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(――あんな綺麗で、怖い犬、みたことない。)
良守の夢に現われた其の犬は、妖と見紛うほどの姿をしていた。
世の闇を渾て吸い取ったような、漆黒の毛並み。強靱かつしなやかな体躯。暗い夜色をした透明な瞳の底は見えず、覗きこめばその鋭くも優しい眼差しに良守の思考は奪われた。
――きれいだ、
ああなんて陳腐な台詞しか出てこないのか。自身の語彙の乏しさを恨みながら同時に、此の「犬」の姿を形容できる言葉なんて、人の考え得る範囲では存在し得ないだろうと感じた。突如現われた犬を前にして、良守はただ呆然と立ち尽くして居た。
暫くして、その滲む強さと美しさに目を奪われていると感じていたが、それはまた恐怖に全身を縛られていたことであるのだとも気付き、良守はひどくうろたえた。
今こうして向かい合っている瞬間にも良守の喉笛にがぶりと食らいつきそうに、ギラギラと尖らせた牙がちらり覗いた。
(でも、ちっとも厭じゃない。)
むしろ其の侭噛み砕いて、我が身をお前の糧にしてくれたら。
(そうしたら俺も、お前のものだ。そしてお前も。)
自分でも可笑しいと思う程恍惚としたその感覚に、良守は溺れていた。
「犬」はただ、
その真っ暗な瞳で良守を見つめるだけだった。
「なんかオマエにそっくりな気がしたんだ。全然違うのにな。」
庭に向かい空をあおぐ兄の目線は動かなかった。
(こいつ、話きいてんのか)
いい加減独りごちるのもなんだかいやになってきたので、すこし俯いて、静かに回れ右をした。
「――俺も、みたよ」
「………え。」
首だけ、さっきの方向に振り向くと、まだ同じ所をみていた兄が、すこしだけ笑っていた。
「俺も良守といる夢、みたよ。しかも、俺たぶん犬だったんだよなあ。」
不思議だな、と、子供のようにくすくすと笑いながら、膝を立て、こちらへ体をむけた。
「おいで、良守。」
手招きされて戸惑う。
眠い頭ですこし考えて、良守は促されるまま縁側に腰掛けた。
――――……‥・
「オマエ、飛び掛かって俺にのしかかって、顔とかすごい舐めてくんの。でかいのに。重いし。噛み殺すんじゃなくて圧死させる気かよ、と思ったな。犬のくせに。」
腰掛けて、また続ける。
正守はすこし笑いながら、素直に横に座った良守の顔をみとめて、またぼんやりと空を見上げた。
言ってみて、すこしだけ恥ずかしくなって、わざと視線をずらした。
縁側から下ろした足をぶらぶらと遊ばせる。
(でもなんで、わかったんだろう。
あの犬は、正守だったんだ。)
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