてくれたという。他に何人か、私の知らないデジモンも来るという。訓練されたデジモン達が何人も立ち会って見守り、場合によっては――暴れ出したりしたら抑える……と。
――そう聞いて、心配するなっていうのは無理!
本気で、すごく心配だけれど、
「平気、平気〜! 大丈夫よ、シードラモン」
車椅子の上に移された私は彼に明るく話しかける。
シードラモンがどこかに移されるわけじゃなく、私が車椅子に乗って一時的に他の部屋に移される。シードラモンを移動させるよりも手間がかからないから。
万が一のことを考えて、重傷の私は一緒にいることを避けるよう勧められていた。仕方ないなと思う。
「グルゥ!?」
シードラモンは、私がどこかに連れていかれると気付いて、ちょっと怒っている。
「すぐにまた会えるわ。大丈夫よ」
「グルルゥ?」
「嘘じゃないったら。もう! じゃ、頑張ってね」
私は動く左手を振った。
シードラモンはまだ低く唸り声を上げる。
「本当に大丈夫よ。また、必ず会えるから」
そう言うと、彼はようやく大人しくなった。
私はロゼモンに車椅子を押してもらった。一、二時間だけ、散歩する許可を得ていたから。
「庭に行きましょうか? それとも、他がいい?」
「どこでもいいわ。どこに行っても気晴らしになるもの」
私の車椅子をゆったりとロゼモンは押してくれる。擦れ違う顔見知りの医師や看護士さん達に挨拶しながら、私は病室の外の世界を楽しむ。
「やっぱりね。私に閉じこもっていろっていうのが無理だって、つくづく思うわ」
「そうね」
ロゼモンは楽しそうに頷いてくれる。いくつかある中庭のうち、花壇の綺麗な場所に連れて行ってくれた。ベンチに向き合うように車椅子を停めてもらう。
「ありがと」
「どういたしまして。外の感想は?」
「とても空気が美味しいでーす」
「リリモンったら。まるで高原にでも来たみたいね」
「デジタルワールドはリアルワールドより空気が美味しいもの。高原並みでしょ?」
「そんなにデジタルワールドが好きになっちゃったの?」
ロゼモンはベンチに座り、私に微笑む。
「今日はとても良い天気ね。良かったわ。リアルワールドは台風シーズンだから雨ばっかりなのよ」
「そうなの? そういえばロゼモン、今日は大学の方はいいの?」
毎日お見舞いに来てくれるから、すごく申し訳ない……。
「大丈夫よ」
授業も単位も、どうにかなりそうだという。
「いいなぁ、ロゼモンは……」
「ん?」
「だって、メタルマメモンさんといつも一緒にいられるでしょう?」
「うん、そうね」
「『そうね』って! あ〜あ。夏前のロゼモンと違って余裕だぁ〜」
ロゼモンは恥ずかしそうに笑う。
「ねえ、結納とかってするのぉ?」
気になっていたので訊くと、ロゼモンは大慌てで首を横に振った。
「やだぁ! まだまだっ! そんなの早いわよ」
「でも、親公認でしょ? 叔父さん達、メタルマメモンさんのことすっごく頼りにしているものね」
「うん……とても信じられないわ」
「え? そう?」
「だって、会うのも勇気がいるような親子関係が、彼が加わったとたんにホームドラマみたいに上手くいくんだもの」
「そうなんだ?」
「そうなのよ。でも……彼のおじいさんがまだ反対しているみたい……」
「そう?」
「彼の実家に行くとね、時々、『ちょっとここで待っていて下さいね?』って言って席を外すのよね。おじいさんを根気良く説得しているみたい。彼ってほんと、大人なのよね……」
「私には真似出来ないわ」、とロゼモンは深く溜息をつく。
「そうね、メタルマメモンさんって、アイドルっぽい外見のわりには中身は若年寄っていうか……」
「若年寄って、ちょっとぉ! ひどーい!」
「だって、好物が煮物とかでしょう? 趣味は時代劇鑑賞だし……」
言っていると、ロゼモンをからかっているつもりだったのに、何だか悔しくなってきた。
「くやしー!」
気分のままにそう叫ぶと、ロゼモンはびっくりしてベンチから腰を浮かした。
「ええっ?」
「悔しいのっ! ――話題変えよう!」
「ええ、了解」
ロゼモンは苦笑して頷く。ベンチに座り直し、
「リリモンの話したいこと、たくさん話しましょう」
と私を促す。
「うーん、と。そうそう、ねえ、ロゼモン! シードラモンって、趣味は何だと思う? すっごく気になるんだけれど、メタルマメモンさんってば『本人から聞いたほうがいいですよ』って言うばかりで教えてくれないんだもの」
ロゼモンは微笑む。
「もうじき、それも解るかもしれないじゃない?」
「そうね!」
と私はワクワクする。シードラモンのこと考えている時って感情の起伏激しくなるけれど、とても楽しい。
「シードラモンって、人間の姿になったら背は高いと思う? 低いと思う?」
「そうね……あれだけ大きなデジモンだもの、どうかしら?」
「ワクワクしちゃう! ――いっつぅ!」
はしゃいで言うと、背中が痛んだ。
「やだ……大丈夫!?」
「へいき……」
「無理しちゃだめよ?」
「うん……」
ロゼモンは心配して私を見つめる。
「シードラモンさんに、これからは車椅子押してもらえるものね」
「え……どうかしら? だって……彼は関西の大学に通っているんだもの。大学の授業もあるんだし……」
「しばらくは検査もあるだろうから、時々でも会えるじゃない?」
「うん……」
――?
ふと、私は顔を上げた。
「今、雨降ってきた?」
「雨?」
ロゼモンは首を傾げて手のひらをかざす。
「そう? 何も……え?」
ロゼモンは振り向く。私もそちらを見た。
いつの間にか、人間の姿のデジモンがそこにいた。
背が高い。癖のある髪。優しい目。
――えっ……。
私は息を飲み込む。そのまま、呼吸をするのも忘れそうなぐらい、彼を見つめた。
「どうして……」
私は呆然とした。言葉を呟いたことにも、呟いてから気付くぐらい。
――ワタシハ、彼ヲ、知ッテイル。
自分の感覚が知らせる。思い出して、と。彼を思い出して、と――!
――間違い無いわ。今は眼鏡を掛けていないけれど、外している時の顔だって私、知っているじゃない!
ロゼモンが
「リリモン?」
と私に問いかける。
「どういうこと……!?」
私は無我夢中になって訊ねる。
「ねえ、どうして……彼がここにいるの?」
体をほとんど動かすことが出来ないのに、立ち上がろうとした。
「リリモン!?」
体に激痛が走る。それでも私はかまわなかった。
――どうして……。
動く左手を懸命に伸ばした。
――どうして? 私の目の前に、今、いるの――――?
リリモン、とロゼモンが呼んでいた。その声が遠ざかるような気がした。
真っ暗になった。気を失ったから。そして……気が動転していたから……。
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