暗闇で明滅するあかい光。ぼんやりとした明かりが照らす横顔はよく知ったもので、私は自分がベッドで横たわっていることを思い出した。 「……煙草はベランダで吸って」 「ん」 返事をした人影はベッドから腰を上げて外へ出て行った。枕元に放置してあったケータイを確認すると、ディスプレイに2時13分と表示されていた。 呑んで帰ってきてそのまま寝てしまったのか。枕に顔を埋めるとシャンプーの香りではなく、アルコールの匂いがした。少し呑み過ぎたかもしれない。 水でも飲もうかと立ち上がって冷蔵庫へ向かう。途中、脱ぎ散らかしたはずの洋服が綺麗に畳んで置いてあった。たぶん今ベランダにいる人物によるものだろう。変なところで律儀な人だ。 冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出してコップに移さず口を付ける。冷たい水が体に染み渡って幾分怠さが遠ざかった。 空になったペットボトルをごみ箱に捨ててベランダへ出た。外の風が思っていたより冷たくて身震いする。すると隣で煙草を吸っていたデルがこっちを見てにやりと笑った。 「……なに、」 「寝癖がひどいな、と思って」 指摘されて反射的に髪に手をやると嘘だ、と笑われた。冗談だったのだとわかって眉間に皺を寄せると拗ねるな、と笑われた。 いつもこうだ。からかいに引っかかった私を見てにやにやと嫌味な笑みを浮かべる(その笑顔が好きな私はどうかしている)。 「いつ来たの?」 「お前が起きるちょっと前」 答えてまた煙草を吹かす。 私はそれに生返事を返して夜の街へ目を向けた。途切れることのない人工的な明かりが街を照らしている。エンジン音を響かせながら道路を走る車はこんな時間にどこへ向かうのだろうか。 ひとしきり街の様子を観察したあとで、私は視線を空へと向けてみた。何機か飛行機が飛んでいるのが確認できたが、数多あるはずの星は一つも見えない。こんな街中で星を探すのが間違いなのか(別に探してなんかいなかったけれど)。 自分が馬鹿みたいに思えてため息を吐いた時、デルが私の肩を叩いた。なんなのか、と問う代わりに視線を投げかけるとデルはなにも言わず空を指さしていた。意図を理解した私はその指の先を辿る。 そこには月があった。星の光は一つも届いていないのに、月明かりは街の隅まで照らし出すように優しく光っていた。 「明るいわね」 「そうだな」 「少し欠けてる」 「十六夜だからな」 「なんでそんなに詳しいの?」 「偶然だ」 淡泊に言ってのけたデルは、一呼吸後に小さな声で歌を口ずさみ始めた。聞き覚えがあるような気がするが、曖昧だ。 せめてタイトルだけでもわかれば、とデルに訊くと知らん、と返された。 「月見てたらなんとなく出てきたんだよ」 「うわっ、似合わない」 「あ?」 「ロマンチストみたいな台詞だったから」 デルは無言で眉間に皺を寄せた。さらにニヤニヤしている私が面白くないらしく、ぷいと顔を背けた。もしかしたら照れているのかもしれない。 月を見ながらさっきデルが歌っていた歌を口ずさんだ。歌声が、煙草の煙と共に夜に溶けて流れていく。 その光景に切ないような哀しいような気持ちを覚えて、つい歌をやめてしまった。 「なんだよ」 「んー…なんか…」 「どうせしょうもないこと考えたんだろ」 気持ちを見透かされた気がしてドキッとする。 確かにしょうもない感傷だ。消える煙と歌声に私とデルの関係を重ねるなんて。先の見えない暗い闇に溶けていく様子が、私の心情そのものみたいで怖くなった。 「寒い」 ぼそっと呟いたデルは私の腕を引いて抱きしめた。デルらしくない不自然な行為だけど、抵抗する気持ちも焦る気持ちも生まれなかった。 私がなんらかの理由で落ち込んでいるとデルは必ず私を抱きしめる。そうすることが私への特効薬になると知っているからだ。普段は意地悪なくせに、私を甘やかすデルはとことん優しい。そういう所が好きで、同時に大嫌いだ(どんどんデルから離れられなくなる)。 デルの腕に収まった私は彼の優しさに溺れるために、彼の胸にぺたりと顔を寄せた。煙草の匂いに混ざって時々デルの匂いがする。私がどんな香水よりも大好きな匂い。 顔を埋めて思い切り息を吸い、デルの匂いで肺を満たす。くすぐったがって逃げようとしたデルの背中に腕を回す。 ぎゅぅっと抱きしめると頭の上で苦笑が聞こえた。それから優しく髪に触れる手。 (ああ、また) 優しさに足を取られる。 ゆっくり私を満たす温かい気持ちは、いつか私の心全てを支配するだろう。私は抵抗する術を知らず、ただ受け入れる。拒絶、は選択肢にない。 そうだ。まるで今眼下に広がる街のようなものだ。この街が月明かりから逃げられないように、私もまた彼の優しさからは逃げられない。 けれど月は夜が明ければ消えてしまう。消えられない街は、私は、 ムーンライト (優しく冷たい夜の街の支配者) |