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049上の空(川)



カツン、と軽い音が響いた。

無意識に音のした方を見てしまうと、
落とした視線の先には、赤のボールペン。コロコロと私の方に転がってくる。

何も考えずに手を伸ばす、拾う。

さっと辺りを見回すと、右隣の女の子が私と同じくボールペンを視線で追っていた。
右手に持っていたボールペンを差し出すと、予想に反して彼女は小さく首を振った。……どうやら、彼女はボールペンの持ち主ではなかったらしい。

残念なことに、彼女はそのまま自分のノートに意識を戻してしまった。
誰のものなのか分からないボールペンが私の手に残る。

私は小さく溜め息をついてから、教壇に立っている先生の方を見た。
彼は黒板にカツカツと大袈裟な音をたてながら数式を板書していた。先生は黒板の方を向いている。今しかない。

ボールペンが転がってきたであろう方向、つまり後方に視線を流す。
ボールペンの持ち主はきっとこれのことを目で追ってるだろうだから、すぐに私と目が合う、はず。

私の予想通り、ボールペンの持ち主とはすぐに視線がかち合った。
ただ、その持ち主というのはすぐ後ろの席の川田くんだった。彼が真っ直ぐに私のことを見つめていたものだから、申し訳ないけれど、私はちょっと吃驚してしまった。
白墨の音と誰かの話声が微かに響く教室に、私の息遣いが響き渡ったのではないかとひやりとした。

ボールペンを取り落としそうになった私は、しかしすぐにそれをしっかりと握り直して、彼に差し出した。

控え目にその顔を伺えば、彼は声を出さずに唇だけを動かして、短く何かを述べた。
たぶん、あれは「悪いな」って言ったんだと思う。
だから私も声には出さずに、「いいえ」とちょっとだけ笑った。

すっと伸びた彼のごつごつした手がボールペンを掴む。

一瞬、そう一瞬だけ、彼の手が私の指先をかすめて、すぐに離れた。

たぶん、それは偶発的。

でも私は何故かその瞬間にぱっと視線を上げてしまった。
すると、川田くんと目が合ったのだ。おそらく彼も先程のあの瞬間に視線をこちらに向けたのではないかと、私は根拠もなく思った。

しかし、その時間は長くは続かなかった。
川田くんが肩をすくめるような、或いは小さくお辞儀をするような、なんとも言えない仕草をしたから。別に彼が口にしたわけじゃないけれど、早く前を向けと言われたような気がした。

私はもう一度川田くんの顔を見てから、視線を下げて目礼した。
そのまますぐに前を向いてしまったから、川田くんから目礼に対する反応があったのかはわからない。

ただ、私が前を向いた刹那、先生が白墨を高らかに鳴らして板書を終え、生徒たちの方に向き直った。
もうそれはまばたきをするくらいの時間差で、私は振り返るのがあと一瞬遅かったら、と考えてどきりとした。

川田くんは、先生の板書が終りそうなことに気付いて、それを教えてくれたのかもしれない。
ありがとう、と心の中で感謝した。



私だけが上の空だったようだ


後になって思ったけど、
まいったな
と言っていたのかもしれない。



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