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スイートリトルラヴァー




桜の木の下には死体が埋まっていると聞いたことがある。満開の桜の木を見て頭が狂ってしまった人間がいるというのも。桜にまつわる他の話も聞いたはずなのだが忘れた。とにかくこの国を代表する花はそんな薄気味悪い花だったのかと聞いたときにほんの少しぞっとしたというか、きれいなのにおかしな花だなあと思ったのをよく覚えている。
まだ幼い時分、オレは頭に乗せられた大きくてあたたかな手が好きだった。指でくるくると髪を弄ばれたり掌で優しく撫でられたり、またあるときにはぐしゃぐしゃと少し乱暴に掻きなぜられたりした。そうして見上げるとそこには必ず微笑みがあるから、オレはなんだか気恥ずかしくなってふいっと顔を背けてしまうことが多々あった。でも顔を背けてもまだ笑っているような気がして、それがまた妙に嬉しかった。ほくほくと心があたたかくなった。これを安心感といわずして何を安心感というのだろうかと今は思うのだ。
きゃらきゃらと子供らの声が聞こえて、たまにこら、だとかいけません、だとかいうお叱りの言葉にしてはどこか甘ったるい声がまざっていた。それははたから見ればなんてことはない、どこにでもある寺子屋の春の一風景だった。庭に植わっている一本の桜の木があんまり美しいものだから、オレたちは勉強という名目でお花見をした。先生と生徒。大人と子供。そういった言葉の縛りがないあの時間がずっと続けばいいのにと、当時オレは思っていた。
先生、という人が存在した。大好きだったはずなのに、申し訳ないが今となっては顔を思い出せないでいる。ただあの優しい声とあたたかい手の温もりは忘れることができなかった。名前を呼ばれるのが本当に嬉しくてでもむず痒かったから、適当におうとかおよそ子供らしくない返事をしては友人たちに怒られていた。それを見た先生が笑ってオレの頭をぽんぽんとしてくれるのがまたさらに嬉しかった。先生は太陽みたいに眩しくてあたたかくて、桜のように美しく優しい人だった。桜の薄気味悪い話が耳の奥にねっとりとへばり付いて離れなかったけれど、先生はそういう桜とは違うんだと子供心に半ば強引に自分を納得させ且つ奮い立たせていた。そうして子供らが笑いながら走り回る庭で、オレは桜の木の前で一人静かに深呼吸したのだ。左手に持つ刀ではなく桜に、オレは誓ったのである。
風が吹いてひらひらと花びらが舞う。すごいきれいだ、と子供らがまた一段と騒ぎ立てる。先生は縁側に腰掛けて微笑みを浮かべてこちらを見ていた。もしかしたら風に舞う花びらを見ていたのかもしれないが、そのあたりのオレの記憶は曖昧だった。でも曖昧でよかったんじゃないかと思う。今でこそ、先生はオレのそういう微妙な決意というか心意気を知っていたのではないかと思うのだ。


「ぎんとき、」


また風が吹く。今度は強い風だ。ざあざあと木々が揺れて、先生の長い髪がなびいた。ぎんとき、と呼ぶ声が聞こえた。でも先生の口は動いていない。いや動いた?わからない、曖昧だ。


「しあわせになるのですよ」


声が小さくなっていく。子供らの楽しそうな声はいつの間にか消えていた。風の音と木々がざわめく音、そしてトクトクという誰かの命が息をする音だけが聞こえる。視界も花びらに覆われてよく見えない。先生はまだ微笑んでいただろうか。あの声は先生の声だったのだろうか。自分も声を出してここだよ先生と叫べばよかったと思うのは、恥ずかしがって適当な返事しかしなかった手前、少し勝手がすぎるだろうか。そう思ったから、せめて手だけをのばした。花びらが降りしきる中、先生がいるであろう方向に向かってそれはもう必死でもがいた。花びらの美しさなど目に入ってなかった。そうするうちにやがてトクトクと命が息をする音しか聞こえなくなった。








「こら、銀時」

「……んぁ……?」

「こんなところで何をしているんだ、おまえは」

「…………あー…いやあの、タイムマシンを探しにちょっと」

「ほう、自販機の中にタイムマシンがあるとは知らなんだ」

「…………ですよね」


夜風にさらされて冷えた体をガタガタと自販機から出してようやく目を開けてみると、やはりそこには黒髪長髪の男がいた。いつも従えている白い化け物は今日はおらず、代わりに左手に何やら重そうなものが入ったビニール袋をぶら下げていた。重さでビニールの持ち手が細くなって手に食い込んでいて、痛そうだなあと申し訳程度の街灯の下でぼんやり思った。
男、桂は呆れたようなでもどこか楽しそうな顔をして、まったくだらしがないなどとぶつぶつ呟いていた。


「また飲んでいたのか?おまえ相当酔っているだろう」

「新八たちと花見だよ。別に酔ってねーよバカ」

「酔っ払いは皆そう言うんだバカ」

「うるせーバカ。…それなに」


自販機にもたれて座り込んだまま、重たそうなビニール袋をあごで指した。街灯の光が袋に当たってきらきらと反射していて、夜中にその袋だけがぎこちなく浮いて見えた。ただ街灯は、袋だけでなく自販機の後ろに植わっている桜(どうやら塀の向こうの民家の庭の桜らしい)を自然とライトアップする形になってしまっていて、公園でもないのにそれがまたいやに美しかった。それはもう気味が悪いほどに。


「酒だ。おまえと花見酒でもと思っていたのだが無駄になってしまったようだな」

「…夜道を一人で行くなんて危ないんじゃねーの」

「はは、女人でもあるまいに」


からからと桂は笑った。珍しく今日は気持ちよく酔っているらしい。前後不覚になってタイムマシンを探しに自販機に頭突っ込むくらいには飲んだのだから、正直数時間(だと思う)夜風に当たったくらいで酔いが抜けるとは思っていなかったけれど、まだ多少は飲めるだろうし、なにより桂が上機嫌に花見酒をと言ってきたのだから断る理由はどこにもなかった。明日の仕事も二日酔いも頭の隅の隅に追いやって、とりあえず真ん中にヅラと花見酒という六文字を置いた。酔ったオレにしてはなかなか理性的な処置だと思う。


「花見酒、付き合ってやるよ。酒は無駄にできねーからな」

「そうか!うん、やはり抜け出してきた甲斐があったな」

「は?」

「仲間内で花見をしていたんだが、途中でたまにはおまえと飲むかとはたと思ってな。抜けてきた」

「やばくねそれ。今ごろ大騒ぎじゃねーの」

「エリザベスには言ってあるから大丈夫だ」


さあ立て行くぞと桂は歩き出して、袋がかしゃりと音をたてた。風が吹いてしゃらしゃらと袋が揺らめく。それに合わせるかのように、桜も花びらをはらりと産み落とした。歩き出したわりには桂の目はなんだか嬉しそうにこちらと桜をちらちら行き来している。立てと言ったけれど別にまだ立たなくていい、しばらくそのままで、みたなことを考えているのだろうか。とにかく酔っ払いの思考を酔っ払いが読むなど難しすぎてやる気がしない。
酔った立ち上がろうと足に力をいれると、トクトクと心臓が鳴った。どこかで聞いたことのある音だった。その途端、桂の手は空をきり、そしてこちらにのばされた。


「見ろ、」

「ああ?」

「花びらを捕まえた」


すごいだろうと言わんばかりにこちらに手をのばしてきたから反射的にこちらも手を出してしまって、男二人手だけ繋がったような奇妙な影が道に落ちていた。別に悪くはないと思うのは酔っているからなのだろうかとぼんやり考えた。
桜は相変わらず美しくて花を揺らしていた。もしかしたらこんなところでだらだらしている酔っ払い二人を笑っているのかもしれない。


「しあわせになれるぞ」

「なんだそりゃ」

「舞い落ちる花びらを空中でキャッチできたら幸せになれるというやつだ。知らんのかおまえは」

「……あー、むかし聞いたような」


聞いたよ。聞いたさ。今思い出した。誰に問い掛けるでもなく心の中で呟いた。たしかに昔、桜にまつわる二つの奇妙な話と一緒に教えてもらった。けれどあの時すでにオレは幸せだった。そして忘れた。幸せだったから幸せになる方法なんてすぐに忘れたのだと思う。だからそう考えてもいいんだろうかと問う意味は、残念ながら今のオレない。いい意味で無意味だ。
たぶん今、オレは幸せだからである。


「おまえにやろう」

「えええなんでだよ。いらねーよ、おまえが捕ったんだろーが」

「俺はしあわせだからな!しあわせのおすそ分けというやつだ喜べ!」


そう言って手の中に無理やり花びらを押し込めて、桂はぎこちないスキップのような変なステップを踏みながら夜道を歩き出した。その踏み鳴らす足音がどこかトクトクというあの音に似ていて、オレは少し笑った。そこでまた風が吹いて桜の花がかすかに揺れたので、もしかしたら桜も幸せなんじゃなかろうかと思ったりした。


「俺はおまえがいてくれてしあわせだぞ、銀時!」


桂も幸せ、桜も幸せ、自分も幸せ。だからなんかとりあえず、今日は寝かせたくないかもとか思うのだった。















スイートリトルラヴァー


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