一 眩しかったのは、 始まったばかりの夏の太陽でも、 ガラスのコップに注いだ空色でも、 きらきら濡れた、 あの大きな瞳でも、なかったんだ。 にじいろソーダ水 じわじわじわ。 生まれたての蝉が、短い夏を生き急ぐように鳴き喚く。 じりじりと、真昼の町を焦がす太陽に背を向けて、走る、走る、走る。 「―――ただいま…っ!」 がらり、 大きく開けた扉の先に横たう、小さな影。 それは、ひやりと冷たい床板の上に寝転んで、通り過ぎる風に柔らかな黒髪を遊ばせていた。 「………良?」 幾度か大きく息をして、乱れた呼吸を整える。 問い掛けても返らない答えに首を傾げてから、少年は思い出したように靴を脱いだ。 そろり、 と、上り框<かまち>に横たわる彼の隣りへ腰を下ろす。 (また、ぐずったのかな) 覗き込めば、朱に染まり少し腫れた目元に、うっすらとした涙の跡。 …そういえば、今朝はこっそり家を出たのだった。 ふと思い返して、(ほんとうに寂しん坊だなあ、)額に張り付いた黒髪を優しく梳いてやる。 「………ん、」 「……起きたか?」 おーい。 ………、 よし? よーしー、 よしもりくーん。 からかうように様々に読んでやると、(ちびよしー、)彼が一番嫌う呼び名が飛び出す直前に、 ふわり、 紅く腫らせた、薄く小さな瞼が開いた。 「………にーちゃ、」 「うん、にーちゃんだよ。」 起き抜けの、舌足らずな言葉に、口許が和む。 良守は横たわったまま眸を擦り、ぱちぱちと瞬きをして、くるりと身体を仰向けた。 「おかえりー。」 良守はまだ寝ぼけたままの眼を細めて、 ふにゃり、柔らかに微笑んだ。 幸せそうなその表情を、少し羨んで、苦笑する。 「暑かったのか?」 どうして、こんなとこに。 汗ばんだ額をぺしぺし叩くと、 良守はうー、とか、んん!とか言いながら、制するように手を伸ばした。 ――気にしないように、 すればする程…目に留まる。 彼が掴んだ、その証。 そっ、と、触れてみた。 広げた小さな手のひらの、小さな小さな四角形。 なぞるように、つう、と指を動かした。 (ああ、そのときの、彼の表情といったら。) 良守は一瞬、くすぐったそうに顔を歪めたかと思えば、 すぐにその大きな眸を真ん丸にして、不安そうに此方を見上げた。 「……にい、ちゃん。」 「―――良守、ソーダ、飲むか?」 お前の為に、買ってきたんだよ。 手に下げたビニールの袋を、眼前に掲げてやる。 するとさっきまでの、怯えた表情は何処へやら。 良守は、ぱっと花が咲いたように笑うと、飛び起きて、温度差に濡れたビニールを抱き締めた。 「のむ!!!」 「ん。じゃ、 ――ほら、おいで。」 そのまま袋を彼に預けて、腰を上げる。 じっと此方を見つめる眸を、 ――その光を、 遮るように、ふわふわの頭を掻き撫でた。 ん、 と言って、当たり前のように差し出された、 小さな手のひらを受け取った。 「…氷、まだあったかなー。」 「ね、にーちゃん、 よしのコップ、ガラスのがいい。」 「あーそうだな、 じゃあ俺も、同じのにしよ。」 くすくす、笑い合う瞳。 汗ばんだ手のひら、 とろけた太陽、 つめたいソーダ。 気付いたのは、 夏の気配と、ちいさな痛み。 (まだ、知らなくていいから) 微かな光を、 閉じ込めるように。 その手をぎゅっと、握り締めた。 → |