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カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編9
 水曜日の朝。
 ……『恋愛ごっこ』、ツライ……。
 私は顔を洗ったばかりの自分の顔を、鏡越しに見つめた。
 ――リタイヤは絶対にしたくない。
 だってそうしたら、誰かがレナの隣に現れるかもしれない。その時にきっと、レナはなんでもない様子で、私のことをその人に紹介するかもしれない。
 私はただの、同じバイト先でバイトしているだけの……知り合いでしかない。その程度の存在から、私は抜け出したいのに……。
 でも、ツライ……。どうしよう……。
 このまま、『恋愛ごっこ』を続けるのは無理な気がしてきた。
 昨日、レナにあのメモを見せてしまっても良かったのかもしれない。
 ……今日、バイト、行きたくない……。
 腕を絡めても、レナは私をただの『恋愛ごっこ』の相手としか思ってくれない……。
 好きになってもらうつもりだった。でも難しい。『大人しい女の子』のふりをするのもあまり上手に出来ていないもの。
「あ……時間……」
 私は時計を見て、ちょっと慌てて家を出た。乗る予定の電車に遅れちゃう。バイトに行くのは気が重いけれど、遅刻をするのはまずい。
 小走りに駅へと急いだ。
 駅に着いて、地下鉄のホームに降りる。エスカレーターから降りて、ふと、前方を見た。
「――」
 息が止まるかと思うほど、驚いた。
 レナがベンチに座っていた。本を読んでいる。
 電車を待つ人々がまばらにいても、私はすぐに彼を見つけていた。
 ――なんで? どうしてこんなところにいるの?
 私は急いで駆け寄った。
 昨日、話をした時に確か、地元駅の名前は言った。――でも、どうして?
 私に気付いて、レナが顔を上げる。
「どうしたの!」
 レナが読んでいたページに栞を挟んで本を閉じた。
「……なんとなく」
 と、微笑んだ。
「なんとなく?」
「ああ。なんとなく……」
「だから、なんとなく、ってどういう意味?」
 レナがベンチから立ち上がった。
「留姫に早く会いたかっただけ」
 私はレナを見上げた。
 レナも私を見下ろした。
 ――は? 何を言っているの……。
 私は混乱した。
 好きでもない、『恋愛ごっこ』の相手に、どうしてそんなことを思うの?
 それともこれが『恋愛ごっこ』だからそう思うの?
 ホームに、電車の到着を知らせるアナウンスが響く。
「ああ……電車が来るね」
 レナは、地下鉄の音に耳を傾けている。
「留姫はいつもこの駅を使っているんだ?」
「……うん、そうよ」
 私は頷く。
「幼稚園の頃からずっと」
「そう?」
「幼稚園の頃はママと一緒だったけれど、小学校に上がったら一人で行くことになっていたから、最初は不安だったしちょっと寂しかった。……すぐに慣れちゃったけれどね」
 レナは優しい目を私に向けてくれる。
 小さい頃のことを話すのは恥ずかしいけれど、嬉しい。
「でも、本当にどうしたの?」
 私はレナに問いかけた。
「……べつに、なんでもないことだから」
 電車がホームに滑り込んで来る。
「たぶん……なんとなく、留姫の話を早く聞きたくなっただけ……」
 騒音に掻き消されそうになったけれど、レナが言った言葉は確かに私の耳に届いた。
 電車のドアが、目の前で開いた。
「乗ろう」
 促されて、私はレナの後について電車に乗った。
 ――『なんとなく』。
 私は心の中で呟いた。
 ――それって、私に少しでも興味を持ってくれたってこと?
 席が空いていたので二人並んで座った。
 話を聞きたいって言われても、どんなことを話せばいいのか解らない。困る……。
 ここでもしも、レナが楽しくなるような話をしたら、もっと私のことを気にしてくれるのかもしれない。
「ねえ、何を話せばいい?」
 私は訊いてみた。
「なんでも」
 レナは答える。
 迷いながら、たわいもない話を始めた。ほんと、日常のなんでもない話を……。
 つまらないかも……と覚悟していたのに、予想に反して、レナは楽しそうだった。『恋愛ごっこ』でもない、お芝居でもない……そんな風に思えた。
 そんなレナを見ていると、ドキドキする。とても幸せで……。
 ――もう少し、『恋愛ごっこ』、続けられそう……。



 それは、バイトの時間が終わる頃に起きた。
「名前、訊いてもいい?」
 私は銀のトレイに空になったコーヒーカップとソーサーをのせたところで。
「?」
 席に座っているお客様を見つめた。男性――二十代後半もしくは三十代前半。痩せ型。口元に薄く笑みを浮かべている。
 最近よく見かける人だと気付いた。
「きみ、かわいいね」
 すぐに相手の意図は読めたので、
「申し訳ございませんが、お付き合いしている方がいますので……」
 と、丁寧に頭を下げた。
 さっさと歩き、カウンターへ食器を運ぶ。
「留姫はモテるんだ?」
 ドーベルモンさんが私に聞こえるぐらいの声で言ってきた。
「買い物している時に話しかけられることはあります」
 そう答え、ふと、レナがこちらを見ていることに気付いた。でも、特に何も声をかけてはこない。
 ……そこまで気にはならないのかもねと、私は思った。
 アリスが寄って来た。
「あの人、なんだかちょっと怖い感じね。またストーカーにならないように、レナモンさんにしっかり送ってもらったら?」
「ストーカー?」
 ドーベルモンさんが眉をひそめた。
「それは物騒だな」
「ええ、今までにも何人か」
「何人も?」
「ちょっと暗いところに連れ込んで脅したら、大人しくなると思ったんじゃないかしら」
「――おい。ずいぶん、さらっと言うんだな……」
「でも大丈夫なんです。――留姫は跳び蹴りが得意です」
 と、アリスが小声で囁いた。
 私はびっくりした。
 アリスは
「ドーベルモンさんは味方になってくれるもの」
 と言う。
 ドーベルモンさんは、
「跳び蹴り……ね。――ああ、アイツには言わないでおこう。約束する」
 と言った。
 ドーベルモンさんがケーキセットをテーブルに運んでいくのを見計らい、私はアリスに問いかけた。
「私の何を話したの?」
「留姫はレナモンさんのことが好き、って」
「そんなこと言ったの?」
「勝手に言ってごめんね」
「いいけれど……そんなこと言えるほどドーベルモンさんと仲良くなったの?」
 「それが……」とアリスは小さく溜息をついた。
「肝心の……私の気持ちとかは……まだ……」
「あ〜、そうだろうと思ったわ。アリスはかわいいな〜」
「何よ、ひどい言い方……」
 樹莉が寄って来た。
「ひそひそ声が多いと思うわよ」
 私とアリスは小声で「「は〜い」」と返事をした。



 レナが気にしていないと思ったのは思い違いだった。
 バイトが終わってレナと一緒に二階に上がると、
「留姫。さっきのヤツ……」
 レナが心配そうなので、私はちょっと驚く。
 ――なんだ、本当は心配してくれていたの?
「大丈夫」
 私はレナを見上げた。
「私、けっこうモテるでしょ? ちょっと驚いた?」
 レナはどう答えていいか迷っているみたい。
 ドアが開いた。ドーベルモンさんだった。
「しっかり送ってやれ」
 レナが怪訝そうな顔をする。
「言われなくても……」
「ストーカーに暗いところに連れ込まれそうになったことがあるらしい」
「――!」
 レナがぎょっとしている。
「もちろん、逃げたけれど」
 と、私は付け加えた。跳び蹴りのことは言わない。
「お疲れ様――」
 そう言うと、ドーベルモンさんは一階へ戻って行く。
 ドアが閉まったとたん、レナが少し屈み、そっと私の頬に触れる。
「……本当はその時、怖かった?」
 ――『大人しい子』だったら……どうするかしら? このまま彼に抱きついて、怖かった……!、と震えるのかしら?
 けれども、そうやって彼の優しさに甘えてしまってはいけないような気がした。
 私はレナになんでもないように言った。
「心配しないで」
 だってあまり甘えていたら、『恋愛ごっこ』が終わった時のダメージが大きい。きっとそれに私は耐えられない。――そう思ってのことだったのに。
「……?」
 レナの腕が伸びて、私を抱き寄せた。
「留姫……」
 レナの声が耳元で、私の名前を囁く。
 優しい腕。頬に触れるレナの髪。背中を支えてくれる手の平。そして……男物の香水の香り……。
 私を閉じ込める腕に、信じられない気持ちでいっぱいだった。
 ――どうしてっ?
「こ、怖くなんかないったら。心配しないでってば……」
 そう言ってから、私は気付く。そんなことをいくら言っても、この状況ではただの強がりにしか聞こえないんだ、と。
 レナの腕に少し力がこもる。
 ――? もしかして……。
 甘えるつもりなんかなかったのに、
「……あの時――口を手で塞がれたの……」
 ぴくりと、レナの腕が硬直する。
「……私が声を出せないように……」
 前にあったこと……。――でも、その後に私、その人を蹴り飛ばして、傍にあった飲食店の生ゴミ用ポリバケツの中身を頭からぶちかけてやったけれど……。
 レナの手が、私の背をまるで子供をあやすように撫でてくれる。それはとても心地良くて……私は目を閉じてされるままになった。
 ――もっと優しくされたい。もっと――。
 しばらくして、レナの腕が緩む。
 私から離れようとする腕を掴んでしまいたくなる。
 さらりと、レナの手が私の前髪をかき上げた。
 少し驚いて見上げると、
「――!」
 私の額にキスをした。
 私は少し強く、レナの体を押し戻した。
「――着替えてくるから、送ってよね?」
 私は女子更衣室のドアを閉めた。両手で額を押さえる。
 レナからキスされたの……初めて……! 嬉しい! 抱きしめてくれて、キスまでしてくれて――もしかしたら、私のことに興味を持ち始めてくれたのかもしれない? ……でも、本当に?
 私は恥ずかしくて、顔を両手で覆う。
 どうしよう……おでこ洗いたくないぐらい……!



 レナと一緒に店を出た時、あの男が店よりずっと離れた場所にいることにはすぐに気付いた。
 レナもすぐに気付いたらしく、私の手を引いて駅とは反対の方角へ歩き出した。
「レナ?」
「駅を使っていると知られるのもまずいだろうから。途中で撒いて、別の道から駅へ行こう」
 レナに言われたとおり、私は一緒に歩く。途中で脇道に逸れたり人ごみに紛れたりしながら、追いかけてきたあの男性を撒いた。
「やった!」
「――本当はもっと簡単な方法もあるんだけれど」
「簡単な方法……? それって何?」
 私は訊ねた。レナは
「うん……でも無理だ」
 と、言った。
「ねえ、どんな方法?」
 レナは歩きながら、こちらを見ないで言った。
「――その方法だと、留姫に嫌われてしまうかもしれないから、無理」
 と、確かに私には聞こえた。

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