BASARA≫≫SHORTSHORT
鬼に衣
いつもは屋敷で上ばかりを―――たいていは日輪を―――見上げている元就が珍しく足元を見下ろしている。
そこには人の屋敷で呑気に昼寝をしている元親の姿があった。
自分の足元に人が転がっている。
しかもその人間は生きているという状況をあまり経験した事が無いので、元就はしばらく思考を止めた。
予期せぬ出来事には弱いのだ。
それが『驚き』という感情だと認識すれば、あとは目の前に転がる男に呆れるしかない。
まさか他国の国主の屋敷で眠りこける愚か者がこうも身近に居るとは。
寝首を掻かれても文句は言えまい。
この状況で寝首を掻く事が出来る元就には、今の所その気が無いのだけれど。
さて、これをどうすれば良いのか。
跨いで向こうに行くにはあまりにその障害物は大きい。
しかしわざわざ迂回してやる義理も無い。
そもそもここは自分の屋敷で、元親は招いてもいないのに居座るただの厄介者なのだ。
元就からは横向きの姿勢で眠る元親の背中が見える。
見れば見るほど大きな体躯に本当に自分と同じ人間なのかと訝しみ、直後に『ああ、これは鬼だったか』と思い直す。
いっそ蹴り付けてやろうかと思案していると、横を向いていた元親がバタンと派手に寝返りを打ってこちらに倒れて来たので思わず一歩引いてしまった事にさえ腹立たしさが募る。
いよいよその腹の上を渡ってやろうかと思い、ふと元親の顔を見ると顔の半分を覆う眼帯が目に止まった。
海賊は暗い海の上でも夜目が利くように普段から片目を日の光から隠すと言うが、元親もそれに倣っているのだと聞いた事がある。
しかしその下は頬に掛けて傷が走っているとも、左の目の色が違うとも聞いた。
一体どれが真実なのか。
もしかしたらどれも違うのかもしれない。
元親を慕い、元親が『野郎ども』と呼び親しんでいる部下たちでさえ真実を知る者はいない。
そもそも傷やら目の色が違うといった噂は元親を英雄視している部下たちが広めているのだ。
そんな噂ばかりが悪目立ちして真実を隠している。
元就は好奇心から元親の傍らへ膝を付き眼帯にそろりと手を伸ばした。
なめした革の柔らかい感触が指先に触れその秘密を暴こうとした瞬間、不埒な手は強い力で動きを封じられた。
「…っ!?」
眠っていた筈の元親の右目は不覚を取った元就を捉えている。
「そんなに気になるかい?」
元就の右手を掴まえたまま元親は体を起こす。
はっきりした元親の様子は、目を覚まして暫く経っている事を示していた。
「狸寝入りとは…悪趣味ぞ」
「あんたがあんまり熱烈な視線を寄越すもんでよ。―――で?気になるのかい?コイツの下がどうなってるのか」
元就の目の前でトントン、と眼帯の丁度隠れた目の上を元就の手を掴んでいない右手の指で小突いた。
「今、興味が失せた」
くく、と元親が喉の奥で微かに笑った。
「別に勿体ぶる様なもんじゃねぇ。見たかったらいつでも言いな」
見せてやるよ、と掴まえた元就の手を眼帯に沿わせて、元親は元就の手を解放した。
易々と見せられるものであれば、あれだけ噂が広がる筈はない。
それを元就にはいつでも見せると言う。
それは誠意のようにも見える。
「我に懇願せよと申すか」
しかし元就が自分に何かを請う事を元親が望んでいるのも事実だ。
「さてな」
眼帯に隠れて元親の表情は見えない。
もしもその眼帯が無く両の目が見えていれば―――例え目が無くとも表情で―――その真意を知る事が出来るであろうに。
儘ならぬ、と元就は元親から目を逸らせ上を仰ぎ見た。
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