鳥肌が立つ(氷室)
早朝。私はルームメートを起こさないよう、こっそりベッドを脱けだすとトレーニングウェアを素早く着て、寮の外へ出た。
靄の世界。息を吐くと目の前は白。
その息を片手に持っていた剣で払うと、ビュン、という風を鋭く切る音が、無音の世界に響き、何処か身が引き締まる思いになった。
「さあ、久しぶりの朝練、頑張ろうかなっ…」
伸びをひとつして、人目につかない場所へ歩きだす。
そう思って道を進んでいたら、微かに、さっき私が鳴らしたような風を切る音が近くから聞こえた気がした。
―私以外、朝練してる人が近くにいるのかしら。ちょっと、気になってきたな…―
強くなろうとする仲間を想像すると、ウズウズしてしまうのが私の性。しかもあの鋭い音はなかなかな腕前の持ち主だろう。
ゆっくり…邪魔しないように…そこに近づくと、やっぱり、人影があった。
―って、あれは…まさか…―
見間違いだと思って一度目を擦る。…でも、あの長身と短い髪、何より醸し出す氷のような殺気は氷室さんに間違いなかった。
私は木の幹に身を隠し、…彼女の様子を伺う。
「すぅ……」
氷室さんは一度息を吸うと、剣を上段に構え、宙を切り裂いた。
そして素早く下段から返し刃で振るうと横に薙ぎ払い、左足を軸に身体を半回転させると剣の柄を突き出す。
そして空いた片手で鋭い手刀を決めた。
―綺麗―
まるで相手がいるような…流れるような剣の舞に私は魅せられる。
長めの前髪から覗く瞳は鋭く細められ、仕合いのような緊張感が辺りに漂っていた。
そのピリリとした空気、氷室さんの動作、一つ一つに私は息を呑み、剣待生として胸が躍った。
「ふぅ…」
舞いを終え、氷室さんは髪をかきあげる。
汗の伝うその横顔の美しさに次は、美術部員として胸が躍った。
「貴方、いつまでも見てるつもり?」
そんな鋭い声に、私は肩を震わせる。
「あっ…えっと」
深呼吸して、さっきまでの様々な高揚をおさえつけ、どうにか笑ってみせた。
「ごめんなさい、遂…、ね」
あっさり姿を現した私の顔を見ると、氷室さんはやれやれと腕を組む。
「…上条さんだったの。…おはよう」
笑顔で放たれた『おはよう』に好意が微塵も含まれてなかったことは悟ったけれども、無視もなんだし、と同じく返してみせると氷室さんは苦々しくため息を吐いた。
「見ても得しないわよ。私、決まった型はもってないから」
「ああ…だから剣と格闘が混じっているのね」
ぽんっと手を叩いた私に、氷室さんは一瞥すると無言のままタオルで汗を拭った。
「でも驚いたわ。氷室さんは…その、練習、嫌いそうに見えるから」
「…剣は私にとって所詮暇潰しだけど、強くないと炎雪を飼い慣らせないし。Aランクは甘くない。たまに位は練習しないと…特に最近は可愛い後輩に立て続けに負けてるし、ね?」
クスリと微笑む氷室さんにどう言っていいものか…悩んだ結果、私は、逃げを選んでしまった。
「さ…さて、私もそろそろ始めないと。お邪魔、しました」
振り返って、足を踏み出そうとした時。
「っ…!!」
背筋に走った殺気に私は筋肉をフル動員して後ろに飛んで、剣を構えた。
刹那、痺れる手。思わず眉を寄せると、私は鳥肌が立つ程の鋭い視線で居抜く彼女と剣を交わしていた。
「…突然だなんて、ソードマンシップに反するんじゃない?」
「…生憎、私はそんなの持ち合わせていないから」
ギッと強まる力に、私は勢いよく剣を払って、あしらった。
「ねえ上条さん。特訓に付き合ってあげましょうか?」
―あの舞いを、間近で見られるのなら―
「私は…」
そんな誘惑が私の心を掠めた。
唾を飲み込み、私はゆっくり口を開いた。
「…遠慮するわ」
でもここで誘いにのれば、遠回しにもゆかりを裏切る形になる。ゆかりの信頼を失う、それは私にとって何よりも許しがたいこと。
「…刃友との約束がそんなに大切?」
「大切よ。何よりも」
そう私が言うと、氷室さんは小さく、唇を尖らせた。
「…虫酸が走るわね。しかも強調されると余計面白くない」
「でも、迷ったわ」
「なにが?」
「だって、練習してる氷室さんが、あんまり綺麗だったから、一緒に舞ってみたかった」
「…な…にを…そんな、言われたこと、な…」
そういいながら氷室さんは珍しく瞳をしばたたかせて、剣を下に降ろした。
「…はあ、上条さんって、からかい甲斐があるけど、反応が真っ直ぐ過ぎて苦手だわ。嫌味も届かなくて嫌になる」
そう言って氷室さんは何故か顔をタオルで隠して、脇をすり抜ける。
「…私も、貴方の型、嫌いじゃない」
すれ違い様、確かにそう呟いた氷室さんの言葉に不思議な熱を感じながら。その背中が、いつもより親しみやすく見えて、私は後ろから声をかけてしまった。
「また…、良かったらまた、練習を見てもいいっ?」
「嫌よ。一人で集中したいもの」
迷いなく放たれるその言葉はいつもみたく素っ気なくて可愛い気がないけど、
ちょっとだけ、弾んでいたのは私の気のせいじゃないと思う。
END
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