どうして君を好きになってしまったんだろう
ごくたまに、考えることがある。
ーカラン…
ドアベルが鳴り、店の外へと香を送り出す。遠くなる後ろ姿は凛としているが、葉を全て落とした真冬の木々のように強さの中にも寂しさが感じられる。
ごくまれに香が見せるその雰囲気に気づく者は僅かだろう。だから、気づいてしまったからには一言物言いたくなるのだ。この馬鹿男に。
「…おい、僚。貴様今度は何をやらかしたんだ」
「は?なんの言いがかりだよ」
薄く笑いながらカウンターの下から這い出す男が1人。香がいる間は息を潜めていたものの、その必要がなくなった今や堂々とカウンター席の中央、いつもの指定席に陣取った。
ツケも払わないくせに偉そうに。この態度は非常に気に食わないが、問題はそこじゃない。
「妙に落ち込んでたろう。香がへこむと言えば、お前が絡んでるに決まってる」
再び尋ねる。僚に効きはしないとわかっているが、威圧感を増して。
一瞬、僚の目が丸くなり、声を立てて笑った。
「ははッ。海ちゃんは香研究家ですかってね」
「真面目に答えろ。香とは他人じゃないからな。貴様にまかせておくとおちおち安心できんわ」
皿を棚に戻し、カップを並べ、スプーンを磨き。それでも意識はごろつきに。
海坊主の性格上、他人の色恋に干渉する事は良しとしない。しかし、香と僚の場合は別である。香はトラップの弟子で且つ大事な友人だし、まぁ、不本意ながら僚も同じような存在であるからだ。
「俺は、なぁんもしてないよ。俺はね」
「…」
笑んだ相貌に潜む凄み。
僚は、少し変わったと。海坊主が思うようになったのはいつからだろうか。
「…確か、同窓会があると話していたが」
自分でも気がつかないうちに、慎重に言葉をつなぐ。
「仕事柄、表の世界にいる友人に近況を報告できないし、素性を知られてお前に迷惑がかかってもいけないから、参加しないそうだ」
「…ふぅん」
生返事のような相づちだが、目が見えなくてもわかる。
「やけに嬉しそうじゃないか」
香の世界が狭まることが、そんなに?
立ち去る彼女の寂しげな気配が甦る。非難するように名前を呼んだ。
「僚」
「俺は何も言ってない。あいつが判断して決めたことだ」
遮るように話し始めた僚の口調は、不自然なほどにはずんでいる。カラン、と溶けた氷がグラスの中で音を立てた。
「けどな、」
ああ。
「あいつを外に放すつもりはねぇから」
いい傾向じゃねえの?と。
喉の奥でくつりと笑う昔なじみ。
ああ。僚が変わったのはいつからだろう。
「俺の手のひらにおさまってる感じ、最高だな」
「……お前は香を」
どうしたいんだ。
なぜか、問いを最後まで口にすることは出来なかった。カウンターの向こう側で、グラスを傾け水を飲み干す姿をただ見つめる。
「じゃ、ごっそさん」
ーカランコロン
ドアベルが鳴る。が、扉はまだ閉じない。
「…ごくたまに、思う」
背中ごし僚が呟く。
「大事な預かりもののままだった方が、幸せだったのかもな」
海坊主には言うべき言葉が見つけられない。
やがて、扉は閉じた。
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恋に盲目。
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