006取り扱い注意(沼) どうして私、こんな所にいるんだろう。 どうして私、こんな事になっちゃったんだろう。 放課後の体育館裏。 目の前には眉間に皺を刻んだ沼井充ただ一人。 ヅキちゃんに、放課後体育館裏で待ってるように言われて、その通りに待ってたら沼井充が現れて……、 ………嗚呼、私はどうなるんだろう。どうされるんだろう。 体育館裏という状況から予想される選択肢は、 第一に、告白される、 第二に、ボコられる、 ………確実に後述が優勢だ。 ていうか、告白とか、劣勢以前に可能性が皆無だ。 脳内で黙々とそんなことを考えていると、不意に。 「おい」 「ひゃい!!」 私は急に話しかけられたことに驚き、妙な声を出してしまった。 沼井充に変な目で見られる。 …………。 「てめェ、今日一日を振り返って何か言うことあるだろ」 「………え?」 私の口から、自分の気持ちに大変忠実な声がもれる。 今日一日を振り返って?沼井充に言うこと? 私は戸惑いながらも今日一日を振り返ってみる。 いつも通り登校して、 いつも通り授業受けて、 いつも通りお昼食べて、 いつも通り居眠りして、 いつも通り終鈴を終えて、 ………なんらいつも通りの一日だったんですが。 私が悩みに悩んで口をつぐんでいると、沼井充はチッと小さく舌打ちをした。 そして、「もういい」と短く言ってきびすを返す。体育館裏に私を一人置いて去ろうとする。 体育館裏に一人残される女子……こんなに悲しい図はなかなかない。 「ち、ちょっと待ってよ!」 私は軽く走って沼井充に追い付き、その左手を強く掴んで引き止めた。 「呼び出しといてそれは酷いんじゃないの」と言おうとしたけれど、それは叶わなかった。 「っ!! 離せッ!」 沼井充がそう叫んで、私の手を強く払ったのだ。 「痛ッ!」 本当はたいして痛くもなかったけれど、手を振り払われた驚きから、思わずそう悲鳴をあげてしまった。 情けない。 私は払われた左手を握りながら、沼井充をキッと睨んだ。 ここで弱々しくしたって、私に有利な状況はやってこないだろうと思ったから。 私の鋭い視線の先にいたのは、ちょっとうろたえている沼井充だった。 眉間に寄せられた皺が若干少ないことから、口に出さずとも少なからず私への行いを反省している、そんな風に感じられた。少なくとも、私には。 いつも不良でボス大好きの沼井充がこんな表情もするんだと思うと、何だか少しおかしくて、場違いにふふっと笑ってしまった。 すると、沼井充はさっきまでの表情はどこへやら、一転して険しい顔付きになり、「あァ?何笑ってんだ」と凄んできた。 私はこの男の激変について行けず、思わずポカンとなる。 「……はい?どうしたの、沼井充」 「どーしたもこーしたもねぇよ!」 そして、私にガンを飛ばす。 え?え? や、やっぱり本物の不良なだけあって、凄く怖いんですけど。ていうか私、何でガン飛ばされてるの? 状況の分からない私に沼井充は「後で後悔しても知らねえからな!」と吐き捨てて去って行った。 結局、私は放課後の体育館裏に一人残されてしまった。……情けない。 だいたい、今日一日を振り返ってって、私は今日は沼井充と言葉を交してすらないのに。 一体何だったんだろう、妙な奴。 ていうかヅキちゃんも、何で私を体育館裏に呼び出したんだろう。 ……分からない。 分からない事が多すぎる。 私は、いろんなことを考えながら、一人でとぼとぼと体育館裏をあとにした。 明日沼井充に会ったらとりあえず(すごく怖いけど)理由を訊いてみよう、と堅く心に誓った。 その男、取り扱い注意につき キレるんじゃなかった、 この生徒手帳どうすっかな。 ・ ・ ・ それは、今からおよそ五時間程前にさかのぼる。 俺は、クラスで一番毛嫌いしている女子生徒の生徒手帳を拾っていた。 何でこんなものが教室の床に落ちていたのか知らないが、とにかく、俺はその生徒手帳を拾ってしまった。 生徒証の写真を見て、うわ固ぇ表情、とか悪態をついてから、これをどうするべきかを考えた。 アイツに直接返すのは嫌だ、何か絶対嫌だ。 かと言ってこっそり机の中に忍ばせるのも、何ていうか、色々ない。 「どーすっかな」 「何を?」 不意に声がかかって、俺はちょっと驚いた。 振り返るとヅキがいた。何故か俺は生徒手帳を反射的に俺の体のかげに隠す。 「なぁに、ソレ?」 コイツはめざとくその存在に気付き、それに向かって手を伸ばした。 俺は何でもねェよと言おうとしたけど、それよりもヅキが体をくねらせて俺から生徒手帳を奪う方が早かった。 ヅキがはは〜んと言ってニヤリと笑ったのと、俺が舌打ちをしたのがほぼ同時。 「充ちゃんたら、ストーカーだったのね!」 ……反論するのもあほらしい。 俺が反応をしないと見ると、奴はへらっと笑って、やぁね、冗談よ!と俺の肩を叩いた(結構痛い)。 「充ちゃんは名前ちゃん大好きなだけよね」 「お前が何でそんな妄想すんのか分かんねェ」 俺が冷たくそう言うと、ヅキは「自覚ないって怖いわね」と笑った。 自覚も何も、俺はアイツが気に入らねェ。ただそれだけのことだ。 それが恋なのよ、とほざくヅキの手から、取り合えずアイツの生徒手帳を奪い返す。 「あなた、それどうするの?」 ヅキに訊かれて思い出した、これをどうするか考えなければいけなかった。 早く返せばいいのに、と呟くヅキ。それができれば苦労してねェよ。 「分かったわ、アタシに任せなさい」 お前に任せてもロクなことがない、と言う間もなく、ヅキはすいっとどこかに行ってしまった(こういう時のコイツの素早さは天下一品だ)。 ――しばらく待たされた。 ヅキは足音をたてずにすっと戻ってきたから、俺は奴に気付くのが一瞬遅れてしまった。 てめぇ、何してたんだ?と尋ねようとして、俺はふと、奴の不敵な笑みに気付く。 「名前ちゃんにネ、放課後体育館裏で待ってなさいって言ってきたわよ」 ………。 「は?」 「やっぱりそういうのって直接返してもらったほうが嬉しいのよ、女の子的に」 いつもなら、てめェは女じゃねーだろぐらい言ってやるところだが、今回の論点はそこじゃない。 「てめ、ふざけんなよ」 ここが教室じゃなかったら殴りだしそうな剣幕でヅキに迫る。 俺はアイツが気に入らねぇのに、何で直接返してやらなきゃいけねェんだよ。 しかし、それでもヅキは笑ったまま。 「落ち着きなさいって。 アタシは、用事があるのはアタシじゃないけど、でも待ってて欲しいって言ってきたの。 別に充ちゃんが行く、とは言ってないの」 ヅキは笑いながら「だから、行きたくなければ行かなくてもいいのよ」と付け加えた。 俺は、誰が行くかよ、と悪態をつき、ヅキの前から去ろうとした。 「ただ、名前ちゃんはずっと待ってるでしょうけどね」 立ち止まってヅキを振り返ると、ヤツはピンクの鏡を覗いて、リーゼントを整えていた。 「あの子、いい子だから」 俺は「……知るか」と吐き捨ててから、今度こそ本当にその場を後にした。 俺が教室の扉を盛大な音と共に閉めたところで、五限の予鈴が鳴った。 ・ ・ ・ そして話は、冒頭に戻る。 結局行くんでしょ? |