秘密コウサク 2 彼女ってどういうことだ。 そう奴に目で訴えると、懇願するような視線が一瞬だけ返ってきた。 合わせろってことだろう。 「僕の彼女に、触らないでと言ったんです」 奴が中年男を精一杯睨む。 喧嘩は得意ではなさそうだ、そうすぐに判別がついてしまうくらい、奴の睨みは顔に馴染んでいなかった。 中年男もすぐにそれを見抜いたようだ。 やや強張っていた表情から硬さが抜けて、相手を見下すような態度をとってきた。 軽く上がった顎に、奴の睨みが跳ね返されそうだ。 「俺がいつ触ったって言うんだ。証拠を見せろ証拠を」 いつだって? 目撃されておいて、まだそんなこと言えんのかよこのオッサン! あまりの物言いに、オレも黙っていられなくなる。 「証拠も糞も、今触ってただろうが!」 「な、なんつう口の悪い女だ!」 「うるせえ、痴漢の癖に説教垂れてんじゃねえよ!」 「ま、まあまあ…!」 オレと中年男の間を、なぜか自称オレの彼氏が仲裁に入る。 周囲の乗客の顔が、妙なことになった、とでも言いたげに歪んできた頃。 車内が一際揺れて、停車した。 ドアが開く。 「ふざけやがって」 中年男はそう舌打ちして、逃げるように降車していった。 車両に安堵の溜め息が幾つか漏れた。 逃げられたのは悔しいが、追っていくほど深入りしたいとも思わない。 再びドアが閉まって、オレは改めて自称オレの彼氏を見上げた。 そこそこの身長。 進学校と呼ばれる高校の制服を着ている。 保父さんとか小児科医とかいった職が似合いそうな顔をしている。 自称オレの彼氏はオレに視線を向けられて、困ったように笑った。 いや、どっちかっていうと、困って、とりあえず笑ってみたって感じか。 そういえばまだ礼を言ってない。 オレは気恥ずかしさを散らすため軽く咳払いして、奴の顔をチラ見しながら奴のネクタイに向かって、 「あ、ありがとう…ございました」 と呟いた。 すると、奴は目をパチパチさせた。かと思うと、あっと言う間にそれを細めた。 綻ぶような柔らかな笑みに、一瞬息の仕方を忘れる。 「どういたしまして。でも、僕、なんか余計なことしちゃいましたね。君がこんなに強いと思わなかった。男の僕よりずっと格好良かったです」 申し訳なさそうに苦笑いするもんだから、オレは慌てて否定した。 「そんなことない! ……です。その、オレ、止めてもらうまで固まって動けなかったし。だから、助かったっていうか」 もごもご尻すぼみになって俯いてしまうと、奴は「そっか」とまた目を細めた。その微笑みになんだか胸がキュッとなって、思わず視線を逸らす。 向かい合ったまま無言が続いた。 ふと、奴が満員の窮屈さから、さり気なくオレを守っていることに気づいた。なにか話したい。 いっそのこと、オレ女じゃないんだよねと言ってしまおうかとも思ったが、それでまた奇異の視線を集めたら恩を仇で返すことになる。 ぐずぐずしていたら、いつの間にかドアが開いていて、「じゃあ」と奴がそれをくぐって行った。 オレはポカンとして、人混みに消える背中をただぼんやりと眺めていた。今更奴の名前が気になりだしたが、もう遅い。 [*前へ][次へ#] [戻る] |