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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
続 及川さんち。 Side:Y.Oikawa
 コンクリートで造られた門の近くに立ち、俺はその古い建物を見上げていた。青空を流れていく雲を背景に、木造のそれは堂々とそびえ立っている。
 白いペンキの剥げが目立つ壁。古びた薄いガラス窓。二階建てで、なかなかの年代物だ。
「震災の後に建てられて、空襲で焼け残ったんだ」
「奇跡だな」
「そう、奇跡さ! いい根性しているよと思って、リアルワールドに来た時に格安だったから買ったのさ」
 ババモンがカラカラと景気良く笑う。俺が見上げているアパートの大家だ。
「トイレと風呂は管理人室の横にあるのを皆で使う。隣に銭湯もあるから不自由はしないだろうよ」
「そうか」
 ピピモンは、ここで暮らしていたらしい。
 住み込みでという条件でアルケニモンが勝手にバイトに雇ってしまったから、こうして荷物を運ぶ手伝いに来てやったというわけだ。わざわざ俺達が手伝うことはないと思うたびに、
 ――荷物の数が少ないって言っていたからな……。
 と言い訳のように心の中で呟く。
「悪いね。こんなところで待たせちゃって」
 ババモンは俺を見上げる。背が低いババモンを俺は見下ろす。
「別に。女子寮みたいなものなら、なおさら仕方ないだろう」
 ここは男子禁制。つまり、男なら人間でもデジモンでもお断りだという。
 ババモンはその名のとおり老婆の姿だが究極体デジモン。力は弱いらしいがそれでもアルケニモンと同程度の戦闘力はあるらしい。わざわざここで覗き行為をしようとするデジモンも少なそうだ。
 ババモンは面白そうに笑う。
「小僧っ子から電話がきた時は何事かと思ったが、アンタはわりとまともな人間らしいね」
 ちなみに『小僧っ子』とは、あのウォーグレイモンのことだ。古くからの知り合いらしい。
 俺はわざと面白くなさそうな顔をした。
「まともじゃない商売屋だと知っているのにそう言うのか?」
「アタシの目ぇは、節穴じゃあないよ?」
 ババモンは、わざとねめつけるように俺の顔を見上げる。長い前髪で目は隠れているが笑っているようだ。
「アンタのことは信用しよう。――あの子をよろしくねぇ」
 俺はますます面白くなさそうな顔をしようと思ったが、それは失敗した。突然、二階の窓からスポーツバッグが投げられたからだ。
「ぅわわっ!」
 頭上目がけて落ちてきたそれを避けるのも間に合わず、俺は慌てて受け止めた。
「こらっ! 誰だ!」
 俺が怒鳴るのとほぼ同時にアルケニモンが顔を出した。
「すみませーん! 畳で滑っちゃって……」
 滑った拍子に抱えていたスポーツバッグを投げたらしい。アルケニモンはたまにとんでもないドジをする。
「気をつけろっ!」
「はいっ」
 アルケニモンは部屋の中に消えたと思うと、すぐにアパートの外に出て来た。手には紙袋が一つだけだ。
「おい。荷物は?」
 俺が顔をしかめて訊ねると、アルケニモンが俺の持つスポーツバッグを指差した。
「それとこれだけです」
 それは俺の持つスポーツバッグを指している。これはアルケニモンの持つ紙袋のことだ。
「この二つだけか?」
 俺は首を傾げた。
「服はスポーツバッグに全部入りました。冬用のスクールコートはピピモンが持って来るので」
「他は?」
「ありません」
「……」
 俺は二階の窓を見上げた。荷物が少ないと確かに言っていた。けれどこれは、あまりにも少ないじゃないか? そういえば、学校の制服以外を着ているところは見たことが無いし、今日だってその制服姿だった。
 今さらながらピピモンのことが不憫に思えてきたが、
「それで? あいつは?」
 俺は悟られないように横柄に言った。
 アルケニモンは頷くと、俺が見上げている窓に同じように視線を向けた。
「『もうちょっとだけ』、って……」
 ――あいつ、一人で感傷に浸っているのか?
「いつまで待たせるつもりだ。連れてこいっ」
 わずかに心配になってますます横柄にそう言うと、ババモンが俺を見上げた。
「アンタが呼んでくるかい?」
 と。
「俺が?」
「ああ。そうさ、そうさ」
「男は入るなっていうのに?」
「許可証書くから」
「?」
 俺は首を傾げた。



 二階の階段を上がる。古びた階段はぎしぎしと鳴る。履いてきた革靴から履き替えた緑色のビニールスリッパはパッタ、パッタと情けない音を立てる。
 ――許可証も何も、他には誰もいないじゃないか!
 八月の終わり。学生だったら残り少ない夏休みを満喫するために外に出ていて当然だろう。
「暑いっ」
 階段を上りながら俺はネクタイを緩めた。冷房設備のないここは、蒸し風呂のような暑さだ。
 ふと、冷え冷えした空気が流れる。どこかの部屋に冷房があるのか?と顔を上げたら、冷気の発生源と、ばっちり目が合った。
 ――うわっ!
「イヤーッ!」
 乙女の悲鳴というよりもオカマの悲鳴だ。とあるドアから氷雪型デジモンのヒョーガモンが顔を覗かせていた。デジモンの姿で、だ。元々が恐ろしい鬼の形相のそいつは、俺を見てまるで犯罪者とばったり出くわしたような怯え方をしている。
 ――あーのーなー!
 俺は思い切り嫌な顔をして、くるりを背を向けた。三秒ほど待ってからそちらを見ると、ヒョーガモンが顔を真っ赤にして口を両手で押さえている。
 ――好きなだけ笑ってろっ。つか、こっちの方が悲鳴を上げそうになったぞ!
 俺は心の中でそう吐き捨てると、ピピモンの部屋に向かう。204号室だとババモンは言っていた。
 ――ウォーグレイモンのやつ! 何が『一人暮らしは心配』だ! ここまで環境の整っている一人暮らしのどこが心配だっ!
 むしろ俺の住むアパートで暮らす方が心配じゃないのか?と思い、俺は即座に全力で否定した。
 ――あんなガキを意識してどーする! 俺はロリコンではないっ!
 少しいらいらしながらドアをノックすると、
「はーい」
 とピピモンの声が聞こえた。
「……」
 俺はドキリとしてドアを開けるのをためらった。なぜか、このドアを開けていいものか迷う。ここに来て何を迷うのかと戸惑っていると、
「どうぞー」
 と、ピピモンの声。
 俺は思い切ってドアを開けた。開けながら、何を思い切る必要があるのかと心の中で首を傾げた。
「おいっ」
「及川さん?」
 部屋の中は暗かった。一つだけの窓から日の光が入っていて、そこにピピモンがいた。窓の傍に正座して外を眺めていたらしい。傍らにはアルケニモンが言っていた、スクールコートが入っているらしい紙袋が置いてある。
「遅いぞ」
 そう言うと、
「ごめんなさい……」
 ピピモンが慌てて立ち上がる。
 俺はスリッパを脱いで畳敷きの部屋に上がりこんだ。
 部屋の中には備え付けの机とベッドがある。木造の年代物で、部屋と一体になっている。こういう造りも今では珍しい。
 ベッドは畳だ。全面が畳敷きではなく、真ん中の一畳分が畳だ。下に衣装入れ用の引き出しがある。
 窓はこれまた、とても年代物だ。木製の枠に薄いガラス。開けられたそこからは時折、気持ちの良い風が入ってくる。
「ふーん……」
 俺は窓の傍にあぐらをかいて座る。窓から眺められるのは風呂屋の屋根と煙突。酒屋の看板。寿司屋の店先。遠くには新宿のビル群。高台にあるので見晴らしは良い。
「あの……」
 ピピモンは俺が座ったので戸惑っている。自分は立ったのに、と落ち着かない様子だ。
「いい眺めだ。見晴らしは良いな」
 そう言うと、ピピモンは嬉しそうに
「はい! 宝物です!」
 と言った。いそいそと俺の隣に再び正座して窓の外を眺める。
「……宝物?」
 そう言われるとは思わなかった。
「部屋に帰ってくると、ここから外を眺めて一息つくんです」
 まるで仕事から帰ったサラリーマンのような言い方だと、内心苦笑した。
「ビールでも飲みそうだな」
 そう、からかうように言った。
「飲みませんよ! 未成年ですもんっ」
「あーそうだな」
 ピピモンは力強く、
「フルーツ牛乳を飲むんです!」
 と言った!
 ――はあぁ?
 ぶはっと思わず笑い出すと、ピピモンは顔を真っ赤にする。
「だ、だって……牛乳飲まないと背が伸びないって言われても、フルーツ牛乳じゃないと飲めないんです……」
「背ぇ? コーヒー牛乳はっ?」
「コーヒー味はちょっと……ええっとイチゴ牛乳なら好き……」
 腹がよじれる。苦しい、助けてくれ。
「何でそんなに笑うんですっ!」
 ピピモンは情けない顔をした。余計におかしい。
「なぜって、それは……」
 まだ痛い腹筋を抱えるように撫で、ピピモンを眺める。ふわふわした緑色の髪は日の光が当たると黄緑色に見える。
 人間の姿ではどう見ても身長140センチも無いぐらいのピピモン。正座で座るのも『足を崩すと余計に小さく見えるから』と言い出すんじゃないか?と思えてくる。
 だから――
「……」
「及川さん?」
「……いや、何でもない」
 ふと、自分らしくない言葉を言いそうになったので、俺は咳払いしてごまかした。
「……行くぞ」
 俺が立ち上がると、ピピモンも釣られるように立ち上がった。
「そういえば及川さん」
「何だ?」
「ここは男の人、入ってきちゃだめなんですよ?」
 ピピモンが思い出したように慌て始める。
「許可はもらった」
「え?」
「これを見ろ」
 俺はくるりと背を向けた。ワイシャツの背面に布ガムテープで貼ってある、『入場許可』という達筆な筆文字を見せる。
 今度はピピモンが笑う番だった。俺が思わず言いそうになった、『かわいい』笑い声を上げながら。
 それを聞きながら、
「閉めるぞ」
 俺は窓を閉める。分厚く古いカーテンを引くと、当然景色は見えなくなる。
 次の住人がこのカーテンを開けた時、ここから見える景色をピピモンのように『宝物』だと思うのだろうか? それとも……。
 スクールコートの入った紙袋を持ってやると、部屋を出てビニールスリッパを履く。ついて来るピピモンはまだくすくすと笑っている。
「どうせウォーグレイモンもこういうの貼ってここに来たんだろう?」
 そう訊ねると
「いいえ。ウォーグレイモンさんは門の前までです」
 ――そうなのか?
 ドアを閉めようとしたら、
「待って下さい」
 とピピモンが俺の手を止めた。そして部屋の中に向かって深々と頭を下げた。
「お世話になりました」
 陽光をカーテンで遮られた部屋は、静かにピピモンを見送っていた。
 ちょっと長めに頭を下げていたが、ピピモンはやがて頭を上げた。すっきりとした顔をして俺に笑いかける。
「お待たせしました」
 俺は背中の『入場許可』を見せないためにピピモンを先に歩かせた。
 途中、さっき見かけたヒョーガモンが小走りに駆け寄って来た。ありえないことに内股の乙女小走りで! 気色悪さにわずかに鳥肌が立ったが、ヒョーガモンは俺にはちょっと会釈をしただけで、
「ピピモンちゃんっ」
 と、ピピモンの両手をそっとすくい上げるように取るとそのごつい手で包み込む。
「寂しくなるわっ。アタクシ、今、とてもとても……悲しみで胸が押し潰されそう!」
 と、どうやっても潰れないであろう胸板のそいつは、大粒の涙をぽろぽろと流す。流す涙は片端から氷の塊になって板張りの床にコンコンッと転がっていく。
 ――鬼の目にも涙か?
 ピピモンは、というと。ヒョーガモンとはとても仲良かったらしく、悲しそうな顔をしている。
「ヒョーガモンさん……。私もとても寂しいです。でも、また遊びに来ますね」
「絶対よ!」
「ええ、絶対です! ヒョーガモンさんが作ってくれたエプロン、大切に使っています。あとペンケースと……」
 どうやら洋裁が得意らしく、ヒョーガモンが作ってくれたという物の名前をピピモンが言うたびに、床に転がる氷の塊は数を増した。
「また新作作ったらあげるわ!」
「はい! 楽しみにしています。あの……私ももっとお料理上手になったら、またお裾分け持ってきますね」
「楽しみよ! すっごくアタクシ、楽しみよっ!」
「はい! 頑張ります!」
 今生の別れのようなその1シーンが永遠に続きそうなので、とりあえず俺は当たり障りが無いように切り上げさせた。
 ヒョーガモンが部屋に戻っていくのを見届けると、ピピモンは再び歩き出した。
 階下へと続く階段を数段下りて、ピピモンは歩みを止めて振り返る。
「あの……私、とても嬉しいです」
「何が?」
「窓から見える景色のこと」
「ん?」
 急にその話を振られたので、俺は一瞬、考え込んだ。
「ああ……あれがどうかしたか?」
「いい眺めって誉めてもらえて……とても嬉しいんです」
「……そうか」
「はい」
「……」
 高校に入学してからの約一年半、ここでピピモンは過ごしていた。
「これだけ居心地が良さそうなのに、うちに来るのか?」
 ぽろっと口から出た言葉に俺は焦る。
 ――何を言っているんだ。俺はっ!
「はい」
 俺の心拍数が上がっていることに気付かないピピモンは、素直な顔をして頷く。
「言っておくが、うちは狭いぞ」
「はい。ブラックウォーグレイモンさんが言っていました」
 そう言われ、なんとなくムッとした。
「あいつが?」
「はい。いろいろ教えてもらいました」
 と、ピピモンは言う。
 さらに面白くないなと感じつつ、ピピモンを急かせながら階段を途中まで下りたところで、バイクの音が聞こえた。
「ブラックウォーグレイモンさんだ!」
 ピピモンは歓声を上げて階段を急いで下りる。
 俺はピピモンを追い、玄関で革靴に履き替えて、脱いだビニールスリッパを下足箱に放り入れる。
 外に出ると、ブラックウォーグレイモンがいた。バイクにまたがったまま、アルケニモンと話をしている。
 ピピモンが駆け寄ると、ブラックウォーグレイモンは予備のヘルメットを軽く投げて渡す。後ろを顎で示し、
「乗れ」
 と言った。
「え? あ……はいっ。ありがとうございます」
 ピピモンはヘルメットを被った。
「車にはまだ乗れるぞ」
 俺が言うと、アルケニモンが
(仕事です。ボス)
 とそっと耳打ちし、俺の背中に貼られたままの紙を剥がし始めた。
(ブラックウォーグレイモンがピピモンを事務所に送りますので、私達は現場へ。場所は江東区です……)
 そう手短に伝えられた。どうやらうちの連中の大好きな『力仕事』らしい。ブラックウォーグレイモンはピピモンを事務所に送ってからすぐに来るという。
「忙しそうだね」
 ババモンが面白そうに俺達を見送る。
「じゃあ、これで……」
 俺は手短に挨拶をして車に乗り込んだ。
「……」
 ピピモンがこっちに乗らないことが、やっぱり面白くない。『力仕事』ならピピモンを連れて行くわけにはいかないから仕方ないのだが……。
 ――そういえば、ピピモンは……デジモンの姿の時って?
 それはまだ一度も見ていない。まさか超巨体? それともさっきのヒョーガモンのような?
 ――冗談じゃないぞっ!
 自分のありえない想像で背筋に悪寒が走った。
「ボスッ」
「?」
「ボスは私じゃ不満ですか?」
 悪夢のような想像から現実に引き戻される。
「は?」
「私が助手席なのがとてもご不満のようですから……」
 助手席のアルケニモンが拗ねている。
「……かわいいな、お前は」
 ふとそう言うと、アルケニモンは
「な、な、な……! 何を言っているんですかっ!」
 と顔を真っ赤にして慌てふためいている。被っている帽子を直したり、その下の前髪を整えたり、サングラスのフレームを両手で触ってみたりと忙しない。
「うん! かわいいー!」
 後ろの席のマミーモンが言うとアルケニモンは、
「お呼びじゃないよっ」
 と冷たく怒鳴る。
「えー! ひどいー!」
「うるさいっ!」
 と、いつもの夫婦漫才のような会話を始める。やれやれ、だ。
「――?」
 ふと視線を感じてそちらに目を向けると、ピピモンがこっちを見ている。フルフェイスのヘルメットが遮り、表情までは読み取ることは出来ない。俺が顔を向けるとすぐに視線を逸らした。
 ――アルケニモンと一緒にこっちに乗りたかったのか?
 気になったが、車を降りてまで聞く時間は無い。俺は車を発進させた。


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《ちょっと一言》
 これまた、なんとなく風景が思い浮かんだので書いてみました。
 この時点での及川さんは、ピピモンがデジモンの時の姿を知らないんだろうなぁ、と思っています。ハッキングして見たデータには、そういう写真などは欠けていたんじゃないかしら?と。
 アルケニモン達はデジモン同士だけれど、気付いているのかどうかは解りませんね。アルケニモンは余計に拗ねちゃったりするのかもしれません。
 っていうか、アルケニモンに「かわいい」って言ってやることが出来る及川さんって。ピピモンの存在で毒気が抜けていっているの? その上、どうやらツンデレな及川さん。なんだかかわいい・・・(笑)
 読んでいただきありがとうございましたv

 及川さん達のその後は急展開、そして・・・!となるのですが、次回更新では先にメタルマメモンの話を掲載します。お楽しみにv

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