「あー…びっくりした」
トイレで鏡を見ると、やっぱり顔がうっすら赤くなっていた。
まさか日吉がこっちを向くとは思わなくて。読んでいる本を覗き込もうとしただけで。
唐突に本を閉じるから、心を読まれたのかと焦った。
その次の瞬間には日吉の顔が至近距離にあったのだ。
それに、日吉の口から「キス」なんて言葉が出てくるなんて。
てっきりその手の話は苦手だと思っていたから。
色々と考えを巡らせていたら、予鈴が鳴ってしまったので、私は慌てて教室に戻った。
教室に戻ると日吉は相変わらず本を読んでいた。
机の上に教科書も出さずに熱中するその本がなんなのか、私は知っている。
「日吉、七不思議もいいけど次は数学だよ」
「やっぱり知ってるんじゃないか。それに今日の数学は自習になったぞ」
「え、うそ」
「嘘じゃない。さっき先生が来てそう言った」
「ふーん…」
日吉はさきほどと何も変わらず黙々と本のページを読み進めている。
私は、机に頬杖をついて窓の外に目をやった。
雲が流れるのが早い。
幼いころにはあれが水滴の塊だなんて知らなくて、雲の上に乗る夢を見たりなんてしたものだ。
ふと、教室の中に目線を戻すと、クラスの大半は机に突っ伏して夢の中だった。
起きているのは私と、日吉。真面目に自習をする学級委員と、トランプで遊んでいる男子。
それからおしゃべりに夢中なメイクの濃い女子数人。
大半が寝ているにも関わらず、教室は騒めいている。
日吉も、ああいう派手でキラキラした女の子の方が好きなんだろうな。
「言っとくが、ああいうのは俺のタイプじゃないからな」
隣から急に声が聞こえて、私は飛び上がった。
「声に出てたぞ」
「げっ…」
うわ、恥ずかしい。だいたい、日吉の好みのタイプなんて私が知ってどうするんだろう。
「今はそんなくだらないことにかまけてる暇なんてないしな」
「日吉って好きな人とかいないの?」
「…お前、俺の話聞いてなかったのか?」
「じょーだんだよ。日吉の恋人はテニスだもんね」
私が冗談めかしてそう言うと、日吉は心底呆れたようにため息をついた。
「…まあ、間違ってはいないかもしれないな」
私は、少しホッとしていた。
日吉のタイプなんてどうでもいいし、誰を好きでも関係ない。
でも、もし日吉に彼女なんかができたら…、もう二人でこうやって他愛ない会話ができなくなる気がする。
日吉とはまだ、友達でいたい。
向こうは友達と思ってくれてないかもしれないけど。
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