00≫≫PARALLEL
勿忘草
『スメラギ』―――かつては世界の敵として、そして時の流れと共に世界の真実を見詰めた救世主として人類の歴史に図らずも名を残す事になった女性の名を冠した超最新鋭外宇宙航行艦。
今や誰もが知るその人が実は英雄などではなく、愛する人を己の過ちで亡くし現実と向き合うために酒に溺れたどこにでもでもいる普通の女性だと知っていたのは、千二百ものクルーの中でただ一人、彼だけだった。
彼は無重力の中に身を漂わせるとその大きな艦の中を泳ぐ。
透けるほどの白い肌、大きな赤い瞳を彩る長いまつ毛と同じ深い紫の艶やかな髪。
誰もが一度はその美しさに目を奪われるが、しかし彼が何者かを知ると途端に興味を無くした。
ここに彼の本当の名前を呼ぶ者はいない。
知っている者さえ稀だ。
『ヴェーダ』
それが今の彼の呼称で、役割でもあった。
この巨大な艦の中枢には量子型演算処理システム・ヴェーダが備わっている。
現存するヴェーダの生態端末―――ノベイド―――の中で今は彼が最上位にあり、そして自由意思によってヴェーダとリンクが出来るのも彼のみだ。
それゆえに人類の為にと求められた必然がこの艦での役割と待遇であったとしても、彼は人間が好きだった。
時に愚かな争いを巻き起こし、間違いながらそれでもひたむきに生きている人間が好きだ。
その感情を教えてくれた人間を愛している。
永遠に忘れることのない人と仲間たちへの思いを胸に抱きながら、ただ人を見詰め生きていくことに何の不満もない。
このまま人の側で、けれども人とは二度と交わる事なく果てが見えない長い時を過ごしていくのだろうと、そう考えていた彼に変化が訪れる。
「ティエリア!」
今では殆ど呼ばれる事の無い自分の名前を紡ぐ耳触りの良い声音に視線を落とす。
皮肉に歪められた唇と射るような緑の瞳が彼―――ティエリアを待っていた。
ふわり、と近付けば柔らかく笑みをこぼしてティエリアを呼んだ青年は右手を差し伸べた。
その手を取って地面に降り立ったティエリアは、少しだけ困った顔をする。
この艦で自分を『ティエリア』と呼ぶのは彼だけで、そしてそれはとても異端な事だった。
ティエリアはあくまでこの艦のクルーではなく、アイテムの一つなのだ。
ガンダムマイスターであった頃から、もしかしたらその存在意義は変わっていないのかもしれない。
それでも過去には自分という存在を人と同じに見てくれた人がいた。
『お前は人間だ』と言ってくれた人。
『どんな姿でも好きだ』と言ってくれた人。
彼らの愛が、ティエリアにイノベイドとして人と寄り添い生きていく道を選ばせたのだ。
ティエリアに手を差し伸べた彼は、やはりその人達と同じようにティエリアを扱うので、少しだけティエリアは悲しくなる。
人として認め支えてくれた人の弟と、そして自分を好きだと言ってくれた少女の孫にあたる彼はその容貌は祖父であるライルの在りし日の姿に瓜二つだった。
スメラギのクルーに彼のデータを見付けた時は酷く動揺したものだ。
名前すら、同じだったから。
「…ニール・ディランディ。あまり僕と親しくしていては貴方が変に思われる」
ニールは『構いやしないさ』と笑う。
「俺がティエリアと居たいんだ」
ニールのティエリアを見る目は、まるで記憶の奥底にある彼を思い出させる。
そんな目で見ないで、とティエリアは思う。
ようやく和らいだ寂しいという感情を思い出してしまう。
自分が人ではないことに、彼がここに居ないという現実に、絶望してしまう。
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