[携帯モード] [URL送信]

カフェ『皐月堂』へようこそ(レナルキ他)
本編8
 火曜日。
 『皐月堂』で仕事中に、私は時々、レナの姿を探す。
 すごいな〜と思う。バイト掛け持ちして、大学も行って……。
「……」
 もう、今日から八月だった……。
 休憩時間に私は一人、二階に上がった。休憩時間はそれぞれで時間をずらして取ることになっている。
 バッグを持ってきて携帯電話のメールチェックして、それから生徒手帳を取り出した。宿題の内容など学校のことはそれに書いていた。ページを捲って眺めながら、ああでもない、こうでもないと宿題を片付ける手順を考えた。
 ……そういえば。
 家庭科の宿題なんていうものがあったことを思い出した。他の教科でも手一杯なのに、『食文化』についての研究発表だなんて……。
 悩んでいると、ふと思い出した。そういえば、博物館に行くんだった。何かいいアイデアが見つかるかも。
 レナが二階に上がって来た。休憩交代のために、私は片付け始めた。
「それ、留姫の学校の?」
 訊かれたので、机の上に置いたままだった生徒手帳を指差す。
「うん」
 私は黒いカバーのそれを差し出した。
「ひどい写真写りでしょう? 私、写真って嫌い……」
「そんなことはないと思う」
 レナの手がふと、――ページを開こうとした。
 ――――!!
 ダメと言うよりも早く、私の手は生徒手帳を取り返していた。驚いているレナへ、必死に作った笑顔を向けた。
「ごめん、中はダメ!」
 レナの目に戸惑いの色が浮かんでいる。
「……その、……字が汚いから……書きなぐりだし……」
 思いつくままに、理由になりそうなことを言った。
「いや、こっちこそ勝手に見ようとして……ごめん」
 私は生徒手帳を急いでバッグに戻した。女子更衣室に行き、バッグを自分が使っているロッカーにしまって鍵をかけ、戻る。
「じゃ、私、行ってくるね」
 レナに手を振って、一階へ下りる。
 ――やばかった。
 ちょっと見たぐらいじゃ、あのメモは何かなんて解らない。――でも……気をつけよう。
 生徒手帳の中に入れておくの、ヤバイかな……。定期券買う時とか……提示すること多いものね。お守り袋でも買おうかな……。



 バイトが終わって、レナと一緒に『皐月堂』を後にした。
 八月の太陽が少しずつ西に傾いていく。まだ時間があるから、この前行った公園に行ってみることにした。
 レナが自然に、私の手を取る。嬉しいけれど、『大人しい子』だったらそんなにはしゃがないと思うから、ちょっと気持ちを押さえる。
 それだけでも嬉しいのに、レナが突然、
「今週末、花火大会があったよね?」
 と言った。
「留姫は誰かと行く予定ある?」
「ううん、特には……」
「じゃあ、花火見物でも……」
「本当?」
 忘れていた。今週土曜日の花火大会のことなんて……! 花火とか、お祭りっていったら、やっぱり浴衣でしょ! よし、浴衣着よう!
「花火かぁ……」
 嬉しくてたまらない。
「『彼と花火見物』も、してみたかった?」
 レナが訊ねる。
 そう訊かれて心がズキリと痛んだけれど、
「うん」
 と、普通に返事をした。
「留姫の理想の『彼』って、どんな人を想像しているの?」
 ズキリ、と、また、痛んだ。
「内緒」
「年上の人?」
「そう思う?」
「こちらが質問しているんだけれど」
「答える義務ってあるの?」
「答えて欲しいんだけれど」
「でも、フェアじゃないよ? だってレナは、恋人がいるのか私に教えてくれないもの」
 レナは苦笑する。
「そうだったね」
「そうだったね、じゃないわよ。嫌な言い方……」
 ――私があの時、どんなに泣くのを我慢したのか知らないくせに!
 じゃあ、とレナが言った。
「彼女がいるかどうかを答えたら、私の質問にも答えてくれる?」
「……」
 ――どうして?
 私は混乱した。
 ――なんでレナは、そんなことを言うの?
 私は立ち止まった。公園の近くまで来ていた。
 レナも立ち止まる。
「……交換条件にはならない?」
「どうして教えてくれる気になったの?」
 レナが私を見つめる。
「――どうしても訊きたいことがあるから」
「訊きたいことって?」
「答えてくれるか、返事をくれたら話す」
「質問の内容も言わないうちに、答えをもらう確約をするの? ずるいじゃない?」
「そうだね。でも……それでも、答えて欲しいから」
「……」
 何を訊かれるのかと、内心、息が止まりそうになるほどドキドキしていた。なるべく、普通に見えるようにと言葉を探す。
「そうね……別に、いいわよ」
 少しだけ微笑んでみせた。
 レナは静かに言った。
「――いないよ」
 トクン。
「……こないだは、はぐらかしてみたくなっただけで……本当に彼女はいない」
 トクン、トクン。
 怖いほど、自分の心臓の音が聞こえる。
 レナは何でこんなこと言うの? もちろん、とても知りたかったことだけれど……。
 私はレナを見つめた。背中に冷たい汗が流れる。
「教えてくれてありがとう」
 ……と。私は言った。声が裏返りそうになるのを、必死に堪える。
「――それで? 何を訊きたいの?」
 私は訊ねた。
 レナは、言った。


「生徒手帳、見せて欲しい」


 冷たい汗が、また、流れた。
「それって……質問とはちょっと違うんじゃない?」
 レナは少しだけ微笑む。
「うん、そうかもしれない」
「そんなに見たい?」
「見たい」
「……」
 私は手に持っていたバッグを抱えた。中から――生徒手帳を出した。
「……笑わないでよ? 字、本当に汚いんだから……」
 遠慮がちに言う――ふりをして、レナに差し出した。
「ありがとう……」
 レナの目が少し見開かれたことには気付いた。――私がすんなり生徒手帳を渡すとは思わなかったんだと思う。
 レナは生徒手帳を受け取り、私に問いかける。
「本当に見てもいいの?」
 私は少しだけ口を尖らしてみせた。
「いいわよ。――でも、見ていきなり笑い出したら怒るからね?」
 レナの目から緊張の色が消えた。
「笑わないよ」
 生徒手帳のページをめくり始めたレナを、
「歩きながら見てもいいじゃない?」
 と促した。
 私達は再び歩き出した。
 それからは普通に会話が続いた。生徒手帳に書いてある校則のこととか、学校行事のこととか。
「桜組?」
「そうよ。うちの学校知らないほとんどの人がそこで驚くわ」
「番号じゃないんだね」
「他の学校は番号なのよね。うちは昔から花の名前なの」
「なるほど。女子校らしいのかもね」
「何年か前に番号にしようかっていう提案も出たんだけれど、生徒集会で却下されたの。気に入っている人の方が多いのよ。OGからも変えないで欲しいっていう意見が多かったみたい」
「そう……。桜組で、何か委員とか、しているの?」
「私? 一応、学級長」
「そうなの?」
「うん」
 私はレナを見上げる。
「学級長って面倒臭いけれど、いいこともあるの」
 ふと、前に学年主任の先生にプリントを届けに行った時に『内緒ね』とおはぎをごちそうになったことを思い出した。あのおはぎ、すっごく美味しかった〜! うちのママの担任だったこともあるおばあちゃん先生で、私はあの先生がとても好き。
「――楽しいこともあるよ、うん」
 私はレナを見上げた。
 レナが、歩くのを止めた。
「どうしたの?」
 私も立ち止まる。
「……なんでもない」
 レナが微笑む。
「楽しそうだね。学校……」
 レナは一通り生徒手帳を見終わった後、私に返してくれた。
「うん、楽しいわよ」
 私は生徒手帳をバッグに戻した。バッグの中の内ポケットに、あのメモは入っている。それの横に、生徒手帳を滑り込ませた。
 生徒手帳を取り出す時に、あのメモを抜き取ってから渡したことに、レナは気付いていない。
「留姫が言うほど、字が汚いとは思わないけれど?」
 レナがちょっと笑う。
「――本当は思っているんじゃない?」
「思っていない」
「本当に?」
「本当に」
「そう? それなら、自信持とうかな〜」
 私は微笑んでみせた。
 レナは本当に疑っていないみたい。良かった……。
 あのメモを見られたら困る。きっとレナは、あのメモを私がまだ持っているとは思っていない。ゴミ箱にでも捨てているんだと思うし、メモのこと自体、きっと忘れている。
 ――それをもしも、私がまだ持っていると知ったら……?
 レナは私に本気で好かれたくはないんだと思うから、きっと困ると思う。もしかしたら、『恋愛ごっこ』だってやめるって言い出すかもしれない。好きでもない子から好かれたくはないみたいだから……。
「……」
 私はそっと、レナの腕に自分の腕を絡めた。
「留姫?」
「――いや?」
 レナの顔は見ない。――今の自分の顔を見られたくないから、見ない。泣きそうな顔を見られたくない。
「……べつに……」
 そう、返事があった。
 私はレナの腕に、そっと頭を傾けようとした。


「好きな人の写真でも入れているのかと思った」
 と、レナが言った。


「……」
 私は目を見開いた。もちろん、レナからは私がどんな顔をして話を聞いているのか見えないし、知らない。
「留姫には、本当は好きな人がいるんだと思った。それが年上の人で……私と同じ年齢ぐらいで、だから私にその誰かの姿を重ね合わせているのかと思った。
 生徒手帳にはその誰かの写真が入っていて、だからあの時、」
「――ハズレ」
 と、私は話をさえぎった。
「うん……そうだね」
 と、レナは呟くように言った。
 ――ハズレ。写真なんか持っているわけないじゃない。あったら喉から手が出るぐらい欲しいわよ。
 私は瞬きをした。
 ――でも、アタリ。私の大切な……貴方から初めてもらったものが、あの場所にはあったんだから。
「言ったじゃない。――私、好きな人、いないもの」
 ――苦しい。ツライ……。
 涙が出そうになって、もう一度、瞬きをした。

[*前へ][次へ#]

8/21ページ

[戻る]


あきゅろす。
無料HPエムペ!