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dust
たあ



「坊ちゃん、お薬のお時間です」

豪華な装飾が細かに施された、重い茶の扉を開けば
真っ白な世界に横たわる貴方が微かに笑うのが分かった。


「いらないよ」


どうせもう手遅れなのだから、そう言って広いベッドに横たわる貴方はまた笑う。

一面に白い壁紙が張られ、唯一色を映していた窓には遮光性の高い厚いカーテン。
本来鮮やかな花を生けるはずの白い花瓶は空のままで
白以外の唯一、横たわる貴方の濁った黒い瞳だけがやけに目についた。


またそんなことを仰って、と窘めるように笑ってみせる。

「坊ちゃんのご病気は必ず治られます。
 お医者様も言ってらっしゃいました」


坊ちゃんもお聞きになったでしょう。
だから大丈夫ですよ、そう言えば貴方は穏やかな笑みを浮かべた。


「ありがとう」

「…本当の、ことですよ」


(嘘、だめ、目を閉じないで)


「……坊ちゃん、」


声が震える。息がうまく音にならない。
早く、早くと気ばかり急いて、まともに息も吸えない。


坊ちゃんのご病気はすぐに良くなります。
その目もまた見えるようになります。
薬の副作用で白くなってしまった髪も、昔のようにきれいな黒に戻ります。
ご自分の力で立って歩いて走って、そうです、またあの綺麗な海で泳がれては如何ですか。


言えば言う程に嘘臭い。
自分でさえそう思うのだから、貴方が信じるはずもないだろう。

けれど、例え真っ赤な嘘だとしても、幼少のみぎりから世話をしてきた貴方が
このまま、こんな寂しい世界で死んでしまうのは耐えられなかった。

(だってついこの間まで、あんなに笑ってらしたのに)

何年も前のような、つい先日のようなあの朗らかな笑みを浮かべる貴方が
どういう訳か、だだっ広いだけの殺風景な部屋で大人しく寝ているなんて。


私の嘘に、そうだね、とだけ笑うと貴方はそっと目を閉じる。
ぐらり、体が浮く感覚。
(なんて、錯覚。逃避したいだけ)


だってそう易々と信じられるはずもない。
愛しい貴方が、そんな馬鹿な、


「坊ちゃん」


反応はない。
眠ってしまわれたのだと言い聞かせて、薬湯が乗った盆をそっと棚に置く。
起こさないように慎重に、貴方の手首を右手で握った。

冷たいものが背筋を走る。
震える左手を貴方の顔に翳した、が、
すぐに止めた。


「……雅宗、様、」


(ああ、なんて)

なんて呆気ないのだろう。


「だめ…だめ、です、起きて…!」


貴方はこんな風に、私ごときに看取られて独りきりで死んでいいお人ではなかった。

旦那様、奥様、たくさんの御学友、ひいては屋敷中の使用人に惜しまれて逝くはずだったのだ。


そう、弟君さえ生まれなければ。


弟君さえ生まれなければ、雅宗様は御家の跡継ぎとして、もっと良い治療も受けられた。
治る見込みがない病気だったとしても、誰も雅宗様を諦めなかった。


(違う)

分かっている。そんなことは問題ではないのだ。遅かれ早かれ、誰もが、雅宗様でさえも自身を諦めていた。

悔しいのは、悲しいのは、雅宗様がいない以外何も変わらないということ。

あんなにも優しく、あたたかく、愛しい雅宗様がいなくなってしまったというのに。


(私が狂っているの?)

だって雅宗様は全てだった、私の、このお屋敷の。
全てが今、たった今潰えてしまった。
それは容易に受け入れられるような、そんな小さなことではないはずで、それなのに、

(嗚呼、)

違う。
彼は全てではないのだ。

全てであった時もあったがしかし、彼はもう屋敷にとって有益な人間には成り得なかった。


それを誰よりも理解していたから、だからこそ彼は独りで逝ってしまったのか。


(なんて、)


遺言


後を追う私には関係のないことだけれど。


あきゅろす。
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