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閻魔刀



――どうしてこうなったのか、叶うなら自身にとっては短かった一般的な、当たり前の『日常』に戻りたいと切に願う。

今、何故自分は目の前の銀髪の男に床に押さえ付けられ、首筋に噛み付かれ血を啜られなければならないのだろう。
自身の持つ『力』のせいなのか、それとも倒れた彼を助けた事がそもそもの間違いだったのか。
涙の粒が幾つ頬から流れ落ちたか等、考えている余裕は皆無であった。

血を失ったせいか、思考がぼんやりと鮮明さを無くし視界が白く滲む。

――このままでは殺される。
自分の願う未来を手に入れる事も出来ないまま散る事はまっぴら御免だと、名前は恐怖と痛みを堪え、薄らぐ思考に叱咤しながら最後の力を振り絞った。

「……やめて!!」
精一杯に喉を震わせ叫ぶ。室内に突然響いた女の声に、男はほんの一瞬動きを止めた。
「……こんな事を…したって、力は手に入りません」
名前がそう続けると男は首筋から顔を離すと唇に付いた血を舐めとり、彼女を見やった。
「無意味です」
負けじと睨み返し、名前は言う。
「ならば、俺を癒やした貴様の力は何だというつもりだ」
今現在も、名前の血の影響で力が漲り、失った魔力すらも満ちているというのに。

「それだけ、です。私の『力』で他人に出来る事は癒やす事だけ……『力』そのものを、誰かに与える事は……でき、ません……」
力を得たと思ったのは、あなた自身が無くした力が戻っただけだ。分かったなら後生だから放っておいてくれと、名前は続けた。
自身の『力』に関しては、もう一つ隠している事があるが、それは命に関わる為名前は口にしなかった。

言い終えると、貧血からぐらぐらと意識が揺らぐ。気分が悪く一つ一つの言葉を上手く話せているかすら分からない。
ただこの男を何とかしなければならないと、名前は必死に堪える。

「ならば貴様に用はない――死ね」
「っ…!!」
しかし発言が裏目に出たのか男がそう言い手を掲げた。
名前は怯み思わず瞳を固く閉じ、自由になっていた両腕で顔を庇う。
だが、何時まで経ってもこれ以上の痛みは襲っては来なかった。

名前は恐る恐る薄目で腕の隙間の男に視線をやると、彼は驚いた様子で男はただただ、先程掲げた手のひらを見詰めている。
相手が相手だけに始めて見せた表情にどうしたのかと胡乱げに見詰めていると、男はぽつりと
「閻魔刀……」
と零した。
(……やまと?)
それは聞き慣れた単語だった。名前は現在は人目に付かないこの場所で暮らしているが、東洋の日本生まれである。
過去に日本は大和‐ヤマト‐との別名でも呼ばれており、何より名前が一番気になる事。
それは嘗て、名前の先祖がかの伝説の魔剣士、スパーダに捧げた魔刀がこの名を冠していた事だ。

この男は自分を殺そうとした時、武器を出す様な素振りを見せた、もしかしたら――

しかし、この男は日本やその魔刀『閻魔刀』とは無関係に思えた。だからこそ何故あの名を口にしたのか、何か関係があるのか、分からないが故に気になってしまう。
もし深く関係があるのなら、名前は彼に渡さなければならない物があるからだ。

「あ、あの……」
「くっ!!」
名前が問い掛けようとするが、男は突然低く呻くと更に表情を歪め頭を抱えた。息は浅く荒く、額には汗が滲んでいる。
男の状態が急変し、名前も辛い状態ではあるがどうしたのかと困惑してしまう。
そして彼はそのまま名前の横にどさりと倒れ込んでしまった。
青の瞳は再び瞼に遮られ、指先一つ動かない。

名前は未だに少量ではあるが、出血する首筋を手で押さえながら男の様子を窺う。
発汗が酷く呼吸が浅く速い、そしてふいに空いた手で彼の額や首筋に手を当ててみた。
「……熱い」
男の身体は燃える様に熱く、発熱していた。

名前はまだ貧血の影響で思う様に身体を動かせないが、何故だがあれだけの事をされながら、閻魔刀の事もありこの男を放っておく事が出来ない。
(そう言えば……)
名前はふと、思考を巡らせる。
そうして気が付いた、あの時この男に首を絞められ確かに気を失った。だというのに、次に目を覚ました時は自室のベッドであったのだ。

『力』を寄越せと、だからこそ殺さなかったとこの男は言っていたが、ならば何故生かしこそすれ家に、しかもベッドにまで丁寧に運んだのか――
(……分からない、でも)
この男は殺す機会を一度は見送り自宅まで運んだ事は事実で、殺されそうにもなったが結局は未遂に終わっている。
極めつけはあの言葉。

色々とこの男には確認するべき事がある、名前はそう思った。
ならばするべき事は、突然熱を出し倒れたこの男の介抱である。
再び助ける事に一度目よりも不安や恐怖は大きかったが、もう決めた事だ。覆す事は自分自身が許せない。

「ん……痛っ」
名前は徐に起き上がり、ふらつく足でベッドにまで歩み寄るとシーツと枕を掴み、手繰り寄せた。血が少しばかり付着してしまったが、この際背に腹は代えられない。
そのシーツをばさりと男の身体に掛け、頭を枕に乗せてやる。出来るならベッドで休ませてやりたいが、名前一人の力では男一人移動させる事は不可能だ。

「次、タオル……水を汲まないと」
壁に手を尽きながら、名前は膝立ちをし、擦る様に進みキッチンに向かう。
井戸水を汲み置きしていた物とタオルを桶に入れ、零さない様慎重に自室へと戻った。

男の側に座り、水に浸したタオルを絞って男の額に乗せてやる。僅かだが、苦痛の色が消えた気がした。
(知らない人、しかも自分を殺そうとした人の看病なんて……何してるんだろ、私)
自嘲しながら、名前も本調子ではないというのに甲斐甲斐しく男の世話を焼く。
酷い目に遭ったというのに、今だけは風邪を引いた子供を看ている様だ。
とうに失った母も昔、こうして付きっきりで看病をしてくれていたと、幸福と悲哀の色を含んだ笑みが一つ零れた。

(さ、私も休まないと……)
貧血の影響で暫くは動けそうにない。
立ち上がれば確実に目眩を起こすだろうと、名前は座ったまま瞳を閉じ休息を取る。
瞳を閉じると、今まで意識していなかった外の音が良く聴こえた。

烏がよく鳴いている、瞼越しに感じる陽の光も昼のそれより弱く赤い。いつの間にか夕方になっていた事に気が付いた。
と、気付くと同時に名前を眠気が襲う。
眠ってしまいたいのは山々だが今は眠る気になれず、もし眠ってしまったとして男が先に起きた場合、また危害を加えられる可能性が高い。

結局名前は閉じた瞳を開け、眠気を誤魔化す為に目を擦りながら男のタオルをこまめに換える事を選んだ。
(彼が目覚めたら、何から尋ねよう……)
そう考えて、まだ自分が男の名を知らない事に気が付く。
最初の質問は名前を尋ねる事に決めた。
彼はどんな名前なのかと思いながら、名前はまた一度、タオルを換えてやった。




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