秘密コウサク
10
えーと、そうだ。服だ。服を買ってもらった女が言う台詞を言えばいいのか。
「幹人さん、服買ってくれてありがとうございます」
「っいや、敦子、それも嬉しいんだけど、そうじゃなくて……わ! 鼻血が!」
たらーっと鼻から何かが垂れる感覚がして、それがオレの顎から落ちる。
寸前で幹人さんがオレの顎の下に手を当てた。
「大丈夫!? 熱射病かな、ごめん、無理させた!」
幹人さんがオロオロして、何かを探す素振りを見せたが、見つからなかったようだ。
我慢してね、と一言添えられ、たくし上げた自分のティーシャツでオレの顔を拭う。
惜しげもなく曝される幹人さんの白くてうっすらとした腹筋に、思わず目が行く。って、そこに注目してる場合じゃないだろオレ!
「幹人さっ、ひゃつ、よごえる」
「シャツ? いいよ、それより平気? ちょっと座ろうか」
「あい」
鼻の詰まったような返事をしてのっそりと胡座を掻くと、幹人さんも後を追ってしゃがみ込んだ。
額に張り付いた髪を親指で拭われる。
ああ、幹人さんの格好いいグレーのティーシャツが血に染まっていく。
申し訳ない。
せっかくのデートが台無しだ。
服まで買ってもらったのに。
それ以前に、オレの服がダサいって理由で買い物に付き合わせているし。
それで勝手に鼻血出して、幹人さんの服汚して。
申し訳ない。
消えて、なくなりたい。
「敦子、ちゃんと上見て」
「……嫌だ」
今幹人さんの顔をみたら号泣する自信がある。
「敦子、泣いてる?」
「……」
仄暗い路地裏に、電車の通る騒音が響く。
そう言えば、初めて会ったのは電車内だったっけ。
困ってるオレを体張って助けてくれたんだよな。
あの満員電車の中啖呵切るなんて、すごく勇気がいったと思う。
今こうして一緒にいるようになって、幹人さんが争いに自ら進んで飛び込んでいくような性格じゃないっていうのはもう、本人に確かめなくてもわかる。
なのに、声張って見ず知らずのオレを助けに行ったんだ。
本当、オレにはもったいないよ。
幹人さんは、オレなんかよりももっと――、
「アッちゃん」
「え?」
騒音の中、オレを呼ぶ微かな声につられて顔を上げると、困ったように笑う幹人さんの顔があった。
「やっぱり泣いてる」
「な、……んぅ、」
ちゅっと唇を吸われた。すぐに離される。
幹人さんの下唇にうっすらと血が移って、なんとなくそれが嫌で指で拭った。
幹人さんがくすぐったそうに笑う。
「ごめん、幹人さん」
「ん? なにが?」
「デート、台無しにして、……ごめん」
涙声で謝ると、こら、とデコピンされた。
「謝らないで。これじゃあ楽しんだり喜んだりしてるの、僕だけみたいだろう?」
「それは絶対ない!」
思いっきり否定すると、幹人さんは、「そっか」と言って嬉しそうに微笑んだ。
さっきまでの落ち込んだ気持ちが周囲の空気に放散されて溶けていくみたいだ。
本当、この笑顔には適わない。
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