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00≫≫PARALLEL
予感



結婚してから足が遠退いていたこの場所に妻を置いて一人で来たのは、何か予感があったからかもしれない。

緩やかな丘の上にあるその場所に行くのに、ずいぶんと時間が掛かった。

年は取りたくないものだ。

少し歩いては休み、痛む膝と腰を宥めながらようやく見えたその場所には過去と同じ風景があった。

ああ、やっぱり帰ってきていたのか。

肩に掛かる濡れたような艶やかな紫紺の髪が風に揺れるのに、いやあの時は雨が降っていたと記憶を修正する。

これほどまでに自分は、周りは変わったというのに、彼だけは懐かしく変わらぬ美しい姿をしていた。

心底妻を置いてきて正解だったと思う。

妻は幼い恋心を貫き、今でも彼に想いを寄せているのだ。

もう半世紀近く前になるか。
彼が愛した人の遺伝子をいつか帰ってくる彼の為に残したいのだと、十五も年の離れた彼女に告白された時には馬鹿な事を言うなと諭し、時には叱りつけ諦めさせようとしたが、それでも彼女の強い思いは変わる事なく結局俺は落とされてしまった。

互いに心の中に別の人を住まわせながらも、共犯に近い感覚と共に過ごす時間の中で生まれた愛着。

この年になってようやく年若い妻を愛していると言えるようになった俺は、もしかしたら彼に軽い嫉妬を覚えているのかもしれない。

自嘲気味に笑い、疲れた体を側の木に預けた。

過去の自分がそうしたように、佇む彼に声を掛けるつもりは無かった。

あの時もそうしたからだとか色々と理由は付けてみたが、結局の所、年老いた自分の姿を見られたくなかったからかもしれない。

不意に彼は顔を上げると真っ直ぐに前を向き、ピンと背中を伸ばした美しい歩き姿で立ち去った。

そう、あの時。
やはり彼は雨の中で泣きそうに佇み、そして雲の隙間から光が差すとその光に導かれるように顔を上げ、振り返る事なく立ち去ったのだった。

やれやれと、俺が二つの花を捧げる事が出来た時には変わりやすいアイルランドの空は厚い雲を呈していた。

雨が降りそうだ。
長居は出来ないな。

去年、小雨に降られて軽い肺炎を患った事を思い出す。

イノベイターではない自分には、そろそろ寿命というものを考えなくてはいけないようだ。

幸い、妻がいて子供も生まれ孫にも恵まれた。
上々の人生だ。

若い頃の俺に生き写しだと評判の孫はイノベイター因子を持って生まれ、先日嬉しそうに地球連邦の外宇宙航行プロジェクトのクルーに選ばれたのだと報告しに来た。

幼い頃から妻に聞かされてきた『アーデさん』に強い興味と憧れを抱いていたその孫の名はニール。

近い内に彼らは出会うだろう。

その出会いが彼らにとって奇跡をもたらす事を予感しながら。

『見守っていてくれ』と、彼が愛し祈りを捧げた兄と自分が愛した女性に語り掛ける。

そして俺は、来た道をゆっくりゆっくりと老いた足で歩みを進めた。

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あきゅろす。
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