まだ、縛られる

まだ、縛られる


「へー、じゃあ光ちゃんは憐衣と同じ中学だったんだ?」

光はにこりと頷くと、一つ一つ丁寧にコーヒーを注いでいく。その隣で梓は紅茶を作る。
これから、9月に控えている3年に一度の合同文化祭のための会議があるので、そのお茶汲みをしていた。
最初は光が率先して動いたのだが、梓が手伝いを買って出たのだ。もちろん、そこによこしまな考えがあることは明白だった。

「憐衣ちゃんは私の大切な親友で、翼玖君の幼馴染なの」
「翼玖……って会計の?」

いつもは冷静な憐衣が、動揺していた姿を思い出す。

「うん、そうだよ。私も翼玖君も憐衣ちゃんがどこへ引っ越したのか知らなかったから、本当に驚いた」
「そう、なんだ」

紅茶をカップに注ぎ終えたところに、例の『幼馴染』が入ってきた。身長は少し梓のほうが高いが、黒髪に目立つ赤メッシュと冷静な眼差しに、どこか憐衣と似た雰囲気を感じ取る。
翼玖の視線が梓の注いだ紅茶に行く。

「それ、アイツのだろ?」
「え?」
「……憐衣」
「あ、ああ」

翼玖は人数分のカップが乗ったお盆を持つと、手には紅茶の入ったカップを持った。
そのままスタスタと部屋を出て行く。

「どうしてコレが憐衣のだってわかったんだろう?」
「憐衣ちゃん、コーヒーが飲めないから」

その言葉にはっとした。今思うと、光が紅茶を用意しようとしていたのも納得できる。
そこでようやく二人が憐衣の過去を知っているのだと、確認できた。

目の前に置かれたカップと、隣に置かれたカップの液体の色を見比べ、そしてそれを置いた人の横顔を見つめた。
用意していたのが光なら、自分と周囲の人の飲み物が違うのは理解できた。そして躊躇いもなく自分のところへ翼玖が紅茶を置くのも。
その紅茶の置かれた場所だけ、変わらない時間が流れているような気がした。















「じゃあ文化祭の生徒会の出し物は劇ということで決まりだな。劇の内容は『人魚伝説』これが両学内でも一番希望が多かった」

架橋高の生徒会長、光井がきっぱりと言い切ると一同は問題無しというように頷く。

「脚本は光に任せる」
「え、あ、はい!」
「配役はどうする?雲雀、俺とお前で主役やるか?」

雲雀、と呼ばれた架橋の女生徒会長は「寝言は寝て言え」と切り捨てた。實邊は連れないなと薄く微笑む。
ここは公平にくじ引きにしようという提案が上がり、光を抜いた人数分の割り箸を用意し、一本だけ赤く塗る。
せーので一斉に抜き……―――

「ありえない」
「……」
「ありえない、」
「……」
「ありえない…!!」

そのまま押し倒さんばかりの勢いで實邊につめよる。

「落ち着け、落ち着け、憐衣」
「これが落ち着いていられますか?!私主役なんて無理ですって!!」
「いや、案外土壇場の根性でなんとでもなる」
「そんな根性要りません…!」

このままじゃ本気で押し倒しそうなので、梓が憐衣を止めに入ると、今まで押し黙って何も口に出さなかった翼玖がここでようやく口を開いた。

「中学のときの文化祭もおまえ主役で何とかなったから、大丈夫だろ」
「でも……!」
「憐衣、大丈夫だよ。相手、また俺だし」

光に助け舟を求めるも、にこにこと翼玖に賛成するばかりで、当てにならない。梓は、と考えるももし梓が相手役になったら、今の翼玖の立場が無くなるだろうと考えると、簡単に口には出せなかった。
憐衣にはもう、反論の余地がない。
しぶしぶ頷くと、それで決定だとばかりに話が次から次へと飛躍していくのだった。
いつもはこういう話なら真っ先に食いつく梓が一言も話していないことに、妙な違和感を感じた。















「梓、何?」

ちょっと、と呼び出され会議室を抜け出して屋上へ向かう。だいたいの話は付いたので全員でいる必要がなかったため、すんなり抜けられた。
暖かい外気が体に触れ、長い髪をさらりと撫でていく。風に飛ばされていく桜を、惜しむ瞳で見つめた。ああ、もうすぐ若葉に変わってしまう。

「どうしてあの時、俺に助け求めなかったんだよ」

あの時?と考えて、劇の配役決めのときだと理解した。それで何一つ言わなかったのだと合点がいく。
子どもみたいと、口には出さずにそう思った。

「それで拗ねてたわけ」
「拗ねてないよ」
「まあ、良いけど」
「憐衣は本当に嫌なら態度で表すけど、今回は違ってた」

よく見てる、と笑う。
確かに憐衣の他人にまるで関心がないことを丸出しにして生きているような人が、誰かを庇うようにして満更でもなく引き受けた。それは憐衣を良く知る梓には考えられないことで、しかも自分が憐衣を知らない時代の人物が関わっているとなれば、良い気はしないだろう。
まあ、相手が翼玖でなければ、梓が憐衣を恋愛対象に見ていなければ、そうは思わなかったのかもしれないが。

「一度やったことあることは二度やっても同じだと思ったからだよ。大した意味はないって」

まだ怪しんでいる梓に、苦笑する。
相手が翼玖でなければ、たぶん承諾はしなかっただろうことは認める。翼玖じゃなければ。
それを言うと、梓がうるさくなることは目に見えているので言わなかった。
そこでドアが開き、翼玖の姿が見える。

「今日はもう終わるから、呼びに来た」
「あ、うん。今、行く」

翼玖じゃなければ、承諾しなかった。
浮かぶその答えに、自嘲する。何を今更期待しているのだろう。全て捨ててきたはずだった、捨てても良かった。



それでも、捨てられていないことを、知ってしまった。















翼玖は昇降口で光を待っていると、そこに現れた人物に無意識に身構えた。そこにある眼差しが、敵意だと感じる。

「あんた、えと……」
「高宮、でいい」
「俺は、」
「坂上」

梓は自分の名前を覚えていたことに少々驚く。先入観から、なんとなく翼玖は人の名前を覚えることが苦手だろうと思っていたのだ。―――憐衣が、そうだから。他人に興味のない人間は、人の名前を覚えようとしない。今一番憐衣の近くにいる梓はそれをよく知っていた。
実際、翼玖もそれほど人の名前と顔を覚えることに長けているわけではなかった。憐衣に勝るとも劣らないほどに、他人への関心は薄い。そんな翼玖がすぐさま覚えたのは、梓の名前だった。憐衣が隣にいることを認めた人間―――そうじゃなければただの一人で終わったかもしれない。

「俺に何か用か?」

淡々とした声がその場に響く。
初めて会ったときの憐衣の反応に良く似ており、嫌悪の感情を抱いた。

「単刀直入に聞くけど、あんた、憐衣とはどういう関係?」
「どういうって……幼馴染」
「それは聞いた」

じゃあどの答えが欲しいのだと、直球に伝わってくる。感情や表情が乏しい分、不愉快な感情は判りやすく伝わってくるのだ。

「憐衣は、あんたの顔を見たとき、表情が変わった」
「久しぶりに会ったから驚いたんだろ」
「それは光ちゃんも同じはずだ……でも、あんたのときは格段に別だった」

よく見ているんだな、と口には出さない。
自分の知らない憐衣の時間が流れているのを、体全体で感じた。

「俺は憐衣の幼馴染だ。それ以上でも以下でもない。これ以上のことがあったとしても言う義理はないし、憐衣が言っていないのなら尚更だ」

正論そのものの答えに梓はたじろくと、そこに光がやってきた。これ以上の追求を、できる状況ではない。
仕方がなく疑ったことに謝ると、後者に戻る寸でで振り向く。

「そうだ、一つ教えておくよ。今の憐衣はコーヒー飲めるよ。砂糖とミルク、倍以上に入れなきゃだけどね」

その言葉に、翼玖も光も目を見開く。
憐衣のコーヒー嫌いは半端ではなく、飲む人を見ることさえ嫌っていて、口にするなんてもってのほかだった。
梓がそれを知り、そのことを馬鹿にすると、負けず嫌いの憐衣は砂糖とミルクを倍以上入れて飲めるようになったのだ。それは今の憐衣を知る梓しか知らないし、翼玖と光はわからない憐衣だ。

「私たちの知らない憐衣ちゃんが、今ここにいるの……淋しいね」

翼玖の拳が、強く握られたのを光は見逃さなかった。














知らない過去に
知らない未来に



互いの存在に、まだ、縛られる






2007.6.20







あきゅろす。
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