月下蒼雷2


渓流の静かな昼下がり。水辺ではガーグァ達がのんびりと地面を突いている。
そんな長閑な森の奥では、きりきりと引き絞られるような空気の中で、一頭の竜と一人のハンターが対峙していた。
「どうした、ずいぶん及び腰だなぁ?罠でも張って足を止めてみるか?」
青い鱗を煌めかせて、隻眼の竜は楽しそうに口を開く。嘲笑われた幸村は、肩で息をしながらも視線を反らさず、必死に双剣の柄を握る。
双剣は槍や剣斧に比べればリーチが短い。なのでどうしても標的に近づかざるを得ないわけだが、そうなるとモンスターからの攻撃も受け易くなる。
何とか攻撃を避けつつ攻めに転じたいところだが、竜はその巨体を軽々と翻らせるため、こちらの刃は空振るばかりであった。
「罠など……!それに、そのような隙を見逃す貴殿ではござらぬであろう」
悔しげに幸村は言い返す。自分ばかり体力を消耗し、逆に竜に指南紛いのことを言われているのだ。自身の未熟は理解しているつもりだが、まだまだ経験が足りないと痛感する。
「わかってんじゃねえか」
楽しげに笑い、竜が軽やかに地面を蹴った。まるで犬が飼い主に飛びつくような、敵意よりも好奇心が前面に出た動作だが、その巨躯にのしかかられてはひとたまりもない。
幸村は身を低くし、竜の体の下を潜り抜ける形で回避する。竜は地面に着地すると同時に、前肢を持ち上げて背を反らし、後肢で地面から飛び上がる。
木々の隙間から見える空に、鮮やかな蒼い三日月が浮かぶかのようだった。
「しまっ……!」
気付いた幸村は再び回避しようとしたが、振り下ろされた強靭な尾は震えるような音と共に地面を叩く。重さに早さも加わり、さらに皮膚の下を這うような電流を受け、幸村は軽々と吹き飛ばされた。
「ぐ、ぁ……」
土にまみれながらも幸村は体を起こそうとするが、痺れた神経が言うことをきかず、筋肉が勝手に痙攣をおこすばかりだった。双剣はばらばらの方向に飛んでおり、回収する間もなく竜はこちらへ向かってきた。
「まだまだだな、幸村」
「ぅう、ぐ……!」
隻眼を細め、竜は痙攣する幸村を見下ろす。動けないながらも闘志を絶やさぬ若きハンターを、この竜は酷く気に入っていた。
「今日はここまでだ。ほれ、手ぇ貸してやる」
急に親しげに言ったかと思うと、竜は閃光と共に体を縮め、幸村と同じく人の姿となった。青い鱗を装束に変え、潰れた右目には眼帯を装着している。面影の残らない変化だが、射抜くような左目だけが共通していた。
「へ、平気でござる、これしきのこと……!」
幸村はそう言い返すと、意地でもって無理やり起き上がる。震える指先で地面をひっかき、必死に膝を立てようとするが、人の形をした竜はそれを待つ気はないらしかった。
「うおぁっ!?」
急に体が浮き上がり、幸村は間抜けた声を上げる。竜が彼の体をあっさり持ち上げ、肩に担いで立ち上がったのだ。
「お、下ろしてくだされ!未熟でも某もハンターの端くれ、かような醜態を晒すわけには……!」
「動けねェ奴が何言ってんだ。いいから黙ってろ、このまま電撃くらいてぇか?」
未だ動けない体でもぞもぞと暴れた幸村だったが、最後の一言と共に鼻の先で電気の爆ぜる火花が散ったため、悔しげに唇を噛みしめた。
「まこと、風変りな御仁でござるな。ハンターを送る竜など、聞いたことがありませぬ」
動けない自分が情けないので、八つ当たり気味にそんなことを呟く。すると、途端に腿に激痛が。
「いだだだああっ!!ひ、卑怯でござる、内腿を抓るなどと!!」
「ハンターなんだろ?これくらいで騒ぐんじゃねえよ」
「ハンターでも痛いものは痛いのでござる!」
横暴だ、と幸村は半泣きで怒鳴り、それに竜はげらげらと笑い返す。傍で虫を突いていたガーグァ達は、その騒がしい通行人に驚いてよたよたと逃げていった。
結局、ベースキャンプまで担いで運ばれた幸村は、そこでようやく地面に下ろしてもらえた。
「あ、ありがとうございます……。次は、かような失態はいたしませぬぞ!」
一応礼を言いつつ、幸村は拳を握りしめてそう宣言する。対する竜は楽しそうに笑っただけであった。
「そうかい、楽しみにしてるぜ」
そう言うと、竜は踵を返して断崖の道へ戻っていった。三度笠をかぶったアイルーが、その様子を不思議そうに見ていた。
「あちらの旦那は、お友達ではないのですかニャ?」
「う、うむ……何と言うか……」
竜だ、と答えるわけにもいかず、幸村は曖昧に返事をすることしかできなかった。






「旦那、おかえり。今日もこっぴどくやられたみたいだね」
農場で鍬をふるっていた佐助は、泥だらけで帰ってきた主にそんな言葉を向けた。
「悔しいが、全く歯が立たなかった……!しかし、あともう少しという気がするのだ。次は必ず勝つ!!」
空へ拳を振り上げて、幸村は雄叫びのように吠えた。
「大声出さないでニャ、虫が逃げちゃうニャー!」
虫箱のそばで寝転んでいたアイルーが、その大声に驚いて飛び上がる。幸村は我に返り、慌ててそちらに詫びた。
「あ、ああ、すまぬ。……確実に、上達しているという感触があるのだ。あの竜と対峙していると、否が応でも上達せざるを得ないゆえ」
握った拳を広げ、その掌を見つめて幸村は呟いた。
あの不思議な雷狼竜、ジンオウガとの対決は、これで何度目だろうか。いつも相手にいいように振り回され、遊ばれた末に吹き飛ばされ、幸村はいつも膝を突く。
だが、それでも着実に相手の動きが見えるようになってきた。最初は何もできずに目を回していたが、少しずつ竜の動きに目が付いていけるようになったのだ。
しかし、それに体がついてくのはまだまだ時間がかかりそうだ。
「上達しないと死んじゃうしね。旦那、ジンオウガ相手に行くときは一人で行きたがるんだもん。俺様がついていけば、笛も吹くし囮にもなってあげるのにさ。それとも、俺様じゃオトモにならないってこと?」
佐助はわざとそう言って鍬を担ぐ。彼は本来なら、モンスターに立ち向かうハンターのお供として雇われているのだ。普段は幸村と一緒にクエストに向かうのだが、相手がジンオウガのときだけは幸村が一人で行きたがるため、こうして農場の手伝いをしているのである。
「そのようなことがあるものか!お主には助けてもらってばかりではないか」
相棒の言葉に、幸村は慌ててそう返す。
「お主に留守を任せてすまぬと思っている。だが、あの竜と対峙するときは、一人でありたいと思うのだ。何故だろうな……周りを見ている余裕がないからだろうか」
神妙な顔でそう呟く主に、佐助は猫の手でぽんぽんと足を叩く。
「冗談だって、そう本気にしないでよ旦那。俺様としては畑を耕してるのも楽ちんで楽しいしさ。お供する準備はいつでも整ってるし、旦那が呼びたいときに呼んでくれればいいよ」
にんまりと笑うお供に、幸村もようやく表情を緩めた。
「頼りにしておるぞ、佐助。鍬ばかり振っていても腕が鈍る、明日は水没林にでも行くか!」
「ひえー言った傍からお仕事ですか!?まぁいいけどさ。虫取り網、忘れないようにね」




***


数日後。
ここはギルド受付前の温泉。そこの番頭アイルーに手招きされて、幸村は番台に歩み寄った。
「ハンター様、たまにはわたくしめのクエストも受けてはいだだけませんかニャ?」
座布団に鎮座した番頭は、ネコ目を細めて礼儀正しくお辞儀をする。
「こちらの温泉に、新たな源泉から湯を引きたいと思っておりますのニャ。ハンター様方の疲れを癒すためには、我々は努力を惜しみませんのニャ。そして、探索を重ねた結果、孤島にとっておきの秘泉があることを我々は突き止めたのですニャ」
小さな手を振りながら、番台は盛り上げて説明する。
「秘泉、でござるか」
聞いた言葉をそのまま、幸村は口にした。
「さようでございます。その秘泉、あまりの心地よさにモンスター達も入りにくるそうで、なんと竜も好んで浸かりにくるそうですニャ。竜すら癒す源泉となれば、きっとハンター様方にもご満足いただけると思いますニャ」
「それはようござった。……して、某を呼び止めたのは?」
不思議そうにする幸村の前で、番頭アイルーは急にしょんぼりしてうなだれた。
「実は、秘泉があるという噂は聞きつけてはいるのですが、肝心のその場所までは確認できていないのですニャ。何度となく孤島へ探索アイルーを派遣したのですが、モンスター達の襲撃に会って逃げ帰ってくるばかりでして」
「なるほど、それでハンターに源泉を見つけてきて欲しいのでござるな」
「その通りでございますニャ!」
合点がいった、とばかりに幸村が言ってやれば、番頭アイルーはぱっと顔を上げ、乾いた音と共に扇子を開く。
「いかがでございましょう、ハンター様。このしがないアイルーのお願いを聞いていただけませんでしょうかニャ」
ぺこり、と小さな頭を下げる番頭に、幸村は快く頷いてみせた。
「某でよければ、お手伝いいたしまする。……しかし、某でよいのでござろうか?他にも熟練のハンター殿はいくらでも……」
「それが、熟練のハンター様であればあるほど、モンスター討伐ではなく源泉を見つけてくるだけというこのクエストは、面白味もないということで受け付けてもらえないのですニャ」
なるほど、と幸村は苦笑しつつ納得した。




「なるほどねぇ、それで俺達はこうして崖を登ってるわけだ」
爪で岩壁にしがみつきながら、佐助は幸村からの説明を聞いた。ちなみにここは孤島、二人がいるのは絶壁の途中、下は美しい水辺が広がる絶景である。つまり、手が滑れば真っ逆さま。
「もうちょっと安全な道はなかったわけ!?」
「ここを真っ直ぐ登る方が早いのだ。文句を言うな、これも鍛錬と思えば身に力も入るぞ!」
幸村は元気にそう言うと、恐怖も迷いも疲労も見えない動作で体を持ち上げ、確実に上へと登っていく。その様子を、佐助はため息をついて見上げる。
「そりゃ俺様はアイルーだし、これくらい何ともないけどさぁ……何でわざわざ危なくて疲れる道を選ぶかなぁ旦那は、っと」
文句を言いつつも、彼もまた身軽な動作で崖をよじ登っていく。二人でにじにじと崖を登り、ようやく岩壁の淵が見えてくる。
「噂では、この崖を登り切った先にあるらしいぞ。佐助、何か聞こえてきたりはしないか?」
自分の下にいるオトモに向けて、幸村はそう問いかけた。
「うーん、風の音しか聞こえないけど……あれ、でも……何か変わった匂いがするねぇ」
「匂い?」
思わず問い返して下を見たが、途端にはるか下の小さな地面が見えてしまい、幸村は慌てて顔を戻す。
「うん、何て説明したらいいのかわからないけど……悪い匂いじゃないよ。甘いとかじゃなくて、澄んだ感じの……」
小さな鼻をすんすんと鳴らし、佐助はそう説明する。どうやら、崖の先に何かがあるのは本当らしい。
淵に手がかかり、幸村は一気に体を持ち上げて崖の上へと登りきった。続いて佐助も崖を登りきり、しばらくは疲労と緊張の弛緩で、二人して地面から立ち上がれなかった。
「この先に秘泉があるのだろうか……今の状態で湯に浸かれたら、秘泉でなくとも極楽であろうなぁ」
頬の汗をぬぐい、幸村はのっそり腰を上げた。もう少し進めば温泉がある、と思えば、疲れた体にも力が籠る。
佐助が匂いを辿りながら森を進み、それに幸村が続く。大きな岩がごろごろと転がる場所に出ると、幸村にもその匂いは感じられた。
「不思議な匂いだな。佐助の言う通り、吸い込んだだけで気持ちが澄んでいくようだ」
言いながら深呼吸をする幸村の前で、佐助は早足で先へと進み、岩陰に身を隠したかと思うと、ひょっこり顔だけをこちらに出してきた。
「旦那、あったよ。これでクエスト完了だね」
その言葉に、幸村は足早に佐助の元へ向かう。岩陰の間から白い靄が漂い、それはやがてぬるい湿り気を含んだ湯気だと分かった。
「おお、これは凄いな……!」
驚きと感動と喜びに、幸村の言葉は震えて湯気に滲んだ。岩陰に隠れるようにして湧いていた源泉は、開けた岩場に囲まれた天然温泉となっていた。温泉と言うにはやや大きく、池や泉と称した方が正しい。幸村達が立っている場の向こう側は再び崖となっており、けぶる湯気の向こうに澄み切った空がうっすらと見える。湧き続ける湯が岩場の淵から静かに流れ、黒く光る岩を濡らし続けていた。
「絶景だねぇ。こりゃモンスターも浸かりにくるのも頷けるってもんだ。……旦那、何してんの?」
振り向いた佐助の前で、幸村は武具を外し始めていた。紐をほどいて手甲を外し、次に脛当ても剥ぎ取るように外していく。
「せっかく見つけたのだ。某が一番に浸かっても文句はないであろう?」
「はぁ、そりゃそうですけど……素っ裸でモンスターに襲われないようにね」
呑気なことを言う主に佐助はそう言ったが、幸村の方は温泉に心を奪われておりその溜息は聞こえていなかった。武具の下の装束も脱ぎ捨て、とうとう下着まで外して、それらを丁寧に畳んで重ねる。
「佐助、お主もどうだ。こんな贅沢はめったにできぬぞ」
幸村はそう言ってやったが、佐助の方は困ったように耳をぺたりと寝かせた。
「冗談じゃない、俺様が水嫌いなの知ってるでしょ?濡れた毛皮のままで外を走り回ってたら、俺様メラルーになっちゃうよ。旦那だけでどうぞ、ゆっくり味わっててくださいな」
妙に低姿勢な調子で言うと、佐助は踵を返して元来た道を戻ろうとする。
「どこへ行くのだ」
「旦那が温泉を堪能してる間、タケノコでも取ってきますよ。ここは湿気が多すぎて、俺様の髭がべたべたになっちゃうからね。旦那も、長湯しすぎて帰れなくならないでね」
最後にきっちり釘を刺して、佐助は軽い足音と共に岩場の隙間へ消えていった。逃げるような足の速さに、幸村は不思議そうに髪を揺らした。
「このように良いものを苦手などと、佐助も損な性分であるな」
呟き、改めて温泉へと向き直る。特殊な成分でも含まれているのか、湯の色は海のように透き通った青色で、目前に広がる絶景と湯の匂いも相まって、本当に清澄な気持ちになる。
湯は少し熱かったが、幸村にはその方が好ましかった。ゆっくりゆっくり、湯に慣らすように足を差し込み、少しずつ体を沈めていく。肩まで浸かって、ゆっくりと体を弛緩させて息を吐き出す。じわじわと肌を温める湯が心地よく、幸村は浮力に任せて足を伸ばした。
崖を登る前にも孤島を歩き回っており、さらに出くわした青熊獣を追い払ってもいたため、体の疲労は少なくはない。ギルドの温泉とはまた違う趣は、無骨な性分の幸村でも感じられた。



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