feat.月花ノ姫歌 秦野P ver. 竹林を風が駆け抜けた。雨上がりのひんやりとした風は清々しく心地がよい。風に髪を浚われながら僕は目を細めた。見えるはずのない姿を捜して。 彼女と出会ったのは、ちょうど今ぐらいの季節だった。迷子になっていた彼女はなかなか泣きやんでくれず、僕は仕方なく気に入りの風車をくれてやった。すると泣いていた彼女は涙で濡れた目を僕に合わせて小さく笑ったのだ。 「ありがとう」 「別に、」 やわらかな声に心臓がふわふわした。温かく優しい波が体を巡って僕の顔を火照らせた。 そんな感情を悟られまいと、ぐいっと些か乱暴に彼女の目元を袖で拭ってやった。するとまたやわらかな声で礼を告げられた。 「……出口まで送る」 ぶっきらぼうに告げて彼女に背を向けた。勝手に付いてくるだろうと思って先に進もうとすると、後ろから手を引かれた。 驚き振り払おうとしたが、彼女は強く僕の手を握っていたので無理だった。諦めた僕は小さな手を握り返した。温かくやわらかな感触が伝わってきて、またさっきの波が体を巡った。やけに鼓動が逸るのに気がつかないフリを決め込んで、出口まで足早に向かった。 鳥居の近くで手を離してもうこちらに来てはいけない、と念を押した。彼女はにこにこと笑ってわかった、と頷いた。 鳥居を越えた先で彼女は振り向いて僕に大きく手を振った。手に持っていた風車がからからと回っていた。 念を押したのにもかかわらず、彼女は翌日も鳥居の前に来ていた。入ってはいけない、という約束は守るつもりなのだろう。 しばらく観察していても彼女に帰る様子が見られず、渋々鳥居を越えた。 現れた僕を見て笑顔になった彼女にいつの間にかつられて、僕まで笑っていた。 それから何年か、不思議な友人関係が続いた。彼女は成長して、僕の背丈を軽く追い越していた。それでもいつも手を引くのは僕だった。 身長が伸びる度に無邪気に自慢をする彼女を見ながら、僕はいいようのない不安を感じていた。 いつまでもこのままではいられない。そんな確信が心の中に芽生えていた。 僕と彼女を隔てる決定的な出来事があったのは、奇しくも僕たちが出会った時と同じ季節だった。 その日、僕と彼女は蛍を見に来ていた。何百と群をなす蛍たちを彼女は感嘆しながら見つめていた。一方僕の視線は蛍よりも目の前にいる彼女ばかりを追っていた。 そんな自分に気づいて思わずそっぽを向いた。心臓の辺りから熱が広がって熱い。 「レン」 不意に名前を呼ばれ振り向くと、彼女がうちわで顔を隠しながら一輪の花を手渡してきた。なにも気にせず受け取ると、彼女はぱっと僕に背を向けた。後ろからでも彼女が照れていることは簡単にわかった(なにせ耳が真っ赤だったのだ)。 受け取った花は『捩花』だった。この時期にたくさん咲く花で確か花言葉は 思慕(あなたを慕っています) 月明かりに照らされる彼女の後ろ姿が、昔話の姫に重なった。気がついたら僕はそこから逃げ出していた。彼女を置き去りにして。 知っていたはずの事実が痛いほど心を突き刺す。鳥居を抜けて竹林の奥まで全力で駆け抜けた。石に躓いて転ぶまで一心不乱に走り続けていた。 ―嬉しかった。 彼女の真剣な想いを向けてもらえたことが。同じ気持ちでいたことが。 ―苦しかった。 僕らは生きる時が違う。彼女の気持ちは拒絶するしかない。想いは同じなのに、どうして。 ―悔しかった。 自分が彼女と違う存在であることが。せめて同じなら、 キツく握っていた手には彼女からもらった捩花があった。手放せないそれを握り締めながら、僕は初めて声を上げて泣いた。 それからも彼女は会いに来た。 鳥居の前で立つ彼女を、僕は隠れて見つめていた。決して姿は見せないように。 秋が来て、冬が来て、春が来て梅雨が来て、夏が過ぎた。 季節がひとめぐりした頃、彼女は諦めた。鳥居の隅に昔、僕が渡した風車をそっと置いて。 それからまたいくつも季節が通り過ぎていった。その間にいくつも風の噂を聞いた。 彼女が輿入れしたこと。 彼女に子どもができたこと。 彼女の娘が輿入れしたこと。 彼女に孫ができたこと。 彼女が―亡くなったこと。 最後の噂を聞いたとき、いつか見た紙芝居の終わりを思い出した。空から遣いが来て、姫を連れて行く。残されるのは彼女をいつまでも忘れられない哀れな男。 (僕もきっとそうなんだ) 月を見上げて夜空に彼女を想う。少しだけ欠けた月はいつかと同じに僕を照らしていた。 花言葉 (その気持ちは永遠に) |