月下蒼雷


依頼されたのは、簡単な納品のみのはずだった。
遭遇したモンスターも見慣れたもので、適当にあしらえばすぐに逃げ去った。あとは村へと戻るだけ、そのはずだったのに。
突如闇に響いた咆哮は聞いたことのないもので、経験の浅い幸村ですら、異常事態であると予測できた。
周囲の空気が感じたこともないほどに張り詰めていく。普段なら騒がしい小型モンスター達が、まるで怯えるようにその場から逃げ始める。
どうするべきか悩んだ幸村は、咄嗟に背後の茂みへと身を顰めた。肌で感じる緊張が鼓動を急かし、体中の血がものすごい勢いで流れていくのがわかる。
落ち着け、と幸村は剣の柄を握り直した。今慌てても何も変わらない。まずは深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
おそらく新たな大型モンスターが森に侵入したのだろう。その姿を確認し、隙を見てベースキャンプへと戻ればいい。今日はろくに道具を持ってきていないため、無理に狩猟しようとしたところで無駄に刃を駄目にするだけだ。無事に帰還すれば、依頼は完了する。





やがて、木々の奥からそのモンスターがゆっくりと現れた。
青く輝く鱗に包まれた巨体は、龍のようでありながらも哺乳類のようにしなやかな曲線を描く。なびく鬣は闇を跳ね返すように発光し、モンスターの周囲は蒼い光に包まれている。その美しさに見入っていた幸村は、警戒も忘れてその青光を見つめた。
そのとき、モンスターが角をかち上げるように頭を上げ、夜空を見上げた。静かだった森が徐々に震えはじめ、肌で感じられるほどに空気が乾いていく。産毛がちりちりと焦がされ、むず痒さに幸村は頬を擦った。
青い竜は夜空を見上げている。顔の先にあるのは、遠く霞んで見える霊峰だろうか。竜はわずかに体を震わせると、喉を反らして再び咆哮する。先ほどよりも大きく、音というより衝撃に近いものだった。竜の咆哮に呼応するように、その周囲から青い雷光が迸りいびつな軌跡を描いて地面へと弾け飛ぶ。耳をつんざくような破裂音に、幸村は思わず耳を塞ぐ。そして、手から離れた双剣が地面に落ち、がちゃ、と金属音を立てた。





それはさして大きな音ではなく、竜の立てる音に比べれば草木の擦れる音も同然だった。しかし、竜はその音を、もしくはそれにはっとした幸村に気配を、しっかりと感知した。
咆哮を止め、竜がゆっくりと茂みを振り返る。明らかにこちらに向けられた気配に、幸村は双剣の柄を握り占めると同時に茂みを飛び出し、竜の前に躍り出た。
対峙した竜は、右目がえぐれたように潰れていた。しかし、隻眼でもその覇気は強大であり、正面から受け止めた幸村は息が止まりそうだとすら思えた。
竜は巨体を翻し、体をこちらへ向け直す。隙を見せず、幸村もじりじりと間合いを取りながら竜とにらみ合う。それはまるで、修行の際によく行っていた仕合の前触れのようだった。竜はこれまでのモンスターのように、獲物を見つけたからとすぐに襲いかかろうとはしなかった。
木々ですら息を止めているかのように、周囲は静寂に包まれた。幸村も竜も、ほぼ同時に足を止める。見計らったのは一瞬。竜が動き、幸村にはそれが見えた。
突進するように角を突出し、竜がこちらへ飛び込んでくる。幸村は地面へ転がることでそれを回避し、竜の後肢へと回る。受け身と共に立ち上がった幸村は、握り直した双剣を閃かせた。
「うぉおおおおっ!!」
竜に負けぬ咆哮と共に、二つの刃が鬣目掛けて振り下ろされる。だが。
「っ!?」
貫くはずの刃は、竜の甲殻に弾かれて甲高い音を立てた。今まで相手にしてきた狗竜や牙獣では十分に渡り合えた切れ味でも、竜を相手にするには鈍すぎたのだ。
竜はその隙を見逃さず、尾を振りかぶる反動で体を捻り、幸村を弾き飛ばした。地面に投げ出され、幸村は痛みと腕の衝撃を堪えてよろよろと体を起こす。
目の前には青い雷光が弾け、はっと顔を上げる。竜は目前に立っていた。
「まだだ、某には武器が……!」
逃げる、という考えはすでに消えていた。たとえ刃が立たなくとも、怯ませられる可能性はある。諦めずに幸村は双剣を構えたが。
竜は前肢を振りかぶり、殴打するように幸村へとその爪を振り下ろす。咄嗟に受け止めようと武器を掲げた幸村は、予想外に軽い衝撃に目を見開いた。
竜の爪を受け止めた二つの刃は、まるで乾いた粘土細工のように砕け散り、音もなく地面へと落ちていく。
これで、幸村に為す術は何もなくなった。
だが、幸村は震える体を必死に鼓舞して竜を睨みあげる。
「この幸村、たとえ刃を折られたとしても、魂は決して屈さぬ!名のある竜種と察すればこそ、背を見せることなど出来ぬ!」
自らを奮い立たせるように大声で吠えると、幸村は柄のみの武器を竜へと構える。すると、竜は不意に口を緩めた。まるで笑っているような動作で、獲物もなく抗おうとする幸村を嘲笑っているようにも見えた。
再び前肢が天へと翳され、鋭い爪が空を裂いて振り下ろされる。受け止める武器はなく、頭にかぶった笠が抉られて蓑が塵のように舞い上がるのがやけに遅く見えた。
衝撃に吹き飛ばされ、幸村は背後の地面へ倒れこんだ。
弾かれた笠は傍を転がり、頭上に煌々と輝く月が冷たくそれを眺めている。





「……何だ、思ってたよりガキじゃねえか」
不意に男の声が響き、幸村は無意識につぶっていた目を開ける。目の前に顔があり、驚きすぎて声も上げられない。
「俺を見て逃げもしねえで向かってくるなんて、面白い奴だな。ガキでも肝が据わってやがる。無謀なだけか?それとも……」
男は一人でしゃべり続け、不躾にも幸村の顔をじっと覗きこむ。地面に倒れる幸村に覆いかぶさる男は、右目に黒い眼帯をつけているのが見えた。
「き、貴殿は……?いや、それよりも!今竜がそこに、ここは危ない!早く村へ……!」
きょとんとしていた幸村だが、竜のことを思い出して慌てて男を押しのけた。
どこから現れたのかは知らないが、今はふざけている場合ではないのだ。見たところ、隻眼の男は軽装ながら鎧を装備しているため、彼もハンターなのかもしれない。だが、今の時点でハンターが増えたところで竜を撃退できるとは思えない。今は引くのが得策だと幸村は考えた。
男は押しのけられるがままに体を起こすと、そのまま立ち上がった。
「まあいいさ、俺も今日はそんな気分じゃねえ。ここにもまだ馴染んでねぇしな……今日は見逃してやる」
男はそういうと、青い装束に包まれた身を翻した。彼の言葉の意味が分からず、幸村は何事か言おうとして立ち上がった。
その瞬間、目の前にいた男の周囲が青い雷に包まれた。視界が蒼白に染まり、幸村は眩しさに腕で顔を覆う。ようやく光が収まり、幸村は腕を下ろして男を見た。
そこに立っていたのは、あの青い竜だった。先ほど立っていた男がそうしていたように、こちらに背を向けている。
信じられない光景に絶句する幸村を、竜はゆっくりと振り返った。その隻眼に殺気はなく、どこか楽しそうにこちらを見ていた。
「幸村、だったな。幸村ぁ、次に会うまでにはもう少しましになっとけよ。そんな鈍らじゃ俺の鬣だって斬れねぇぜ?……楽しみにしてるからな」
竜は男の声でそう言うと、軽やかに地面を蹴って森の奥へと去っていった。
残された幸村は、静寂が戻った森に一人ぽつんと佇んだ。





「……あれは、一体……」
「旦那ー!大丈夫だった!?」
背後から足音と共に声が聞こえ、幸村ははっと意識を戻した。
「佐助か?!」
振り返れば、お供のアイルーが武器を片手にこちらへ駆け寄ってくるところだった。幸村の相棒、佐助である。
「俺様がいないときに限って、旦那ってば災難にあたるんだよねぇ。この間も荷馬車から落ちたらしいし、俺様もう目が離せないよ」
「す、すまぬ…。おぬし、何故ここに……」
小さな猫型モンスターに説教をされているが、いつものことなので幸村は当たり前のように詫びた。不思議そうにする主に、佐助は肉球のついた手をぽんと胸に当てる。
「他のハンターさんが帰ってきてさ、渓流に見たことのないモンスターがいるって大騒ぎになったんだ。村長はそれがジンオウガだって言うし、旦那はハチミツ集めだからって一人で行ってるし、もう居ても立ってもいられなくてさぁ。ガーグァ車をかっ飛ばしてここに来たんだよ」
そして、佐助は手にした大きな(と言っても幸村から見れば少しだが)手裏剣を勇ましく構えてみせる。
「俺様が来たからにはもう大丈夫!ジンオウガに出くわす前に村に帰るとしようか!」
「……ははは、そうかそうか」
小さな相棒の張り切り具合に、幸村は急に力が抜けた。先ほどまで気を張っていただけに、体中が楽になると同時に不思議な可笑しさがこみあげてくる。
「どうしちゃったのさ、急に笑ったりして」
主の様子に、佐助は不思議そうな顔をする。幸村はそれを誤魔化し、少し離れたところに落ちていた双剣の残骸を拾い上げた。
「あれが、ジンオウガ……月下に轟く雷狼竜か」
呟いて、幸村はぼろぼろになった双剣を見つめる。あの瞬間は必死で何も感じなかったが、竜と対峙したときの昂揚が、今は何故か酷く恋しかった。
「旦那、笠に何かついてたんだけど」
佐助がそう言って、幸村の笠を拾って差し出してくる。それと一緒に差し出されたものを受け取り、幸村は目を見開く。
「これは……あの竜の鱗か」
「ひょっとして、もうジンオウガに遭遇しちゃったの!?旦那、よく生きてたねぇ!」
佐助は驚くやら慌てるやらでおろおろしているが、幸村はその鱗を握りしめ、闘志を瞳に漲らせて微笑んだ。
「次に会い見えたそのときは、必ずや一撃入れてみせる!……行くぞ佐助ぇ!もっとたくさんの素材を集めるのだ!!強い武器でなくば、あの竜に傷一つつけることは出来ぬ!」
「えっ、ちょっと、旦那!?待ってよ、どうせ今帰ったってクエスト受注なんか出来ないんだから!!」
我慢できないとばかりに大声を上げ、幸村は走り出した。それを慌てて佐助が追いかけ、渓流には再び静寂が戻る。


竜と人との不思議な邂逅を、月だけが目撃していた。





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拍手お礼から降ろしてきたモンハンパロダテサナVer.
ジンオウガマジ筆頭すぎて書かずにはいられなかった。
小ネタのつもりだったけど設定が気に入ったのと案外長くなったので
普通の作品として並べることにしました。


ジンオウガ初登場は「ざわめく森」クエストなのに
すっかり忘れてて「恐怖の予兆」クエストのつもりで書いてしまった。
気にしないでください。





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