ひと夏の経験
「なに怒ってんのよ」
「怒ってる?誰が」
「あんたでしょあんた」
リビングにいるのはどう見ても2人だけ。他に誰かいるっていうなら言ってみろ!悲鳴上げて飛びついてやるから!!
いつもへらへらしているようでその実本音をひた隠すのが冴羽僚という男である。だが、一緒にいるうちに本心を感じ取れるようになったのは、決して香の勘違いではないはずだ。
今日の僚はすこぶる機嫌が悪い。正確に言うと、昼食をとったあと、向かいの外国人男性がやって来てから。
「ミックがなにしたってのよ。話してただけじゃない」
「あー、そうだな。勝手に人んち上がりこんで来て晩飯時までうだうだ愚痴ってただけだよな」
「…なんでそんな喧嘩越しなのよ」
半眼で睨み付けた。内心、ため息をつきたいところだったのだけど。気持ちがわかっても対処ができなきゃ意味がないわよ…。
すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含むと、いつもより苦く思えた。
「相談されたら、聞いてあげるのが友達でしょ?」
「…ああ、そうだな。俺には単なる惚気にしか聞こえなかったけどな」
ミックの悩みというのは、かずえに初めて貰ったプレゼントをなくしてしまった、というものだった。
さんざん探したが見つからない。同じものを購入しようにも有名なブランドのものではなく、かと言ってその辺で売っている安物ではないし完全にお手上げ状態だと。「最近使ってくれないのね…」と寂しげな瞳で見つめられたらもうどうしていいか!
そのあたりまで話したところで興奮したミックが香に抱きつこうとしたのを僚が力技で阻止したのだった。
確かに惚気とも取れなくはないが、本人は至って真剣に悩んでいる様子。自他共に認めるお人好しが放っておけるはずがなかった。
「まぁ惚気云々は否定しないけど…だからって何であんたが怒るのよ!ちゃんと解決させたでしょ?」
香がそう口にした瞬間、僚が物凄い早さで振り向いた。
「あーそうだな!あっちは円満解決だろうよ代わりののライター手に入って!!」
あまりの勢いに、思わず背筋がピシッと伸びる。反動で腕まで動いたせいでカップからコーヒーがこぼれてしまった。
「い、いいじゃない。相談受けてた時間、無駄じゃなかったでしょ」
少し気圧されたが、負けじと言葉を返せば、僚の眉間の皺はますます濃くなった。
切々と悩みを語るミックのために香が差し出した解決案は、真新しいライターだった。箱の中に収められたそれは指紋ひとつついていない新品で、そしてかつてかずえがミックに贈ったものと同じ型。
「これで大丈夫よね?」と微笑んだ香に、ミックは涙ぐみながらお礼を言い、キスをしようとして僚に殴られていた。
…とまぁ、再三セクハラを働こうとしたミックに苛ついたのだとしても、僚がここまで不機嫌になる理由が悩み相談の一連の流れにあるとは到底思えない。
「円満解決、上等じゃないの」
「おまぁな…ありゃ俺んだろうが!俺に渡す前に他の野郎にプレゼントしてんじゃねえよ!!!」
その言葉に、香はもとより叫んだ本人も固まってしまう。今なんて?
だんだんと赤みが増してきた頬に手をやって呟く。何だか恥ずかしくて目をそらした。
「…知ってたの」
対する男の顔もほんのり色づいているが、開き直ったのか勢いは変わらない。ただ僅かに早口ではある。
「ったり前だろ!タバコを吸わん奴がライターなんざ自分用にゃ買わんだろうし、今、何月何日か考えたら一発でわかるっての!!」
「あんたにとは限らないじゃない。もしかしたら他に」
「あり得ん」
自信過剰よ、とは言えない。その通りだから。
香はため息をついて外した視線を僚に戻した。まさか本人にばれているとは思わなかったが、いくらミックが気の毒だったとは言え僚のために用意したプレゼントを譲るのは良くなかったかと、今更ながら後悔する。
「悪かったわよ。ごめん」
「…もうするなよ」
「うん」
しおらしい香の姿を見て、ようやく僚の目が細くなった。
小さな頭に手をやり茶色い髪をくしゃりと撫でてそのまま胸に引き寄せる。
「あいつも空気読めよなぁ。わざわざ当日に邪魔しに来んでも…」
「それだけ必死だったのよ。…でも、本当ごめん。お祝いの準備出来てないし、プレゼントもなくなっちゃったし…」
「ま、いいさ。もともと一緒に過ごすのがプレゼントだったんだし」
つい先ほどまで不満たらたらだった男が寛容になると申し訳なさが募るから不思議だ。
居たたまれなくて言ったのは。
「じゃあ、代わりになるかわからないけど、1つだけ言うこと聞いてあげるわ」
「へ」
「…別に思いつかなかったらいいのよ!」
きょとんとした表情で見下ろしてきた僚に、突拍子もないことを言ってしまったかと焦る。すかさず言い訳したがフォローになっているのか疑問だ。
1人あたふたしていたから、何とも嬉しそうな笑みを僚が浮かべるのを香は見逃した。
「…そうか。なら、女の子の一番大切なものを貰おうか」
「え?何?」
「ボクちゃん幸せだな〜」
聞き返すのと視界が急に変わるのはほとんど同時だった。
ソファーに座っている時よりはるかに、立ち上がっているときより少し高い位置から見下ろすリビング。
つまり、香はあっという間に僚に抱き抱えられていた。いわゆるお姫さま抱っこというやつである。
「え、ちょ」
「いいからいいから。誰でも一度だけ経験するんだよ」
「ちょ、待っ、待って!待ってってばー!!!」
待ってくれるような相手ではないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。
******
香ちゃんはかずえさんにお店を教えてもらって、たまたま同じライターを用意してたのでした。
「あら!それミックにあげたのと同じだわ」
「本当に?僚にぴったりだと思ったんだけど。…やっぱり、あの2人、なんだかんだいって似た者同士だから」
「ふふ。そうね。けど、それを言うなら同じプレゼントを選んだ私たちも似た者同士かもよ?」
「そうかも」
「なんたって、同じ男に惚れたんだもの」
「!…ッ、ど、どうゆう!!?」
「…ぷッ!やーねぇ!昔の話よ、昔の!今はミックしか目に入らないの!!!」
な〜んて、かずえさんにからかわれた事でしょう。
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