理由なんて単純なものだった。 怖々と実行に移したものの、思っていた痛みはなく違和感もほとんど感じなかった。 耳元に付いた金属が歩いていると時々音を立てるその音を聞かなければ、ピアスを付けているのを忘れるほどだった。 いつもの時間に登校して、しばらく友達と談笑しているとHR開始の鐘が鳴った。生徒が席に着くと同時に担任が教室に入ってきた。 教壇に立った担任がぐるりと教室内を見渡した時、たまたま私と目が合った。担任は私の顔を(正確には耳を)凝視して一瞬眉間に皺を寄せた。彼にしては珍しく渋い表情だった。 その後すぐに私から視線を逸らして今日の予定を話し始めたから、見逃してくれたんだと思った。 「――2年2組の咲音メイコ、至急生徒指導室まで来るように」 が、見て見ぬ振りをするほど甘くはなかったようだ。 呼び出しを食らうのはもちろん初めてだった。けれど覚悟はしていたからそれほど慌てることはなかった。 まるで自分が呼び出されたかのように慌てる友人に大丈夫だ、と告げて教室から出た。 生徒指導室は二棟の一階のしかも一番端にある。生徒が滅多に近づこうとしない場所だ。ここにくるのは呼び出しを食らった生徒だけだという。 “生徒指導室”と筆で書かれた看板が扉の横に掛けてある。それだけでもう、この部屋に入る気がなくなってしまう。 それでも呼び出された手前、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。一度気持ちを落ち着けてから私は生徒指導室のドアをノックした。 指導室の中で待ちかまえていたのは生徒指導の先生と担任だった。強面で厳しいと評判な生徒指導といつも笑顔で柔和な担任が並んでいる様はなかなか不思議だった。 「君が校則に違反した、と訊いた時は信じられなかったが…」 生徒指導は残念そうに一言呟いた。返す言葉が思いつかなかった私は小さく俯いた。 それから問い詰めや説教を受けて、やっと教室に戻る許しが出たのは一限終了の鐘が鳴ってからだった。 教室に帰ろうと渡り廊下を歩いている途中で、今このタイミングで一番出会いたくない人物に出会ってしまった。さり気なく視線を外して逃げようとしたが、相手の数歩手前で名前を呼ばれて仕方なく立ち止まった。 「呼び出し食らってたな。優等生らしくない」 「そうですね」 「なにやらかしたんだ?」 「先生には関係ありません」 じとりとした眼差しで相手を睨んだが容易く受け流された。それどころか私の反抗が面白いとでも言いたげにニヤリと笑われた。 ひどく余裕のある態度は私を苛立たせた。その苛立ちがしっかり伝わっているはずなのに、目の前の相手は変わらず楽しげに笑っていた。 意地の悪そうな態度が嫌になり何も言わず横をすり抜けて立ち去ることにした。だが、今度はすれ違いざまに耳を引っ張られた。 ピアスは昨日開けたばかりだ。なにもしていなくても時々じくりと痛むのに、容赦なく引っ張られて思わず声を上げた。 「なにするんですか!」 「校則を破った生徒へのお仕置きだ」 「………」 「そんな怖い顔すんなって」 「先生は本当に教師なんですか?」 じくじくと痛む耳に片手をあてながら抗議する(もちろん睨みも利かせて)。けれど、やっぱり相手には効果がなかったようだ。悔しい上に腹が立つ。 数秒間睨み合いを続けていると次の授業の予鈴が鳴った。こんなところで油を売っていたら二時限目にも影響が出てしまう。 慌てて去ろうとすると三度呼び止められた。 いい加減本気で怒りを感じ始めていた私は、思い切り怒気をはらんだ声で叫んだ。 「なんなんですか!」 「お前、テスト相変わらず満点だったぞ。嫌味な奴だな」 「教え子に対して嫌みな奴って…」 「不満か?」 「普通、褒め言葉の一つや二つかけてくれません?」 不満を表すために口をへの字にする。可愛い子がやれば可愛い(当然だ)のだが、いつも無表情の私では明らかに不満だらけです、と言っているようになる。 さすがに相手も困ったのか口元に微苦笑が浮かんだ。その表情は一瞬で、普段目にしない表情に驚いている間に彼は私の頭に手を乗せた。 「偉い偉い。さすが優等生だねぇ」 「………気持ち込もってませんよ?」 「失礼だな」 頭を撫でられて喜ぶのは小学生ぐらいまで。高校生の私が同じことをされても嬉しくなんか、ない。 (はずなのに、なぁ…) 撫でられた頭からどんどん熱が広がる。順番に顔、首、果てはつま先まで熱くなった。これだけ熱い感覚があるのだから当然顔なんて真っ赤だろう。 気づかれるのが嫌で、ずっと俯いていると不意に横髪をかきあげられた。そのまま指が伸びピアスに触れる。 「わりと似合ってるな」 「顔、近いです」 「なにもしねぇから大丈夫だ」 「それともなにか期待したか?」 「ふざけたこと言わないでください!」 耳に触れていた手を叩き落とす。一瞬だけ相手が怯んだ。 その隙に思いっきり足を蹴って、走ってその場から逃げ出した。いってぇー、などと叫ぶ声が聞こえて少しにやついてしまった。 仕返しをした気分でいた私は三限目の彼の授業でずっと当てられっぱなしだった。 ピアス (授業中、日光に反射して彼の耳元がキラリと光った) |