Distance




料理部の活動日である火曜日の朝、私はいつもより少し早く学校に来て調理室に向かった。
部活がある日は、冷蔵庫の材料を確認してその日放課後の部活で作るメニューを決める。

しかし、調理室の扉を開けた私は絶句した。


「な…なに、これ」


調理台の上には割れた生卵やケチャップ、その他色々なものが散乱し、異臭を放っていた。
生物は学校に置いておけない決まりになっているから、卵に関しては学校外から持ち込まれたに違いない。

しかもそれだけならまだしも、冷蔵庫の中でも生卵が割れて飛び散っていた。
野菜も調味料も、なにもかも卵和えになってしまっている。


「誰が…こんなこと」

「あちゃー…ひどいことするなぁ」


突然、背後から声をかけられて私は飛び上がった。


「お、忍足先輩!?」


昨日助けてもらった忍足先輩が調理室の入口に立っていた。
たった今登校してきたばかりなのか、ラケットバッグを背負っている。


「さっき、昨日の女の子たちを見かけてな。
調理室がどうのって話をしとったから気になって来てみたんやけど…こら酷いなぁ」

「…大丈夫ですよ、野菜類は買ってくれば済みますし、卵も拭けば綺麗になります」


私は苦笑いをしながら引き出しから布巾を取り出して、黙って調理台を拭きはじめた。
すると、忍足先輩も引き出しから布巾を取り出し始める。


「手伝うたる。布巾これ使てええんやろ?」

「えっ…ダメですよ、これは私のせいなんで私一人でやります。忍足先輩、今日部活の朝練あるんじゃないんですか?」

「今日は休みや。二人でやった方が早く終わるやろ」


有無を言わせぬ様子で調理台に布巾を滑らせる忍足先輩。
すぐに嘘だとわかってしまうような嘘をついてまで、手伝うと言ってくれる忍足先輩の好意を無下にはできなかった。


「…ありがとうございます…」

「素直でええ子や」


それから私たちはひたすら黙々と調理室の掃除をしていた。
ほとんど拭き終えた頃には、ホームルームが始まる20分前。
布巾も実に10枚を消費するほどだった。


「じゃあ、私はこれ洗ってから教室に行きます。忍足先輩、ありがとうございました」

「俺も手伝うで」

「これくらいは一人で大丈夫ですよ」


これ以上先輩の手を煩わせるわけにもいかないので、今回ばかりは押し切って布巾をカゴに入れ、中庭の近くにある洗濯室に向かう。


「あれ…全部使われてる。運動部の朝練終わったからかな」


めったに洗濯室を使うわけではないから、いつものことなのか、それともたまたまなのかはわからないが、6つある洗濯機は全て使用中だった。

仕方ないので中庭の水道で手洗いしようと洗濯室を出る。その時だった。


「きゃっ!?」


いきなり頭から水を被せられ、私は思わず声を上げてしまった。
慌てて上を見上げると、昨日の女子たちが窓からバケツを手にくすくすと笑っている。


「綺麗になって調度いいんじゃない?」

「ははっ、ずぶ濡れ。あんたにはお似合いよ」

「いい気味!」


私は、甲高い笑い声を響かせながら去っていく彼女たちを呆然と見上げるだけしかできなかった。

髪や制服、カゴに入った布巾も水が滴り落ちている。
どうすることもできないまま立ち尽くしていると、向こうから忍足先輩が走ってきた。


「さくらちゃん、大丈夫か!?」

「おし、たり先輩」

「そこの廊下の窓から見えたで。あの子たちほんまにえげつないな…さすがにやり過ぎちゃうん」

「………」

「俺のタオル貸したるよって、それで身体拭きや」


忍足先輩は、しょっていたラケットバッグからスポーツタオルを出して私の髪をがしがしと少し乱暴に拭いた。
それでも何も反応を返さない私を不審に思ったのか、顔を覗きこんでくる。


「…さくらちゃん?」

「…………せん、ぱい、忍足、先輩」


気がつけば、涙が止まらなかった。
小学生の時から、滅多に人前では泣かなかったのに。

私は彼女たちに何か害が及ぶことをしたわけでもない。
ただ、日吉と――友達と話をしていただけだ。
それなのに言い返すことすらできない自分が悔しかった。

それに、出会ったばかりなのに私をいつも助けてくれる忍足先輩が優しすぎて、余計に涙は止まらない。
不意に、ぽんと頭に何かが乗っかる感覚がして、それが忍足先輩の大きな手だとわかった。


「さくらちゃんはなんも悪くないで。
泣き止むまでこうしたるから、今は好きなだけ泣いとき」


ぎゅっと、頭を引き寄せる忍足先輩。
嗚咽混じりに涙を流す私を優しく撫でてくれていた。







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