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百鬼草紙
通り悪魔



 「おやめ下さい!」



いつもの様に辰摩が店で酒を飲んでいたところ、隣の部屋がにわかに騒がしくなったと思ったら女の悲鳴が聞こえてきた。それと同時にバタバタと遊女が数人逃げ込んできた。
逃げてきた先を見れば憤怒し眼が血走った男が刀片手に暴れていた。
「落ち着いて、どうか刀を納めて下さい」と必死に男を説得する遊女を見て、仕方なく辰摩は立ち上がり男に近付いた。


「!」

男に近付いてその顔をよく見れば男は確かに怒っているが、まるで憑かれたかの様に生気がない。

「これは…」
何かと辰摩は考えに耽りかけたが、男が辰摩に向かって刀を振りかざし襲ってきたため意識を目の前に戻した。

「危ない」と女が叫ぶ。
パシッ!っと、乾いた音が室内に響く。
周りにいた者は辰摩が斬られたのではと恐る恐る硬く瞑った眼を開き視線を向けた。だが、男が振り上げた刀は辰摩に下ろされることなく男の頭上で止まっていた。
そう、止められたのだ。
辰摩の左手はしっかりと刀を握る男の右腕を掴んでいた。

男は少し抵抗したものの、動けないことを判断したのか、カシャンと刀を落とし力なく倒れた。






「なんとも不思議な寸劇だったな…」

辰摩は再び酒を飲み直しと酌をしてもらいながら、そう言った。

「普段はそんな暴れる様な人じゃないんですけどね……」
男をよく知る遊女はそう言い、首を捻ったという。
あの後、倒れた男を従業員が取り押さえられたのだが、刀を持って暴れた当人はそれを全く覚えてないという。
そればかりか、男は「赤い眼の男が俺を睨んでいたんだ」と訳の判らない事を言い出す始末。
仕方なく、与力(現在でいう警察)まで出てくる騒ぎになってしまった。



「赤い眼ね…」
傍にいた遊女から聞いた経緯に、辰摩は杯の中の酒を飲みほし小さく呟いた。












「おい、そこのお前!」

帰り道、後方から声を掛けられ辰摩は振り返った。
そこにいたのは眼光が赤く尋常ではない大男。
「成程、さっき男が言った赤い眼の男はお前か」何の様だ?と、臆する事無く辰摩は大男に言った。

「どうして邪魔をした?」
「邪魔?」
「そうだお前が邪魔をしなければ、あの男は人を殺せたんだ」
「あの男が?      違うだろ、お前が殺したかったんだろ…


    通り悪魔―――――――」



瞬間、大男は顔を歪ませ、辰摩を睨んだ。

「衝動的、突発的に普段何もしない人間が魔が差したかのように、がらりと表情を変える。それはお前が憑いているからだろ」


「そうか? 人間とは…常に感情を押し殺して生きている生き物だ、あの男だって普段の人間関係が厭で厭でたまらないという押し殺した感情があっただけでそれを手助けしたまで。邪魔される筋合いはない」

「かもしれないな。あの男の心情などどうでもいいが、後押ししたのはお前だ。文字通り“魔が差した”―――」

「貴様!」
その言葉で大男、否、通り悪魔は物凄い形相で赤い眼をギラつかせる様に睨んだ。

「無駄だ、気をぶれさせる事などお前に出来ない。俺には抑圧させた感情がないからな」


「……―――馬鹿な…」
「そう思うか? だが実際、俺は誰かを恨んだり憎んだりという事をした事がない」まぁ、恨まれる事は多々あるが…



「惜しいな、お前みたいな人間が暴れているのを見るのが一番面白いんだが」



人間を畏れに陥れられなかった妖怪は消えるまで…
通り悪魔の体はだんだん薄く、灰の様にちりちりと消えかけていた。





「……いつか、抑圧した感情があったら呼んでくれ。俺が後押ししてやるよ」



「ふん、それは御免蒙るよ」



辰摩の返事に「 ――…そうか」そう言って通り悪魔は灰になって消えた。
辰摩はただそれを完全に消えるまで黙って見つめていた。





※通り悪魔 槍を持ち赤い眼の大男、この姿を見ると気がぶれるとか、落ち着いていれば大丈夫。

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あきゅろす。
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