BASARA≫≫SHORTSHORT
優しい悲劇
初めて『それ』を見たのは、政宗様が連れて来た京の男が自ら選んだ部屋でうたた寝をしていた時だった。
そこは城の中でも日当たりの悪い部屋で、あの男の性質ならばもっと日の当たる部屋を選ぶだろうに………と僅かに意外に思ったものだ。
だから少し気になっていたのかもしれない。
そこを通り掛かる瞬間、薄く開いた襖の向こうに萌黄色の着物が視界の端に入った。
そっと覗くと、仰向けで後頭部に組んだ腕を枕に寝るその男の、それこそ枕元。
男の顔を覗き込むように身を屈めた『それ』は、男に語りかけるように口を動かしていた。
白い頬にさらさらと落ちる色素の薄い髪。
声は聞こえなかったが、『それ』の横顔があんまり端正な造りをしていたから、俺は色男が捨てた女が化けて出たか、と思った。
が、すぐに違うと考えを改めた。
『それ』が着ている着物は、上方の大名が好んで着るそれで、女物では無い。
誰だ―――?
考えを巡らせていると、『それ』はすぅ…と消えた。
そのすぐ後、あの男と共に政宗様が城から抜け出し、色々と面倒が重なって『それ』の事はすっかり忘れていたのだが………。
それは、政宗様が(勝手に)結んだ同盟国の国主を連れて帰って来ると、すぐに思い出す事になる―――。
「前田の野郎がおかしな事を言っていた」
俺の小言から話題を逸らす為だろう。
政宗様はこちらの言葉を遮り話し出した。
「この城で昼寝をしていた時、四国の長曾我部と同盟を組めって…『声』が聞こえたらしい」
面白い話しだろ?と口の端を上げて笑う政宗様に、俺はあの萌黄色を思い出した。
やり方は褒められたものではないが、確かにそれは最善の策でそれを前田の風来坊が自ら思い付くとは考えられない。
「………」
「オイ、小十郎。どうかしたか?」
黙りだした俺を訝しんだ政宗様が聞くのに、俺は『何でもありません』と政宗様の側を離れた。
あれは一体…何者だったんだ。
何故、伊達に味方する様な事ばかり…。
あの美しい横顔が、俺の脳裏に焼き付いて離れない―――。
文机に地図を広げ思案に暮れていた。
『天のとき』を作り出すのは生半可な事では無い。
我らが伊達軍、そして長曾我部の軍とからくり。
確かに充分な兵力だ。
だがあと一つ。
確実に勝つ為には何かが足りない。
あちらで騒ぐ宴会の声が遠くに感じる―――と、地図の上に白い手が現れた。
驚いて咄嗟に視線を上げると、あの前田慶次の元に現れた『それ』が文机を挟んだ向かいに座っていた。
やはり正面から見ても端正な顔をしている。
声を掛けるべきか否か。
次に行動を移せない俺をまるで気にしていないそぶりで、『それ』は地図を指した。
優雅とも言える所作で指し示したのは甲斐と越後、そして三河だった。
「………!…確かに、その三国を動かせれば…いや、しかし今から同盟を結ぶなど………」
時間が無い。
何よりこちらの申し入れに易々と乗るとは到底思えない。
すると『それ』は首を横に振った。
同盟を結べという訳では無いのか?
では他にこの三国を動かすには………。
「そうか…豊臣奇襲の情報を流せば………甲斐の武田と越後の上杉がその期を逃す訳がねぇ。武田が動けば、隣国の三河が動くって事か…!」
俺が導き出した答えに、頷く『それ』。
「あんた………一体…」
言葉を出す事が出来ないのか俺の質問には答えず、今度は四国と瀬戸内海に触れた。
まるで慈しむかのような手つき。
そして『それ』は俺に視線を寄越すと、深々と頭を下げ、初めて見た時と同じ様にうっすらと消えた。
後に扇が残されていた。
その扇は地図の中国に置かれてあって、俺は『それ』の正体を知った。
その男は智将と名高く、萌黄の着物を好んで着ていたという。
ほんの一月程前に長曾我部元親に討たれた男。
―――成る程、全ては伊達の為ではなく長曾我部の為だったと言う訳だ。
毛利元就という存在を失い、今や統治する者を失しなった中国は荒れに荒れ、瀬戸内を介して四国にまで影響が及んでいるらしい。
この状態では豊臣は簡単に中国を治め、そのまま四国に。
冷徹怜悧で知られたその男。
そんな噂を信じられはしない。
死んで尚、四国を…長曾我部を守る堰となり、自分より身分の低い俺にすら頭を下げる。
生前から愛用していたのであろう使い込んだ様子のその扇は、紫に銀の箔が押されていて、悲しい程にあの西海の鬼を思わせた。
急に近くに感じる宴会の声。
その中で豪快に笑う長曾我部の声が、憎く感じた。
「…ふざけんじゃ、ねぇぞ…」
事は計算通りに運んだ。
政宗様は「天下一の軍師はやっぱりお前だ」と喜ばれたが、俺は曖昧に笑うしか無かった。
長曾我部の船で奥州に送り届けられる間、鬼の笑顔を疎ましく感じる俺が居た。
連日の宴会の中、酔う気にもなれず溜め息を吐き、甲板に出て扇を広げてみる。
政宗様と長曾我部が対峙した時が、あの美しい幽霊を見た最後になった。
政宗様の牙は確かに鬼のど真ん中を喰いちぎった筈だった…が、結果は脇腹をえぐっただけに終わった。
刃が触れる瞬間、俺は確かに長曾我部の傍らにあの萌黄色を見た。
一方的な約束だったが、一応は守ってやった事になる。
別に俺が生かしてやった訳じゃねぇが。
「綺麗な扇だな」
声を掛けてきたのは、長曾我部だ。
後ろから覗き込む様に扇に視線を投げる長曾我部は、少し酔っているのか上機嫌で酒の匂いが強くした。
間抜けな顔だ。
それでもあんたは、この男の為に尽くした。
―――本当に、それで満足か?
「…やるよ」
扇を一瞥し、半ば押し付ける様にくれてやった。
「良いのか?」
嬉しそうな顔しやがる。
「元々俺のモンじゃねぇ、あんたが持ってた方が喜ぶだろう」
「どういう事だ?」
「―――あんたは幽霊の類を信じるか?」
「ああ、もちろん」
意外な程あっさりと信じるが、海の上では陸よりもそういった類に遭遇し易いと本で読んだ。
大方、こいつも実際に見た事くらいはあるのだろう。
「そいつぁ、ある幽霊が頼み事と一緒に押し付けてきた品だ」
「これが?」
「ああ、あんたを死なせないでくれってよ、俺に頭を下げた」
「誰だ…?それぁ…」
訝し気に長曾我部が俺を見る。
言うか、言わぬか。
微かに迷い、俺は言う事にした。
「―――毛利元就だ」
「!?」
「前田慶次を使ってあんたの所に政宗様を連れて行ったのも、豊臣との喧嘩に武田と上杉をおびき寄せたのも、全部あんたを助ける為に毛利が仕組んだんだ」
長曾我部を詰るような色が込められているのが、自分でも分かった。
「馬鹿な……何でだ…」
信じられねぇ、といった顔で扇を見詰める。
「さあな?まぁ、信じないならそれで良い。俺のヨタ話だと思ってくれて構わない。だが、俺はあんたが笑ってのうのうと生きてんのが、どうにも腹立たしい」
長曾我部の手の中、広げた扇のその紫に、パタパタと雫が落ちた。
―――そうだ。
悔いれば良い。
たった一時でも。
明日からまた笑って生きていくとしても。
視界の隅に長曾我部に寄り添う萌黄色を映しながら、白んだ空を眺めた。
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