00≫≫PARALLEL
愛を選んだ歓びを 6
―――灰色の世界は、宇宙に上がるとより一層色を無くした。
どこへ行っても同じ、衛生的で味気ない白い風景。
「どうかしら?ここの感想は」
戦術予報士…つまり俺の実質的な上司になるのだという豊かな巻き毛の美女が、俺を先導しながら尋ねる。
「同じ風景で迷いそうだ」
時折見える外の景色も同じだ、と肩を竦めれば彼女は俺の返答が意外だったのか、アーモンド型の瞳を丸くした後に『面白いのね』と笑った。
大人の女の少女のような笑顔に取り敢えずは上手くやっていけそうだ、と胸を撫で下ろした。
そして彼女―――ミス・スメラギに案内されて連れて行かれた先で、俺はその極彩色に出会う。
淡い色合いの服と白い肌と、それとは対照的な濡れたような艶やかな紫紺の髪。
そして眼鏡の奥から俺を見据える血のような深い赤の瞳。
「ティエリア、紹介するわ。彼が…」
『ティエリア』と呼ばれたその人は、ミス・スメラギの言葉を聞き終える前に形の良い唇を開いた。
「…ロックオン・ストラトス」
ただその美しい容姿に見惚れていた俺に、まるで洗礼を施すように。
ニール・ディランディに新しい命を吹き込むように凛と響く声で名を紡ぐ。
思えばその瞬間から、俺は生きる為にティエリア・アーデという存在を必要としていたのだろう。
燻る感情に名前を付ける事を恐れながら。
慣れた家に帰って安心したのか、喉がカラカラなのに気付きテーブルの上の水に手を伸ばすと、ティエリアが新しい水を持ってくると言うのを制してそれを一気に煽った。
生温い液体は、それでも俺の気持ちを落ち着けるのに十分だった。
ティエリアのナノマシンを移植する事により起こり得る可能性は予め知らされていた事だ。
ティエリアの体内で生成されるナノマシン特有の高い再生能力…そしてそれに伴う不老。
もしも俺の体に定着すれば、俺も人とは違う時間の流れの中で生きていく事になるかもしれない―――と。
あくまで可能性の範疇を出ないその『かもしれない』が現実になって動揺しなかったと言えば嘘になる。
しかしその瞬間、ティエリアがその事を知って離れていくんじゃないかと、それだけが俺の頭の中を占めた不安だった。
大きく息を吐き体をソファに深く沈めると、ティエリアは俺の前でまるで懺悔をするように膝を折った。
「…ごめんなさい」
何度も紡がれるその言葉に俺は辟易した。
「謝罪はやめてくれ…謝られるような事は何もされていない」
ティエリアが首を振るとさらさらと顔の横を髪が滑る。
俺の溜め息と共に訪れた沈黙が重く空気を淀ませた。
その沈黙を破ったのは、意外にもティエリアだった。
「…僕は貴方に救われて嬉しかった。だから何かを返したかったんです。償いじゃなく、貴方が喜んでくれる事を…なのに、上手くいかない」
困ったような笑みと共に紡がれた言葉の意味に僅かに驚き、胸の詰まる感覚が俺を襲う。
「だから…ごめんなさい」
真っ直ぐに俺を見る赤い瞳に愛しさが質量を増していく。
俺はティエリアを見くびっていたのかもしれない。
罪悪感ばかりを植え付けているものと思っていた。
ティエリアはそういう感情しか知らないと思い込んでいた。
ああ、もう駄目だ。抑えきれない。
手を伸ばしてティエリアを引き寄せた。
「ニール…?」
呟く名前を、緩く首を振って否定する。
「ロックオンだ」
耳の側で、ティエリアから息を飲む音が聞こえた。
「ロックオン・ストラトスだろ?ティエリア」
お前が俺にその名と命を吹き込んだ。
共に罪を背負う人と共に在る名前として、きっと相応しい名前。
「俺は―――お前を、愛してるんだ」
愛する人をその瞬間に失くす怖ろしさを知っている。
それでも愛する事をやめられない。
「あ、い…?」
よく分からない、と戸惑う声に微かに笑った。
それは予想の範疇で、しかし予想よりもずっと好意的に受け取る事が出来た。
「俺はお前と一緒に居たい。出来れば、これからもずっと。それじゃ…駄目か?」
大丈夫だ。
「―――ロックオン」
呟くようにティエリアは俺の名前を口にする。
「なに?」
抱き締めた腕を緩めて、その言葉を聞き逃さないように顔を覗き込む。
「ロックオン」
もう一度呟いて、それにも応えてやるとティエリアは嬉しそうに微笑んで、まるでそれが幸せの呪文であるかのように、繰り返し『ロックオン』と口にした。
何度目かの後、ティエリアは言う。
「…貴方を『ニール』と呼ぶ度、貴方が知らない人のような気がしていた」
「俺もさ…お前と一緒に居た俺じゃなくなりそうだった」
同じ事を思っていたのに、互いを思うばかりで擦れ違いを生んでいた。
腕を持ち上げ手の平を頬に添わせると、ティエリアはうっとりと摺り寄せてきた。柔らかな笑顔で。
「…こんな風に…笑うんだな」
知らなかったよ、と呟くと視界が歪む。
こんな簡単な事だったのに。
不老とはいえ不死ではない。
いつか思わぬ事でこの笑顔を失くすかもしれない。あの時のように。
しかしその恐怖を凌駕するほどの胸を締め付ける想いは、苦しくてどうしようもないのに、温かく全身を痺れさせる。
不安そうに見上げてくるティエリアに微笑んで見せたが上手くいかない。
不器用に引き攣る笑顔に『カッコ悪い』と心の中で毒づいて、もう一度抱き寄せる事で顔を隠した。
背中に回される手に全身が泡立つほどの恐怖と、縋り付きたくなる愛しさを抱えて、俺はその腕に応える。
俺たちにはこれから気が遠くなるほどの長い時間が待っている。
その時間の中でいつかティエリアはその感情を知り、俺はきっと心から感じる日が来るのだろう。
―――愛を選んだ歓びを。
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