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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
狡猾な男 3 Side:LILITHMON
 今日も天気が良く、穏やかな日差しがこの病室の窓から差し込んでいた。
 お見舞いに、とタネモンが持ってきてくれた花の香りが安らぎをくれる。
「元気そうで何よりだな」
 と、ベルゼブモンは言った。デジモンの姿でどっかりと椅子に座り、乳母から「無法者!」と罵られながらも、乳母手作りのケーキを食べ続けている。
「それにしても驚いたぜ。その姿……」
 ベルゼブモンに言われて、私はそっと右手の人差し指を立てる。
「ん?」
 ベルゼブモンは目を細めた。私の視線の先にいるファントモンに気付き、
「ああ」
 と頷く。ベルゼブモンは勘が良いから、これでだいたいの予想はついたんだと思う。
 ファントモンはまだ私が『縮んだ』と思っている。これがわざと選んでいる姿だとは思わず、毎朝起こしに来ては「まだ元に戻らないの?」と落胆する。かわいそうだからそろそろ教えてあげようかしら?とも思えてきた。
 ベルゼブモンの座る席からテーブルを挟んで向かい側に、ファントモンが座っている。乳母に教わりながら、『ケーキを上品に食べる方法』を習得中。フォークがようやく上手に使えるようになってきている。
「ある程度散らかさずに食べられればいいんじゃね?」
 と。ベルゼブモンは指についた生クリームを舐めてそうぼやく。
 ベルゼブモンの隣で、人間の姿のメタルマメモンが
「タネモンさん、どうぞ」
 とケーキ用のフォークを繰る。膝の上に座るタネモンの口元に運ぶと、彼女は嬉しそうにケーキを食べる。
「美味しいですか? そう? 良かったですね」
 タネモンは話す事が出来ないけれど、
「プゥ……ププッ、ピッ!」
 と可愛らしい鳴き声を上げる。メタルマメモンには言いたいことはだいたい解るらしい。
「ジェスチャーしているわけじゃねぇのに、よく会話が成り立つなぁ?」
 ベルゼブモンが、次のケーキを自分のケーキ皿に移しながら訊ねる。
「我も感心していたところだ」
 と、ファントモンの隣に座るロップモンはチョコレートシフォンケーキを食べながら頷く。
 メタルマメモンは
「そうですか? 仕草を観察していればだいたい予想がつきますから」
 と答える。
 メタルマメモンは今日ようやく、デジタマからデジモンの姿に戻った。突然戻ったので、その場に居合わせたタネモンはとても驚いたという。
「俺は姉上が目覚めてからさらに二週間もデジタマの状態だったようですね。その間もずっとタネモンさんが俺の面倒を見てくれていたなんて……」
 そう言うメタルマメモンは、顔には全く出ていないけれど、とても照れていることはなんとなく解る。
「それにしてもファントモンも早く全回復出来るといいんですけれどね。治りが遅いようで気になりますね」
 メタルマメモンがそう言うと、
「オーマーエー!」
 ベルゼブモンが自分の使うフォークをひょいひょいとメタルマメモンに向けて小さく振る。行儀が悪いと乳母がぶつぶつ文句を言うのを無視し、
「いきなり今日デジタマから完全体になりやがって、しかもすぐに人間の姿にもなれるんだから、オマエとファントモンは基礎体力が違い過ぎるんだって!」
「そうですね」
 メタルマメモンは頷く。左手でそっと、タネモンの頭の上に開く大きな双葉を優しく撫でる。
「タネモンさんも早くロゼモンさんの姿に戻るといいですね」
「プゥ、ルルルゥ、ププ……」
 タネモンは少し困ったような声で鳴く。
「そうですか? なるほど、この姿で大学に通うのはちょっと大変ですね。アルバイト先のヘアサロンにも早く復帰したいでしょう。
 ――え? ああ、担当しているお客さんのことですか? そう……秋になったら服の色合いに合わせて髪の色を変えるんでしたよね? だからカラーリングもやってあげたい? それに合わせた髪形? そうですよね……。解りました。最近発売されたファッション誌を揃えますから。
 ――は? ああ、病院の売店でもう買ってあるんですね。なるほど……そうですか。タネモンさんは仕事熱心ですね。いえ、本当にそう思っていますよ。
 ――ついでにいつも買っている週刊と月刊の少女マンガ雑誌も欲しかったんですか? 売店には両方無かった? 週刊の方は売り切れで月刊の方はそもそも入荷されていなかったんですか? それは残念でしたね。うーん……でも俺はあの雑誌のいつも巻頭に来るマンガはどうも好きになれませんね。無理が有り過ぎる展開で……。――あ、すみません。俺には理解出来ないん
ですよ、それだけです。機嫌を悪くしたらすみません。ええ、もちろん、家の者に連絡して探させましょう。いいんですよ、それぐらいは遠慮無く頼んで下さいね。
 ――はい。次はモンブランを食べたいんですか? 解りました。ちょっと待っていて下さいね。は? こっちのじゃなくてそっちに残っている方? ああ、そっちの方が栗も大きいですね。了解しました。でも食べ過ぎじゃないですか?
 ――え? あの……? どうかしました? ……はぁ? やめる……? カロリーの低いものに替えたくなったんですか? でも――いいえ、せっかくですからこのモンブランが最後でどうでしょう? はい、そうです。……あの? そんなにはしゃぐほど食べたかったんですか? 本当にケーキが大好きなんですね、タネモンさんは……。
 …………あれ? どうしたんですか? 義姉上? 先輩方もファントモンも……?」
 メタルマメモンは私達の視線にようやく気付いた。
「オマエ……すげーな……」
 と、ベルゼブモンが呆れている。
「感心を通り越して感服する」
 ロップモンもかなり驚いている。
「メタルマメモンって凄いな! プープー言っているタネモンの言葉、どうしてそんなに解るんだ――?」
 ファントモンも驚いていて、
「若君、さすがでございます」
 乳母はにっこり微笑む。
 私は……何も言えずにただ、微笑んだ。
 心の中では――とてもメタルマメモンが羨ましくて羨ましくて、羨ましくて……妬ましいとも思えてきて……毒混じりの溜息をつきそうになっている。
 私の知らぬ間に、私の義弟は恋をしていた。とても美人な彼女は今、退化してこれまたとても可愛らしい姿になっている。
 ――ああ……私も好きな人に抱っこされてみたい……。
 そういうのは私でもちょっと憧れる。物心ついてこの方、長い間生きてきたけれど、そういう風に優しくされたことは無い。
 ――いつかファントモンが……せめて人間の姿になれるようになったら……ううん、もっと成長してくれたら、そういうこともしてもらえるような関係になりたい……!
 ファントモンへ視線を向けると、乳母から何かを熱心に教えてもらっている。
「何を教えてもらっているの?」
 そう訊ねると、
「ケーキの作り方っ!」
 と嬉しそうに返事する。
「ケーキ?」
「簡単だって!」
 嬉しそうなファントモンに、メタルマメモンが訊ねる。
「ケーキを作るの? 大丈夫か?」
「うん。こないだは卵焼き作ったから、自信がついた!」
 とファントモンは大きく頷く。
「そう? オマエが料理するなんて……」
 メタルマメモンはなんとなく嬉しそう。
 タネモンがメタルマメモンに話しかける。
「そうですか? 卵焼きだけじゃなくて、他にも? オムライスも? そんなに美味しかったんですか!」
 メタルマメモンがそう言うと、ベルゼブモンはちょっと驚いて、ファントモンに訊ねる。
「すげーな。毎日習っているのか?」
「うん。筑前煮とカレイの煮付けも作ったことがあるけれど、それはちょっと失敗した……焦げちゃって……」
 困ったような声でファントモンは失敗談を告白する。
「まあ、練習だからな。いいんじゃね?」
 ベルゼブモンはそう言い、ロップモンも
「我もそう思う。努力することは大切なことだ」
 と頷く。
「アタシ、やっぱり……女の方がいいような気がするなー」
 とファントモンはぼそぼそと呟く。ロップモンから『無性別』だという話を聞いた時は腰を抜かしそうなぐらい驚いていたけれど、戸惑いはしても悩んだりはしていないみたい。
「料理をする男だっている。マスターとか……」
「うーん、そうだよね……」
 ロップモンの言葉に頷き、メタルマメモンからは
「『オレ』っていう練習、しておけよ」
 と言われてちょっと嬉しそうな顔になる。
「うーん、そうしようっかなぁ……」
 ファントモンは頷く。
「メタルマメモンに言われると素直ね」
 私がそう話しかけると、メタルマメモンはちょっと笑みを浮かべ、
「弟が出来るのは嬉しいですから。妹でも良かったんですけれど」
 と言う。メタルマメモンの腕の中のタネモンが、心配そうにプゥッと鳴く。
 ファントモンは屈み、タネモンの顔を覗き込む。
「アタ……って、あの……オレ、メタルマメモンが兄ちゃんってことより、タネモンが義姉ちゃんってことの方が嬉しいけど?」
 そう言われてタネモンは顔を真っ赤にして喜んでいる。今度はメタルマメモンが
「そんなに嬉しいんですか……?」
 と複雑そうな顔をする。自然とその場に笑いが起きた。
 ――ファントモンは変わってきている。前よりも生き生きとしている……。
 私は……少しだけ取り残されたように感じる。もう私を頼ってくれそうもないから、寂しく感じるんだと思う。
 お見舞いに来てくれた皆が帰る頃、
「ファントモン」
 と声をかける。
「ケーキの食べ方、上手になったわね」
 そう言うと、
「そう? そう思う? ふふ〜♪」
 ファントモンは嬉しそう。
「上手に食べられればそっちの方がいいと思います。手掴みで食べないように」
 メタルマメモンも弟の成長が嬉しい様子。
「手掴み?」
 ベルゼブモンは意外そうな顔をする。
 ファントモンはそれを最初にやって、乳母にひどく怒られたのだ。乳母からさっきそれを聞いたらしく、メタルマメモンは
「最低限の作法は身につけて欲しいです。相手に遅れを取らないように。うちに来るのなら、敵も増えますし」
 と言う。ベルゼブモンは
「オマエはあのじいさんの後をファントモンに押し付けるつもりか?」
 と呆れた顔をする。
「いいえ。それはいずれ俺がやるつもりです。俺はただ、ファントモンが義姉上の手伝いをするのなら、と思って」
 とメタルマメモンは言った。
「へ? 手伝い? 家事か?」
「あれ? 先輩はご存知ありませんでしたか?」
 とメタルマメモンは首を傾げる。
「義姉上はリアルワールドの各国首脳の方々と顔見知りで、デジタルワールドとの外交が円滑に行われるように務めていたんですよ」
「はあああっ!? センチメンタルうんたらの後に、オマエそんなことやっていたのかよ?」
「ええ。出戻りってだけでもご近所で肩身が狭いのに、冷や飯食いだと言われたくなかったんですもの」
 と私は肩を竦めた。
 ベルゼブモンは病室に置かれたお見舞いの花かごの数々を眺める。
「だから『○○大使館』ってのが多いのか。同じ東京にいても顔合わせること無かったわけだ。――あ? オレ、その頃に東京いたかどうか解らねぇなぁ……」
 と指折り数え、
「ああ、ボリビアにいたかも知れねぇ。――ああ、違ったか? モンゴルだったか?」
 と言い出す。
「アンタどこ放浪していたのよ?」
 私はちょっと呆れた。
 メタルマメモンは
「行儀良くして義姉上と一緒にいれば、各国の料理が食べられるぞ」
 とファントモンをからかう。
「いいなぁ……」
 からかわれているのに気付かず、ファントモンは目を輝かせている。あれだけケーキを食べたのに、本当に食いしん坊だこと……。



 夜中に目が覚めた。
 暗闇の中、カーテンの隙間からわずかに月明かりが差し込む。そんな薄暗闇の中で、気配を感じた。
「――――っ」
 私はベッドの上に起き上がった。
「起きたのか? そうか……」
 そこに座っていた男が呟く。私のベッドのすぐ近く、窓の下だった。見たことのない姿をしている。
「眠りの邪魔はしないようにと思っていたが、すまなかった……」
 そう呟きながら、その男は立ち上がる。そのまま私に歩み寄る。
「それにしても愛らしい姿だな」
 男はククッと可笑しそうに笑う。背は高い。床を引き摺るほど長い漆黒のローブをまとう。フードは被っていなくて、癖のある長い銀髪がこれも床を引き摺るほど長い。
 人間の姿をしているがデジモンだと一目で解る。デジコアの色が見えてしまう私には特に。
 この男のデジコアの色――それは私がとても良く知っている色だった。
「どうして……嘘でしょう……?」
 私は思わず、自分の掛け布団の端を握り締める。
「嘘じゃないのはお前が一番解るのだろう?」
 男はこちらを見つめる。
「どうした? 声も出ないのか?」
 また小声で笑っている。
「……」
 声が出なくなって当然。この男のデジコアの色は、どんなに見てもファントモンと同じにしか見えない……!
「それとも俺とは話をする気にもならないのか?」
 男は「つまらないな」と呟き、背を向けた。
「まだ夜明けまでは遠い。――眠っていた方がいい。傷の治りも早くなるだろう」
 私はようやく首を横に振った。
「だって話に聞いていた姿と全く違うもの! 貴方、本当にファントモンなの?」
 男は振り向き、またこちらを小馬鹿にしたような笑いを漏らす。
「そりゃそうだろう。この姿を見せたのはお前が初めてだから」
 そう言われて、私は穴が開くほどその男を見つめた。
「本当に? 声もファントモンより全然低いし、まるで別人じゃないの」
 男は頷く。
「俺が『生まれた』のは『あいつ』に他の者の命が奪えなかったからだ。俺が代わってやらなかったら、あいつは飢え死にしていた。――知っているだろう? 戦った相手のデジコアを砕かないと食事が与えられなかったことを。自己防衛ってわけだ。理解出来たか?」
「じゃあ、ファントモンが二人いるということ!?」
「人格が、な」
「嘘でしょう……!」
 私は愕然とした。
「ファントモンが最初にデジコアを砕いた時に? そんなに前から……? 初耳だわっ」
「あいつは俺の存在を知らない。自分がデジコアを砕き続けたと思っている。俺は以前に一度だけ、表に出たことはある。それ以外は今までは無かった」
「それは……ファントモンが大量にデジモンや人間達を殺したっていう、あの時のことね? 貴方は――メタルファントモンなのね?」
「フッ。察しが良いな、御主人様は……」
 男は微かに笑う。
「メタルファントモン――あの戦いの時に初めて出現したわけではないの!?」
「表に出てくるつもりは無かった。それなのに、ファントモンは戦いたいと願い続ける。仕方が無いから代わってやった」
「あの時はしゃべることも出来なかったのに、今はどうして……?」
「残り少ない体力を考慮して、必要無さそうなものは全部封じて戦闘能力だけ残したからだ。そうでもしないと戦うことさえ難しい相手だった」
「そんな器用なこと出来たっていうの? 信じられないわ」
 そう言うと、男は頷く。
「全ては『御主人様』を守るためだ」
 言われた言葉に私は赤面した。
「何ですって……」
「あいつは皆と御主人様の無事を願った。俺はあいつ――ファントモンを育てた保護者のような立場だから、協力してやっただけだ」
「……」
 私は掛け布団の端を放し、両手で頬を覆った。火照っている。ファントモンがそこまで私の心配をしてくれたのは……嬉しい。
「そんなにあいつが好きか?」
「……好きよ」
「ガキだろ?」
「うるさいわね」
 私は手を下ろして、両手を組んだ。
「それで……何の用? どうして姿を現したの?」
 私は訝しげに問いかけた。すると、
「外で妙な気配がしたからだ」
 と男は頷く。
「――――!?」
「究極体デジモンの気配だったからな。もう遠ざかったようだが……やれやれ、もう一眠りするか……」
 言いながら男は伸びをする。
「あいつの大切な御主人様に何かあっては――――おい?」
 男は私へ左手を伸ばす。びくりと私が体を震わせたのもかまわずに、肩にかかる髪を掬い上げるように右頬を撫で、
「どうした?」
 と私を促す。
「無礼者っ。触るなっ!」
 私は両手で男の手を慌てて押し退けようとした。
「なぜ震えている?」
 ――震えている? 気付かなかった……私としたことが……!
 私は
「うるさい。私にかまうなっ……」
 と言った。勇もうと思っても声が小さくなってしまう。
 男は苦笑して、
「ああ、そうだな」
 と言った。男には私の手の震えも解るはずなのに、子供をあやすように
「御主人様」
 と私を呼ぶ。
「何?」
「失礼」
 と言いながら左手を私の脇の下にさっと入れ背に回すと、あっという間に私を抱き上げた。
「きゃああっ、放しなさい! 無礼者っ!」
 暴れても、男は私の体を易々と抱き締める。
「黙っていた方がいい。男の腕の中じゃ、女は大人しくしているものだ」
 と言うけれど、別に何をするでもなく、子供をあやすように「よしよーし」と私の背を撫でる。
 もちろん今は子供の姿だから当然なのかもしれないけれど、頭がくらくらして、気が変になりそう。私はぎゅっと瞼を閉じた。
「心配事があるなら相談に乗る」
 そう言われ、
「誰が貴方なんかに言うものですかっ! 無礼者っ!」
 と私は怒鳴った。瞼を開けて睨みつけるけれど、すぐ目の前にいる男は私を見て笑んでいる。しかも
「遠慮無くこの下僕に話せばいい」
 と、自ら『下僕』と名乗って私をからかう……。



「おひい様」
 声を掛けられて目を覚ます。乳母が起こしてくれた。
「御主人様、おはよー!」
 ファントモンも一緒にいた。デジモンの姿で
「まだ縮んだままなのかー?」
 と今朝も落胆している。
「おはよう、ファントモン」
 私が微笑みかけると、ファントモンは「えへへー」と照れ笑いを浮かべる。
 夜中に現れたあの男のことを思い出すと、不思議な気持ちになる。まるで夢を見ていたみたい。
 ――メタルファントモン……思い出しただけで腹立たしいこと!
 私はいつもどおり身支度を整え、用意された朝食を食べ始めた。
 朝食を食べ終わり、いつものようにお茶を飲んでいる時、ロップモンが
「急ぎの用ゆえ……」
 と駆け込んで来た。
「どうしたの?」
 訊ねると、ファントモンが一緒にいることを知ったロップモンは戸惑い顔で、
「あの……」
 と口ごもる。
 悪い予感がした。
「ファントモンのことね?」
「リリスモン――」
「いいの。ちゃんと最初から話をしておいた方がいいと思うわ」
「でも……」
「ファントモンはそこまで弱くないわよ」
 そう言ったものの、不安はあった。
 ファントモンはきょとんとした顔をしている。
 ロップモンは言い難そうに、
「ファンロンモンから我に直接話が来た……」
 と話し始めた。



 ファントモンは偉かった。突然暴れ出したりはしなかった。
「……ちょっと、一人でいてもいい? あはは……大丈夫だから、乳母やは心配しないで……」
 そう言い残し、隣の病室に帰って行った。
 それを心配そうに見送ったロップモンもやがて帰り、私はベッドに体を起こしたまま途方に暮れた。
 ファンロンモンは、ファントモンの『黄金色の鎌』を取り上げてしまうつもりらしい。
 ……ひどい……。
 かわいそうだと思う。戦う力を奪われてしまうなんて……。
 それも急な話で、明日! しかもデジモンに限ってのことらしいけれど多くの報道関係者を招く予定でいるらしい。私もその場に立ち会うように、と。
 ファントモンのことはデジモン達の間で注目されているらしく、処分を急ぐしかない状況だと言う……。
 ……せめて心の準備だけでもさせてあげたらいいのに……!
 まさか明日と言われるなんて思わなかった。そう言われると知っていたら……こんなに急に話が来るなら、私からもっと早く伝えてあげれば良かった。悔やんで仕方ない……。
 やがて乳母は、ファントモンのために焼きプリンを作ってあげようと材料を揃えるために出掛けた。
 私は一人、病室にいた。しばらく考え込んでいた。私はどうしたらいいのか、と……。


「久しぶりだな」


 突然耳に飛び込んで来たその声を忘れたことは一度も無かった。快活で、優しい声。明るくて男らしい声。
 それは、私を裏切った男の声――。
 気付けば、病室の入り口にあの男が立っていた。扉が開いたことに気付けなかった。
「おや、可愛らしい姿だ。持ってくる花を間違えたか……」
 その人間の姿をしたデジモンは一人で立っていた。背も高くがっしりとした体格。スポーツマンを思わせる風貌。――何も変わらない。憎らしいほどに……。
「この部屋に入らないで」
 そう先に言ってから、一つ息を吸い込んだ。
「私に何か御用かしら?」
 男は苦笑している。
「気の強さは相変わらずだね。この花をぜひ君に渡したいと思うけれど、どうしたらいいかな?」
 私が黙って入り口近くのテーブルを指差すと、男はそこに花束を置いた。見事な、色鮮やかな花ばかりを選んで作った花束だと遠目でも解る。私が昔好きだと伝えた黄色いフリージアも入っている……。
「君が生きていると聞いて、もっと早く会いに来たかったのだが……。君の忠実なる乳母は、私を誤解しているようだ」
 と彼はぬけぬけと言い出した。私は怒りと失望で混乱した。
 ――どうして! どうしていつもそうなのっ!
 自分の正しさに絶対の自信を持っているところを好きになった。けれど付き合ううちに高慢なところが目につくようになった。
 ――裏切られることが無くても、続かなかった恋だったのかもしれない……。
 今の言葉が決定的なものになった。私の心は完全に冷めた。
 ――どうしてこの男を好きだったのかしら?
 とも思えてくる。
 それに気付かない彼は言った。
「私の助けが必要かと思って来たんだ」
 意味深な笑顔を私に向ける。
「君の大切な義弟の弟――ファントモンのことだ。明日、その力を取り上げられる。かわいそうだと思ってね。話が急じゃないか? なあ?」
「――――!」
 全身から血の気が引いた。
 ――なんということ! この男が裏で糸を引いているなんてっ! そんな卑怯なことをするなんてっ!
「明日、私が進言しよう。寛大な措置を、と。私にはそれが可能だから」
「な……なんですって…………」
 思わず言ってしまった。私の動揺に、男は満足そうに微笑む。
「哀れな完全体のデジモンを救うことぐらい、私には容易いことだ。君は黙っていればいい」
 ――嘘をおっしゃい!
「貴方は……何が望みなの?」
 男は微笑む。
「そんな顔をすることはない。懐かしい君を助けて当然だ」
「…………」
 私はそっと、奥歯を噛み締めた。この男が何を望んでいるのか見当がついた。
「……今度ゆっくり二人だけで話をしよう。いいだろう? 傷が癒えればまた以前のように美しい君に戻るのだろう?」
「……ええ、そうね」
「そうか、それは良かった。――私はこれで失礼するよ。早く良くなることを祈っている」
 男は言い残し、そのまま帰って行った。
 また、私一人だけになった。
 そっと触れてみると肩が震えていた。両手で抱くように己を抱き締めた。
 ――どうしよう……。
 あの男が言いたいことはつまり、昔のように会わないか?、と!
 ――ひどい話だこと。さすがに……辛いわね……。
 私を妻に選んでくれなかったのに、浮気相手にならないか、と――! 見くびられたこと! この『暗黒の女神』と呼ばれる私を……! ふざけたことを考えたものね!
 けれどファントモンが関わることだから即座に断れなかった……。


「おひい様――!」


 乳母の鋭い声に驚いた。顔を上げると、乳母が怒りで全身を震わせている。いつのまにか帰ってきていたらしい。あの男に対する怒りで、帰ってきた乳母に気付けなかった。
「なんということでしょう! この部屋にあの男の気配が――!」
「心配しないで」
 私は乳母をなだめた。もしも怒り狂って――乳母がデジモンの姿に戻ったら、この病棟は破壊されてしまう。
「すぐにお帰りいただいたわ」
「何もされませんでしたか!?」
「ドアの辺りに立っていたから、少し話をしただけよ」
「話を!?」
「たわいもない昔話よ。つまらないからお帰りいただいたわ」
 乳母は足早にアルコールスプレーを持ってきて、その辺りにさっさと吹きかける。これが実家なら壺を抱えて塩を撒いていると思う。
 ――何もされなかった? ええ……プライドを傷つけられただけよ……。
「おひい様……」
「何?」
「弟君はよほどショックを受けているようですね……」
「――?」
 乳母の言葉にハッとする。
「どうかした?」
「焼きプリンをお作りするから、とお声を掛けようとしたのですが、すすり泣く声がしたのでドアをノックすることも出来なくて……。本当にお気の毒で……」
 乳母はそう言い肩を落とし、キッチンへ行ってしまった。
 ――鳥から飛ぶ力を奪うように、戦う力をあのコから奪ってしまうだなんて……。
 私さえ頷いてしまえば……あの男の立場を利用すれば、ファントモンの力を奪われることなく事を治められる。けれど……。
「……私さえ……」
 私はぎゅっと瞼を閉じた。
 私のプライドだけでファントモンを助けてあげられるのなら――安い話なのかもしれない。
 ――『心配事があるなら相談に乗る。遠慮無くこの下僕に話せばいい』って言っていたわ……。
 メタルファントモンに、自分がどうして不安なのかと伝えれば良かったのかもしれないと悔やんだ。

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