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ばふ、と。
いやに弾力のある妖に顔面を覆われたのは覚えている。
ただその後、今こうして兄に抱えられているまでの経緯は一切、記憶に無いのだが。
(俗に言う姫抱き、ってやつだ)
「……あ〜〜…
ごめん、兄貴。
つーか下ろして、」
…多分歩けるし。
良守はそう言って兄の胸を衝いたが、何故か一層がっちりと身体を抱え込まれてしまった。正守の歩幅が少し大きくなって、その振動で良守の身体もふわふわと跳ねる。
口を真一文字に引き結んだ兄を見上げて、良守は小さく溜め息を吐いた。
何かまた妖との戦闘でしくじっただろうか―――
否、しくじったの、だろう。
でなければ自分の記憶が飛んでいることも、夜行の頭領として忙しない日々を送る兄が突然目の前に現われたことにも、説明が付きやしないから。
良守は首を戻して、どうにも気まずい気分の侭、腹の上に置いた手を遊ばせた。
…筈だったのだけれど。
「………あに、き」
ぴしゃん!
良守が顔面蒼白にして零した言葉は、其れを向けた人には届かなかったらしい。
呼び掛けと同時の襖の閉鎖音が、えらく良守の耳に響いた。
暗闇の部屋に四角の壁が音も立てずに成形される。
(保険体育の授業、もう少し真面目に受けていればよかったのか。
否、寧ろ生物学を学ぶべきだったか。)
涙目の良守は、腹を見下ろそうとすれば視界を遮る、そのふくよかな肉を、そっと両手で包みこんだ。
「……あ゛に゛ぎ〜〜!!」
「あーもう、お前ってやつは本当に…。なんで毎回、訳分かんない妖に訳分かんないことされてんの。」
――うわあぁぁん!
正守の苛立った声に、ああつまり【此れ】は妖の仕業であるのだと、良守が悟った途端。
震えるくちびるから、子供のような大きな咽びが溢れた。
(泣きたいのはこっちだよ、)
正守は大口を開けて泣き喚く弟を宥めるように、わしわしと頭を掻き撫でた。
「こら、泣いたって仕方ないだろう。
元凶の妖は時音ちゃんが滅したらしいけど、まだお前が【そう】なってる以上、呪いか何かが残ってるかも知れないんだよ。」
「ふ、ッぐ……、うぁ……う゛わあぁぁぁん!!」
「はいよしよし。
兎に角落ち着きなさい。
今夜行の人間に妖について調べさせてるから、そのうち何か分かるさ。
――しかし、どうなってんのかねー、コレ。」
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