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花より団子


灰青色に澱んだ空は、このところほんのりと温み出した春の空気をぜんぶ吸い取って、重く冷たい雨粒に変えた。

『夕方から翌朝にかけて、大雨になる見込みです。』

こういう時だけ期待を裏切らないのが天気予報だ。ただでさえ憂鬱な空が、じきに花散らしの雨をもたらすだろう、と告げる。誰が悪い訳でもない。たまたまこの週末に満開となった桜も、春先の崩れやすい天気も、もちろん(暗にではあったが、)「やっときれいに咲き揃った桜ですけれど、残念ながらおじゃんです」と言い放った天気予報士も。かといって良守はドタキャンとド忘れの得意な兄を責めない訳でもない。


「………だからいったのに」


誰にともなく呟く。見つめる先は090から始まる同じ模様の羅列。暗い台所にぼんやりと発信履歴を浮かべる携帯電話を、小麦粉まみれの掌で ぱちん、と閉じた。冷たい雫になぶられる、満開を迎えたばかりの薄桃色の花びらを、良守は窓辺に顔を寄せて静かに眺める。
ああなんてばからしい。

零れた溜め息は、雨粒と一緒に ぱたりと地面に舞い落ちて消えた。



――――……‥・



早朝から何度も喧しく着信を知らせていた携帯電話が、夕刻を過ぎたあたりでとたんに口を噤んだ。途絶えた着信履歴の更新が、桜の見頃が終わったことを静かに告げる。(それは残念だ、)
こきこきと肩を鳴らして筆を置くと、見計らったように背後の襖が開いて顔つきの険しい女性が覗いた。

「ん、出来てるよ。」

 ばさ、と分厚い紙の束を軽く持ち上げてみせると彼女は小さく会釈して お疲れ様です、と腕先の重みをゆっくり取り去った。


あっちはもう散ったらしいね、
窓の先に浮かぶ深い山の中でまだ春を待つ薄桃色の蕾を思って呟いた。
忌々しい紙束をたおやかな手つきで整えていた女性がふいに視線をこちらへ寄越す。桜ですか。窓の向こうに視線が移る。正守は何も言わずに居たがきっと彼女は理解しただろう。恐らく何もかも。
しばしの沈黙の後、「では、お預かりします。」と、正守が食事入浴寝る間すら惜しんで作り終えた(にしてはあまりに頭が冴えなかったので内容は一切覚えてはいないが)始末書のようなものを携えて、羽鳥は静かに牢屋のような小部屋を後にした。
出てゆくまでに、背中の方にちくちくと刺さる冷たい視線が「今からでも飛んで帰ればいいでしょうに」と容赦なく正守を責めた。
どうして彼女は俺の下で弟の側に居るのだろうと正守は自嘲ぎみに机に突っ伏した。


無理をいえば帰れなかった訳でもないが、何が何でも帰りたかったという訳でもない。ところが花見に誘ったのはこちらである。弟と、ふたりで、花見に。よく考えずとも脳味噌が沸いているとしか思えない。弟においてはなれたもので、またあの人でなしの兄が酔狂なことを言い出した程度に適当な相づちを寄こすばかりだった。
そこまではよかった。
驚くべき事に弟は、最後に小さく、忘れるなよ。そう零して電話を切った。

忘れるなよ。

困ったことに正守ですらその言葉の意味するところがありありと見えてしまった。
その後一体彼はどうしたろう。小躍りでもしながら桜餅か、はたまた手の込んだケーキでも作っていただろうか、桜の塩漬けなんかも添えて。


自分から誘っておいて何だが、第一花見とは何なのだ。花を見て何をするのか。ハナを見てナニをスルのか。桜が人を狂わせると言うのは幾度か聞いたことがある。だとすれば彼の地に咲く狂い桜など見てしまった日には、きっと誰も彼も狂いにくるって我を忘れ、我を亡くすにちがいない。そうであるなら俺はきっといちばんにその影響を受けているにちがいない。

もう一度言うが、脳味噌が沸いているとしか思えなかった。精根尽きて疲れ果てたとき瞼に浮かぶのがすぐ下の弟ともなれば狂っている以外になにがあるだろうか。
ああ、たべたい。
人に対してこの表現を使うのはおかしい気もするが、身体が欲している。彼を。出来ることならとっとと咀嚼して腹に納めてしまいたいほどだった。もう砂糖漬けにしか見えなくなってきた弟に会うため正守はすばやく腰を上げ、
そしてすぐに卒倒した。





甘党の俺が血糖値不足だというのだから医者も笑わせてくれるものである。





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