00≫≫1st SEASON
愛は、枯れない。
その扉を開けた瞬間、いつもと変わらぬ日常に大きな変化が訪れた。
ベッドの上に我が物顔で鎮座する大きく、それでいてさほど重量を感じさせない赤い物体と、部屋を埋め尽くすオキシドールの匂いに似た花の芳香。
その正体は真っ赤な薔薇の花束。
花の間に差し込まれた『You are My Valentine』と金で箔押しされた花に似合いの上品なカード。
贈り主の名は無い。
ティエリア・アーデはそこに置かれた薔薇の色に良く似た赤い目を大きく見開いた。
乙女が夢見るような、そんなサプライズにティエリアはゆっくりと形の良い口を開き―――…
「万死に値する!!」
贈り主を罵った。
こんなものを恥ずかしげもなく何食わぬ顔で腕に抱えて人の部屋に無断で侵入できるような人物は、ティエリアの知る中でたった一人しかいない。
加えて言うならば、今日は二月十四日でバレンタインと呼ばれる日だが、こういったイベントは国柄が良く現れる。
だからマイスターやクルーの個人情報が秘匿とされ厳重に扱われているトレミーでは極力イベントは行わないのだ。
それをあろうことか規則の番人を体現するティエリア相手に堂々とやって退ける人物だってたった一人しかいない。
これがアイルランド式のバレンタインの方法かどうかなんてティエリアは知らない。
しかし、絶対にアイルランドではこういう事をするのだという確証があった。
ティエリアがアイルランド人であるロックオン・ストラトスの部屋に怒鳴り込みに行けば、ロックオンは『意外に早かったな』と呑気にティエリアを迎え入れた。
やはりこの人が犯人か。
ティエリアはどういうつもりだ、と怒りを露にして問うけれど、ロックオンは飄々とティエリアの質問を躱していく。
「色々迷ったんだ。お前さん、クッキーやマシュマロは他の奴にやっちまうし、ランジェリーは好みがある」
だからここはオーソドックスに…、とロックオンは話しを続けたが、ティエリアはといえば『ランジェリー』というワードに動揺し、怒りで赤く染めた頬をますます鮮やかにした。
「カードはわざと贈り主を書かないんだ。贈られた方が贈り主が誰かを当てるゲームみたいなもんだが………ティエリアはちゃーんとわかってくれたんだな」
仕舞いにはこのセリフだ。
ティエリアがバレンタインの意味を理解し、そしてティエリアにバレンタインのギフトを贈る人物はロックオンしかいないと、この突撃―――しかもロックオン曰く『意外に早かった』―――はティエリアがロックオンをつまりはそういう相手として認識している事を如実に表している。
「そ、それは…っ!」
潤んだ視線をあちらこちらに彷徨わせるティエリアの耳に、ロックオンの微かな笑い声が響く。
『からかわれている』と一度手放した怒りのしっぽを何とか捕まえる事に成功したティエリアは、計ったように抱き締めてくるロックオンの体温に、やはり怒りを手放してしまうのだ。
「それに…花だったら綺麗だし、枯れたら捨てちまえばいい」
抱き締められる心地好さに、うっとりとロックオンの背に回そうと上げた手を、ティエリアは不機嫌に下した。
まるで睦言を囁くような殊更甘い声音で『枯れたら捨てちまえばいい』なんて。
幸せの中にいても、不幸に対しての逃げ道を作ってしまう癖のあるロックオンにティエリアはいつも言い様の無い不快を覚える。
「愚かな人だ」
回すはずだった腕の代わりに、ロックオンにそんな言葉を投げた。
「ん?」
ティエリアの眼鏡の奥を覗き込む不思議そうな表情のロックオンは自身の心の闇をわかっていない。
「なんでもありません」
そっぽを向けば、その頬に、耳元に、それから唇の端に、ロックオンはご機嫌を伺うように優しくキスを落としていく。
くすぐったさに耐えきれずロックオンに顔を向けると、透き通る緑の瞳が間近にあってティエリアの心臓は高鳴る。
多分、心臓の音はロックオンに聞こえていた。
そのタイミングで彼は微笑んだのだから。
「Happy Valentine」
囁いて、唇にキスは降り注ぐ。
キスの最中、花の香りが鼻の奥に微かに漂った。
薔薇の花はオキシドールの匂いに似ている、とティエリアは思う。
例え薔薇の花が枯れて形を失っても、きっとオキシドールの匂いを嗅げばあの異様な光景を鮮やかに思い出せる。
―――僕の記憶力を舐めるな。
記憶の中の艶やかな花は枯れる事はない。
だから、捨てる事だって出来やしないんだ。
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