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暁を待つ
梅雨入りを間近に控えた或る日の空座町。時は深夜3時頃。切れそうに細い三日月が冴えた輝きを放っている。クロサキ医院を眺める小さな人影が佇む。黒い袴姿のその人物は二階の窓を目掛けて地面を蹴り、空を駆ける。目当ての窓辺に着き、サッシに手を掛けると…難なく開いた。


「無用心だな。」


言葉だけの文句を呟き、室内に入る。部屋の主はすやすやと安らかな寝息をたてていた。暗闇に仄明るい彼の髪が目立った。




今日から半年程前、部屋の主、黒崎一護は全ての霊力を失った。それは霊的な存在を一切感知できなくなることを意味していた。そう、部屋への来訪者朽木ルキアを含む全ての死神もその対象である。

(未だに…戻る訳もないな……。)

半年前であれば、彼女に気づいたろうに。浦原喜助から一護が霊力を失うことを聞いてから、覚悟を決めていた。自分には見えるのに、彼には全く視えない。気配すらも感じない。

(一心殿の霊力も戻ったのだし、いずれは戻るかも知れぬが…)

『いずれ』がいつ来るのか、それとも来ないのか……皆目分からない。『物心が付いたときには霊の視える子供』だったのだから、今でも違和感を感じているに違いない。それでも、死神の戦いに巻き込まれて心身共に傷つかないで済むのなら、そっとしておいた方が彼のためになるのではないか。―――そうとでも思い込ませなければ、己の心を護れない。




「…いちご……」


彼の聴覚を刺激することなく、彼女の言葉は闇に溶けた。


 ぱた……


一護の枕元に水滴が落ちる。


「僅か半年だというのに…少し大人びたな。これが成長期というやつか。まあ、中身は相も変わらず、ただの糞餓鬼であろうが……ッ」


一護と何度となく繰り返した口喧嘩を独り言のように繰る。例え眠っていなくとも、彼からの反応はないことを嫌でも確認してしまった。数滴、涙を落とした後ぐいと袖で目元を拭うと、口許を引き結びキッと一護を見詰めた。


「達者でな、一護。一心殿、遊子、夏梨を大切にするのだぞ。」


彼の鼓膜を揺らすことはできなくても、彼の内のどこか片隅にでも染み込んでくれたら…そんな願いを込めて。




ルキアはじっ…と1分程無言で一護を凝視した後、ヒラリと窓から外へと降り立つ。そして、クロサキ医院を振り返らずに立ち去ろうとした。


「一護起こさなくていいのかい、ルキアちゃん。」


耳に馴染んだ声が彼女を立ち止まらせた。


「やはりお気づきでしたか、一心殿。」

「ん―――。霊力戻っちまったからさあ。悪いな。」


そう言うと一護の父、一心は決まり悪そうにガシガシと頭を掻く。一護が同じ仕草をするのは父親譲りだったのか、とルキアはひとり得心をした。


「それに――――」


「そんな他人行儀に呼ばないでくれようっ!ルキアちゃんは『三人目の娘』なのにいッッ!!」



今の緊張した局面をほぐすつもりではあろうが、いきなりふざけたノリのスイッチを入れるスキルは息子にはない。できればそんなスキルは身につけないで欲しい、とこっそり彼女は思った。

「任務の帰りに少し寄っただけですから、このまま帰ります。」

「それで、いいのかい?」

一心が言葉に何を含ませたのかは、斟酌しない。やっと固めたか細い決意が、いとも簡単にポッキリと折れてしまうから。同じ理由で一心と向き合うのも避けた。彼の後のクロサキ医院には沢山の大切なものが詰まっていて、振り返れば当然その現実に引き戻される。



「一護は世界を護るために全ての力を注ぎ込みました。一護のお陰で、現世も尸魂界も護られました。けれど――私の存在は、今の一護に護れないものがあることを思い出させてしまいます。」



尸魂界に帰ってからずっと、誰にも言えないでいた。ゆっくりと時間を掛けて心の底に溜まるがままにしておいたものを、敢えて自分の手ですくい出す。



「表面上は気にしない素振りをするでしょう。けれど、深い々々ところで必ず血を流すと思うのです。私にはそんなことは耐えられません。」



ルキアの握り締めた白く小さな手は、爪が食い込んで血が滲みそうだった。ズボンのポケットに手を突っ込んだままの一心は、愛しい娘たちを見詰める視線を彼女にも注ぐ。


「心配掛けて悪いな、ルキアちゃん。」


「心配ではありません。想像すると、現実に心臓の辺りがキリキリと痛むのです。」


それを心配って言うんだよ。―――しかし、ルキアの強がりを否定する言葉は呑み込んだ。


「うちの馬鹿息子は果報者だぜ。こんないい女に気に掛けて貰えんだからな。」

「ですから、そういうのではありません。」

「ああ、分かったよ。」


若いふたりを応援したかった。息子は隠そうとしているが、無意識の内に彼女の面影を追っている。息子が全ての霊力を失ったとき、彼女は一心に一護のこと、宜しくお願い致します、と告げて尸魂界へ帰って行った。彼らの歩んで来た道を思えば、茶々を入れこそすれ、陰ながら力を貸したい常々思っていた。それが親バカであることも解っている。



(外野が口出す必要は…ねえよなあ…。)



一護も、ルキアも、置かれた状況を受け入れ、前に進もうと足掻いている。大切な相手を失う苦しみなら彼らよりも深く知っているだけに、つい、余計なお節介を焼いたと一心は気づく。



「おじ様…今日のこと、一護には内密にお願い致します。」



微かに声が震えた。例え彼の瞳に自分が映らなくても、優しい眼差しを向けられて、やや低く掠れ気味の声で名前を呼んで欲しい。何度そう思っただろう。その想いと決別するために一護の許へ訪れたというのに。


「分かった。一護には絶対言わねえよ。」

「ありがとうございます。」


夏の始めとはいえ、まだまだ夜冷える。ルキアはぶるっと身震いをした。


「もう、こっちには来ないのかい?」



哀しみでより小さくなった背中に、そうっと言葉を掛けた。



「はい。一護の霊力が戻るまで、待ちます。」



ルキアはうつむいた足許の一点を見詰めた。



「幸い、今回に限っては、時も私の味方ですから。」



自嘲気味ではある。けれど、確かにルキアの言う通りだった。


「そう、だね。きっと、いつかあいつの力も戻るから…。むりにとは言わないけど、できるならそうしてやってくれよ。」


すい、とルキアの背筋が伸びる。


「はい。勿論です。」


凛とした声が響いた。短い言葉に彼女の気持ちが全て込められていた。一心は垂れた目尻を更に下げて、にっこりと笑う。

「またね、ルキアちゃん。」

「おじ様もお元気で。一護のこと宜しくお願い致します。」


少しだけ振り向いて会釈するルキアに、一心は右手を挙げて応える。




斬魄刀で解錠すると、見慣れた丸い引き戸が現れた。



「行っといで。」



一心の言葉にルキアの顔が歪む。



「……はい…。」



消えそうな返事を残し、地獄蝶を伴ってルキアは引き戸の向こうへ消えた。



「三番目の娘、だろ?」



ひとり呟く一心はルキアが消えた虚空をぼんやりと見ていた。時間は既に4時近いが、まだ周囲は闇に包まれていた。


(夜明け前が1番暗いって…誰が言ってたっけなあ。)


昔聞いた話がふと頭をよぎる。一心は、ルキアに現世行きの任務を与えたであろう浮竹に心の中で感謝し、彼にとっても大切なものが詰まった我が家へと戻った。

*Fin*
got it on3/16
thanks forくーみん

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あきゅろす。
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