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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
狡猾な男 2 Side:LILITHMON
 誰かが泣いている声に気付く。
 ――誰かしら?
 深い眠りから引き戻されるように目を覚ました私がそちらを見ると、
「――?」
 そこにファントモンがいた。
 私が眠りについた時と変わらず、温かい日差しが白いレースのカーテン越しに室内に差し込む。ベッドの近くのサイドテーブルには、乳母が生けてくれたらしい撫子の花々がひっそりと咲いている。
 ファントモンは窓の下にうずくまっている。膝を抱えて座っている。その場所だけ、時が死んでしまったかのように静かな気配を漂わせていた。
 ――ファントモン!?
 治療を受けているはずなのに、どうして私の傍に来てしまっているの?
 ファントモンはデジモンの姿で、その体を構成するデータの崩れはだいぶ回復している。全身の八十パーセントほどはもう再生している。
 ――私、どれぐらい眠っていたのかしら?
 長く眠っていたような気がするけれど、丸一日経ったのかしら? それとも、もっとかしら?
 それとも、本当は一、二時間しか経っていなくて……? ファントモンの再生能力が優れているだけ、とか?
「ファントモン」
 声を掛けると、うずくまるようにそこにいたファントモンはすぐに立ち上がって浮かび、ふわりとこちらに来た。
「御主人様……」
 ファントモンへ手を差し伸べると、ファントモンは左手を伸ばして私の手を取る。右手はまだ再生出来ていないのに右上腕は上がっているから、両手が揃っているなら私の手を包み込んでくれていたのかもしれない。
 ファントモンが傍にいてくれることで、とても安堵している己を知る。どうしてここまで、このデジモンを好きになってしまっているのかしら?
 ――ああ、もしかして。素直じゃないところ、かしら? すぐにむきになって怒るところ、かしら?
 けれどそれが自分にも当てはまることに気付く。
 ――自分に似ているから、かも?
 私はファントモンに微笑みかける。
「どうしたの? 傷が痛むの?」
 ファントモンは首を横に振る。
「御主人様が……」
 ――ああ! なんだかとってもくすぐったい気持ちね! 新鮮でいいわっ!
 心配されていることが嬉しい。
 私は究極体なので、ちょっとやそっとのことでは心配をされるようなことはない。思い返してみて、いつも私の心配を今までしてくれたのは、御爺様と乳母、それとメタルマメモンだった。心配をしてくれる存在が増えたと、素直に嬉しく思った。
 ファントモンはぐすぐすっと鼻をすする。ファントモンの姿は気体のようなものなので見えないけれど、そこまで泣いてくれて……なんだか心がキュッとした。
 ――あ! これってもしかして、ときめき!?
 今までこんな気持ちになったことは無い! 新鮮な驚きで私の心は満たされた。
 ――楽しいっ!
 すっかり上機嫌になった私に、ファントモンは言った。
「御主人様が……縮んじゃったぁ……」
 ――ち……ちぢんだ……?
「アタシのせいだぁ……」
 ――あら……嫌だわ、このコ。勘違いしているの……?
 これはわざとなのよ、と言う前に、乳母が部屋に入ってきた。
「まあ……!」
 乳母が顔色を変えた。
 私もようやく気付く。ファントモンの体から、何本もの医療用コードがぶら下がっている。太いものは、御寿司の太巻きぐらいある。
 治療中に目を覚まし、医療スタッフから色々と話を聞いているうちに私にどうしても会いたくなったと言う。
「コード類を引き千切って? そんなに急いで会いに来てくれたの? そういうわけなのかしら?」
「うん……」
 ファントモンは少し上目遣いに、もじもじと私を見上げる。
 ――かわいいーっ!
 また心がキュッとした。私は優しくファントモンを見つめる。
「それはとても嬉しいわ」
「え!? そう?」
「ええ。でも、ファントモン。ダメでしょう? 治療の最中に来ては……」
「でも……なんだかとても心配になって……」
「元気になったらお見舞いに来て。もちろん私が先に元気になったら、アナタのお見舞いに行くから」
「本当?」
「そうよ」
「ぁう……あの、でもぉ……」
 ファントモンは口篭もる。
「どうしたの?」
 ファントモンはおずおずと、私に尋ねる。
「元気になるのは、ちょっと……困る……」
「困る?」
「アタシ、ずっと入院していたいんだ。ダメかな?」
 それを聞いて、乳母が血相を変えて怒鳴る。
「どういうことです! 元気になっても仮病を使うおつもりですか! そんな軟弱な心の持ち主が若君の弟君だなんて恥ずかしいことですよ!」
 そういえばファントモンはこの姿では乳母と初対面のはず。怒鳴られたので、びくりと体を震わせて怯える。
「乳母や。そう頭ごなしに怒らないで」
「いいえ、最初が肝心です!」
「そこまでファントモンは子供じゃないわよ。メタルマメモンと同じぐらいの年齢か、少し下ぐらいのはずでしょう? それぐらいの年齢なら何か理由があってのことだと思うわ」
 そう言い乳母の怒りを静めながら、私は疑問に思った。
 入院生活はそれほど魅力的だとは思えない。今はそうではなくてもいずれ退屈になるでしょうし、そこまで病院を気に入る理由が解らない。
 ――誰か、他のデジモンと仲良くなったのかしら?
 医療関係のスタッフと仲良くなったのかしらと思うと、面白くない。どうして? 私以外のデジモンと仲良くすることなんて許せないわ!
「……」
 そう思ったとたん、自分のわがままさに呆れた。
 ――こんな子供相手に何を考えているの? ああ、そう思うのに……解っているつもりなのに……。
 己の方こそ子供じみた独占欲に駆られていると、どんなに衝動を抑えようとしてもダメだった。
 私はとびきり優しく、話しかけた。
「ねえ、ファントモン。それには理由があるんでしょう? どうしてなのかしら?」
 他のデジモンの名前が出ようものなら容赦はしない!と心の奥底で生まれた怒りと嫉妬が湧き上がる。
 けれど、そんな心配は必要無かった。
「……ごはんが……」
 小声で恥ずかしそうにファントモンは言った。
「御飯? 病院の?」
 私は首を傾げる。病院の入院患者用の食事が気に入ったのかしら? 薄味で冷えるのも早く、不味いと思うのだけれど?
 ――それとも食事を運んでくれるデジモンと仲良くなったの? ああもしかして、身の周りの世話をしてくれるデジモンのことが好きになったのかしら?
 嫉妬している自分を抑え、私は促す。
「それがどうかしたの?」
「……アタシの分! これから毎日ごはんが運ばれて来るんだって……!」
「――――」
 それを聞き私は、全身が凍りついたように動けなくなった。そう言われると予想していなかった。
 乳母は首を傾げる。
「何をおっしゃっているのです? 三食ちゃんとお召し上がりになるのは大切ですよ?」
「やめて! 乳母やっ!」
 私が急に大声を出したので、乳母は驚いたようだった。
「おひい様? 何か御気に障るようなことを……?」
「やめて、お願い……」
 私は泣きそうになる。
 ――ああ、このコは……!
 忘れていた。この目の前にいるデジモンが今までどんなに辛い運命を生きてきたかなんて……。
 ファントモンは私の悲しみなど気付かない。張り裂けてしまいそうな心にも気付けない。けろっとした、あっけらかんという顔で乳母に言った。
「すごいなぁ! 御主人様は毎日? それも一日に三回もごはん食べるのか!」
「弟君?」
 乳母は言葉を失い、己の両手で口を覆った。
 ファントモンははしゃいでいた。本心から嬉しそうに言う。
「アタシ、戦った相手のデジコア砕かないとごはんもらえなかったからさー。うはぁ! 羨ましいなぁ……毎日!? うはぁ……三回……!」
 言いながらファントモンはじゅるりと、よだれを垂らしそうになっていた。



 即座に乳母の心づくしで、盛大な御食事会が開かれた。
 私はベッドのリクライニングを起こしてもらう。食事用のテーブルを用意された。
 客用のテーブルの周囲を、ファントモンはきょろきょろと飛び回る。私のいる特別室に運び込まれた食事の数々に、ファントモンはよだれを垂らして見入った。
「これ!? こんなに食べてもいいの?」
「ええ、もちろんですとも! 御座り下さいませ」
「はいっ!」
 生き生きとした返事を聞き、乳母は微笑む。
 ファントモンに食事の制限が無いことは確認済みだった。
 逃げ出したファントモンを追って私のいる特別室専用棟に探しに来てくれたロップモンは、遠慮しながらファントモンの隣に座った。あの戦いの後にアンティラモンの姿から退化していて、しばらく成長期のロップモンの姿でいるつもりらしい。
 ロップモンが説明してくれたけれど、どうやらファントモンはこの姿に戻ってから今日、ようやく意識が戻ったばかりなのだと言う。他の十二神将から状況説明を受けているうちに、私が別の病棟で入院していることを知り『脱走』という形で訪ねてくれたらしい。
 ファントモンの体に繋がっていたコード類は、呼ばれた特殊医療チームが一時的に外してくれた。太いコードやケーブル類はとても高価なもので、一度千切れてしまえば修理は不可能らしい。皆、落胆していた。
「真に申し訳無く……」
 ロップモンは乳母から事情は聞いたので、かなりのショックを受けている。ファントモンが保護される前にどういう食生活を送っていたのかはまだ知らなかったらしい。
「私の目が利くうちは、弟君には御腹を空かせません! 良ろしいですか? デジコアを砕くなんて、そんな野蛮なことをされなくても御飯は三食ちゃんと食べられるのです! おやつもデザートも食べられます!」
 乳母は瞳をギラリと光らせる。使命に燃えているらしい。
 私達デジモンにとって、デジモン同士のバトルは決して野蛮なものとは思われない。元々が相手のデータを奪い成長するという性質でもあるし、戦って敗れることがあってもデジタマに戻るだけなのだから。
 けれどもデジモンの体を構成するデータの中心である核――デジコア――を砕くことは、卑怯であり野蛮な行為だと、乳母はそれを特に嫌っていた。
「ごはんだけじゃなくて? おやつ? デザート? うはぁ……本当?」
 ファントモンは瞳をキラキラと輝かせ「はいっ!」と手を上げる。
「あのぅ、……ケーキも?」
 遠慮がちにファントモンは訊ねる。
「ケーキ以外だって御用意します!」
「え? ケーキ以外にデザートって……」
「洋菓子だけじゃありません、和菓子も用意出来ますよっ!」
 乳母は鼻息荒く言い放つ。が、
「あの……よーが…し? わがし? 何? どんなの? ケーキよりも美味しいの?」
 ファントモンがそれを知らなかったので、乳母は頭を抱えている。
「とにかく! お召し上がり下さいっ!」
 乳母は呆れた顔で私達を促した。
「いただきます」
 と私。
「いただきます……」
 と、遠慮しながらロップモンが言う。
 それを見てファントモンは首を傾げる。
「いただ……?」
 乳母がすかさず、
「食事を始める時は『いただきます』と言うものです」
 と助け舟を出す。ファントモンは大きく頷いて、
「いただきまーすっ!」
 と宣言した。
「さあ、どんどんお召し上がり下さいませ!」
 私は乳母が取り分けてくれた野菜の煮付けなどをいただく。こんなに楽しい食事は久しぶりだと思った。
「若君が御小さい時は食が細くて心配しましたが、弟君は良くお召し上がりになること!」
 それが嬉しいらしく、乳母はいそいそとファントモンのために丼飯を盛る。ファントモンはあっというまに三杯平らげ、皿に山盛りだった串カツや唐揚げを食べる。
「うっまーいっ! これも……うっまー! こっちも! うわあ……幸せだー!」
 ファントモンは上機嫌だった。
 ――あ。握り箸……。
 それに気付いたけれど、今は大目に見てあげることにした。乳母とロップモンにも小さく頷いて見せ、伝える。
 箸の使い方なんてこの先、ゆっくり教えてあげればいい。時間はたっぷりあるのだから……。
 ぼんやりとそう考えているとファントモンが寄ってきて、
「なんで野菜ばっか食べるの? 肉は食わないの? 嫌い?」
 と訊ねる。
 乳母が
「おひい様は御肉より御魚を好まれますよ」
 と教えると、
「これとこれ、うまいよ!」
 私にと、空いている取り皿に焼き魚や刺身を取ろうとする。
「まあ、焼き魚と刺身を同じお皿に盛らないことっ。良ろしいですか?」
 慌てて乳母が教え始める。
「たくさん食べたら、御主人様も縮んだの、元に戻るかな?」
 盛り付け終わった皿を私の前に運びながら、ファントモンは私を上目遣いに見る。
「え? 縮んだ……?」
「いいえ、おひい様は……」
 アンティラモン、乳母が言いかけたので、私はそっと人差し指を立てて口元に当てた。
 もう少しだけ、この勘違いを楽しんでみたかったから。
 ――それにしても、こんなに食べられないんだけれど!
 刺身や焼き魚を盛り付けた皿が五皿も並んでいる。寝たきりで運動出来ないのにこんなに食べたら太ってしまう。
 仕方ないわね、と心の中で苦笑いしながら、私は真鯛の刺身を一切れ口に運んだ。
 ファントモンは食事中、問題発言を連発した。
「っていうか、さあ! 肉って焼くと美味いんだ! それにとっても良い香り! 臭くないね、べたべたしてないしね。それにこの周りについているの、美味しいね! ――へ? 剥がして別々に食べるんじゃないの? ふーん……からあげってそのまま食べるの? え? この黒いのは砂じゃないんだ? ん? ああ、この骨は食べないの? 出すの? そっか……。え? うん、食べたよ、骨。え? えっと……何本骨食べたかなんて覚えてないよ。あ……ごめん……」
 とか、
「魚もこうやって食べると美味いね! もっと臭いのしか食べたことないやー! え? 魚の骨も食べないの? ふーん……。そっか、そうやって骨と食べるところ取るんだ! ……うっ……難し! 丸ごと食べたら早いと思う…そ、そっか…行儀悪いのか、ごめん……」
 とか、
「虫がいないねー! すごいねー!」
 とか……。
 そのたびに乳母は
「なんということでしょう!」
 と、頭を抱えている。
 もちろん、隣にいるロップモンも顔を蒼白にしている。
「つまり、腐った肉や魚ばかり食べていた、と! 虫がうじゃうじゃいる不衛生な場所で育った、と! ああ、我が大バカの、うっかり野郎なばっかりに――!」
 このことは他の十二神将達にも伝わるのだろうし、皆がショックを受けるに違いない。
「ロップモン」
 私はロップモンをそっと手招いた。彼は箸を箸置に揃えて置くと、こちらに来てくれた。小声で私は、
(なるべくなら噂話の的にならないように……)
 と頼む。ロップモンは真剣な表情で頷く。
(我らは全力を尽くす故……)
(もしもかまわないのであれば、私の病室の隣が空いているわ。そちらにファントモンを移したらどうかしら?)
(こちらへ?)
(ええ。この建物自体が私がここにいるから貸切の状態だもの。都合も良いでしょう?)
(なるほど。他の者と相談してみよう)
 ロップモンは深々と私へ頭を下げた。
 ところで、ファントモンが人間の姿をしている時に、キュウビモンや留姫は会ったことがあるらしい。メタルマメモンに似ていたという。乳母から聞いた話も合わせてみると、恐らく極度の栄養失調だったのかもしれないと思えてきた。
「おなか、いっぱーい! すっごくしあわせだ――――!」
 満足そうなファントモンに乳母は
「食事が終わったら『御馳走様でした』というものです」
 と言ったので、ファントモンは大慌てで
「ごちそうさまでしたっ!」
 と宣言する。
「御馳走様でした」
 と私は微笑む。
「ご馳走様でした」
 とロップモンも苦笑する。
 ロップモンが後片付けを手伝い始めると、ファントモンも真似をして皿を重ね始める。
「同じ大きさの皿を重ねて」
「ん? 解った!」
「山のようになるように、大きな皿は下で、小さい皿は上で……」
「そっか。こうすると崩れないんだ!」
 ファントモンはせっせと片付け、乳母に助けてもらいながら小さいキッチンまで運ぶ。
「ええ! 今のごはん、うばやが全部作ったのか――――!」
 と、小さいキッチンから声が聞こえてくる。
「簡単ですよ」
「凄い! 天才だっ!」
「弟君にも出来るようになりますよ。御教えしましょうか」
「本当?」
 ファントモンは大喜びで私のところに飛んできて、
「教えてくれるんだって! ごはん作りっ!」
 私はその様子を見て、目を細める。
「そう。良かったわね。食事を作ることは料理って言うのよ」
「りょーり? そう! 料理なのか!」
「お料理が上手になるといいわね。楽しみね」
「よーし! たくさん作るぞ!」
 ファントモンは気合を入れている。
 どうか……どうか、このコが戦う力を奪われるとしても……。そうなってしまっても、生きることを諦めずにいて欲しいと。……そう願わずにはいられなかった。
「ところで……」
 とロップモンが私に訊ねる。
「『無性別』のことはまだ話してはいないのだが……」
 私はちょっと驚き、そして
「ええ、どうぞ話してあげて。貴方のことを信頼しているもの。相談にのってあげてちょうだい」
 と促した。

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