愛情一粒21円
企画フリー再録
依頼が入ったのは風の強い午後だった。
暦の上ではどんどん春に近づいているというのに、上着をしっかり着込まねば出歩く勇気を持てない2月の頭。外は寒くてもここのところコンスタントに入る依頼のおかげで懐は温かい。
アパートを出るときに見たカレンダーの日付を思い出し、しばらく依頼が途切れないかしらと贅沢な希望を胸に掲示板の前に立つと、目に入るのは「XYZ」。
しかも、女性の字だわこれは…。
この時点で嫌な予感はしていたのだ。長引きそうな依頼かもとか、やっかいな内容かしらんとか、例によって美人よねとか、とか、とか!
それがどう?見事的中だわよまったくもう!!!
ガラスが入っていない窓からは北風がもろに入ってくる。香は1人、廃ビルの一室で膝をかかえていた。
依頼人を狙う輩に香だけが捕らえられ、見も知らぬ場所に連れ去られ長時間の放置プレイ。命に別状がないからいいけれど。
天下のシティーハンターのパートナーという立場上、こういう状況には慣れている。正攻法で僚に適わないと判断した敵が香に目を向けるのはよくあることで、抵抗むなしく囚われてしまうことも珍しくない。むしろ、自分が適う相手かどうか見極める目が育った今、無駄な抵抗をしなくなり、スムーズに現在の状態となったのである。あはん。あたしゃ人質のスペシャリストよ。不名誉だわクソ!
「は…くしゅッ!」
監禁されるときにほとんど逆らわなかったため拘束こそされていないが、打ちっぱなしのコンクリートに吹きさらしの風は確実に香の体温を奪う。せめて毛布くらい提供してもらえるよう声を張り上げようとした矢先、扉が開いた。
「よぅ香。いい子で待ってたみたいだな」
「遅いわよバカ。風邪ひいちゃうじゃないの」
毒づく先には相棒と彼に寄り添って立つ依頼人。あなたまで来てくれたの?いやだ腑甲斐なさ爆発しちゃうわ。
「…はっっ…くしゅ!!!」
「げ!おまー俺にうつすんじゃねえぞ!」
「うるさ…くしゅッ!くしゅッ!はっくしゅ!!!」
立て続けに出るくしゃみに、心配した依頼人が背中をさする。
(優しい人。それに比べてこいつは…)
恨みがましい目で僚を見やれば、そこには意外に真剣な瞳があり香を動揺させる。心配してくれてるの?
「おまーはくしゃみまで色気ないのな」
デリカシー皆無の男をハンマーで潰し、出口へと急ぐ。
外はもう真っ暗だ。もしかすると深夜に近いのかもしれない。時計を身につけていないので確かな時間はわからないが、スーパーなどは確実に閉まっているだろう。
ため息が出た。嫌な予感はしてたのよ嫌な予感は!
敵は片付いたし、依頼は無事解決。後は彼女を送るばかりなりと楽しげに女の肩を抱いて去って行く僚を横目で見ながら、1人家路につく。
香がついて行かないのは依頼人への気づかいだ。依頼遂行中に僚に想いを寄せるようになった彼女は、おそらくその気持ちを告げるのだろう。その場に自分はいるべきでない。そもそも聞きたくないし。
だが、香の気分を最も重くさせたのはまた別のことだった。
「用意できなかったなぁ」
珍しく途切れることなく依頼が舞い込むから、嫌な予感がしていたのだ。
もしかしたら、チョコレートを用意する暇すらないのではないか?
「…バレンタインなのに」
僚がイベントにこだわる性格ではないことはわかっている。それでも年に一度の機会、気合いを入れたいのが女心である。毎年なんとかやりくりしてプレゼントしているチョコレートだが、今年はお休みせざるを得ないようだ。
金銭面では余裕なのにと思うとまた悔しい。ただ、財布を持たないまま誘拐されたから今は無一文なんだけど。コンビニで調達することすらできないわけねあたしは。
しかも渡したい男は違う女の元にいる。
「バレンタインなのになあ」
「バレンタインがどうした?」
独り言というには大きい声で呟くと、いないはずの男が応えた。は!?
「なんでいるのあんた!?」
「帰り道だから。僕ちゃんベッドが恋しいの」
「だって」
「ちゃんと送ってきたよ。…で、香ちゃんは今日はなに悩んでんのかなー?バレンタインがなんだって?」
なぜ渡したい相手に渡せない相談をしなければ?なんの嫌がらせだろうと思いながら、考えることにも嫌気がさし香は事実をありのままに話す。
「…バレンタインなのに、チョコが用意できなかったの」
「ふーん。いいんじゃね?」
「こッ!このやろう、そう言うと思ったわよ!プレゼントしがいがないんだから!!」
「別にくれなんて言ってないだろ!どうせ山ほどもらうんだし…怒るなよ香」
香の横顔に怒りより哀しみを見つけ、頭をかきながら打開策を探す僚。
「じゃあ明日くれたらいいだろ」
「明日じゃ意味ないの。今日!あげたかったの!」
助け船に乗りもしないよこのお嬢さん。もともといいアイデアが出るはずもなかったと、僚は早々にさじを投げた。
「じゃあ、どうすんだ。どうしたいんだ?」
「お金貸して僚!そしたらそこのコンビニでチョコ買ってきて渡すから!!」
いくらイベントにこだわらない男でもそれは嫌だ。
「…なんかそれは違うんでないの香ちゃん。だいたい俺だって100円しか持っとらん。」
「…」
「おい香」
香の頭の隅に、何をそんなにこだわるのかと問う自分がいる。馬鹿みたいだとも思った。だが普段素直になれないぶん僚への気持ちを表せる機会は貴重で、もうどうしようもないと思えば悔しく思う気持ちはもっと頑なになっていく。
「しょうがねえな。待ってろ」
下を向いたままの香には、僚がどんな顔をしてそう言ったか分からなかった。自分の子どもっぽい拗ね方で怒らせてしまったかと、焦って僚の姿を探す。
耳に入ったのは明るいチャイム。
ほどなくして自動ドアが開き、やけに明るい照明が目にチカチカするコンビニの店内から、僚が出てきた。手に袋は持っていない。
「ほら」
「…?」
手のひらに落とされたのは、一口サイズより少し大きいサイズのチョコレート。ピンク色の背景にビスケットのイラストが中心にあるパッケージが可愛らしい。
「僚、これ」
「アメリカにいたときはな、バレンタインデーってのはカップルの場合、男が女に贈り物をする日でな」
怒らせたかと危惧した男は、怒りとは程遠い表情で香に語りかける。
「こっちに来てからはもらうばっかりだったから、今回は特別だぞ」
「え」
「別に!おまーと俺はカップルとかじゃないけどな!」
「う、うん」
「…ま、ホワイトデー期待してるからな」
ほんのり顔を赤くして頬をかく僚。馬鹿。あんたみたいな大男がそんな仕草したって可愛くないわよ。
けれど、たまらなく愛しくなる。
どうして普段はただのもっこり馬鹿なこの男は、こうも大人なのだろうか。香がバレンタインに込める思いもみなわかっているに違いない。あたしはあんた好みのもっこりちゃんじゃないのに、こんなに優しくしてどうするのよ。
「うん。期待してて」
ホワイトデーこそ、腕をふるうんだから。だけど、このままじゃ女の立つ瀬がないじゃない?
ここは日出る国、日本だもの!
「僚」
先を歩く男を呼び止める。振り向いた顔を引き寄せ、爪先立って接触。
頬を押さえたままあっけにとられた表情の僚を追い越し、アパートの階段に足をかけた。
「ありがとう!」
自分がしたことを考えると、お礼は背中越しにしか言えなかった。
嫌な予感?終わってみたらわりといい日!!!
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展示してた状態からちょいいじり。
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