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裏地球史ミステリー
与那国島海底遺跡

沖縄の与那国島周辺の海底には、ムーの名残と思わしき謎の古代遺跡が沈んでいた‥

沖縄本島から遥か南の八重山諸島、日本最西端にある与那国島。

その美しい青い海の底に巨大な石造りの神殿が眠っていました。


地元ダイバーが偶然に見つけたポイント。
海底遺跡を発見したのは島のプロダイバー荒嵩喜八郎(あらたけきはちろう)氏であり

1986年、島の南の新川鼻という岬の沖合いで新たなダイビングポイントを捜していたときのこと岬の沖合いで潜ったとき荒嵩氏は、人工的な物としか思えない「神殿跡」巨大な石の建造物らしきものに遭遇し人工的な美しさとスケールの大きさに鳥肌が立つような感動を覚えたという。

インカ遺跡を彷彿させる、そのダイビングポイントを(遺跡ポイント)と名付けた。
この海底遺跡は、陸地から約100メートル離れた水深25メートルほどの場所にある、大きさは東西に約200メートル南北に65メートルで奥行き40メートルほど

加工したもので海底から約25メートルの高さまで垂直に静かに海底にそそり立っている。

神殿は南側(海側)が正面らしく、階段があり北側(陸側)は人が渡れるような橋のような構造になっている。
階段を上がるといくつかの平坦なテラスに至る。

神殿の周囲にはループ道路と呼ばれる通路があり、その神殿側には、建造物を支えるための石組み構造が見られます。

また信仰対象?亀や巨大岩が配置されている、岩石は堆積岩で砂岩と泥岩の中間の大きさの粒が固まった
シルト岩と同定されてます
荒嵩氏が、この構造物を人工物だと考えたのは自然に浸食されてできたなら当然あるはずの岩のかけらが周囲の海底に落ちていないことだった。

その後、何度か学術調査が行われ、人工的なものである証拠がたくさん見付かった。

以降、琉球列島のあちらこちらの海底で、次々と遺跡が発見されていくことになる。

たとえば慶良間諸島(けらま)では、6本の道状の溝が中心の岩から放射状に伸びているサークル状の構造物が、また階段状の大岩や※亀の甲羅型に配置された石組が見つかっている



粟国(あぐに)島、西南の沖合いでは人工的な丸い穴があけられた大岩が発見された。
その南側に四角い岩が積
み上げられた石垣構造が
あった

沖縄本島の北谷沖合いでも、沖縄独特の城(グスク)に似た構造物が見つかった。
台湾にも沈んだ城の伝説があり、1996年に東西南北200メートルほどの長さで十字に交差する巨石の城壁が確認された。

台湾は与那国島から111キロと、石垣島(124キロ)より近い距離にあります。

こうしたことから、沖縄の海底遺跡は単体ではなく共通性のある文化圏を形成していたのではないかとされる。

これらの海底遺跡の存在は、考古学上の大問題となる、なぜなら‥遺跡は陸上で建設されて、その後海中に没した。

当時、巨石を組み上げるだけの文明が存在した証明でもある。

海に沈んだ原因を温暖化による「海進」とするなら遺跡が地上部にあったのは、今から1万年以上前となるからです。

現在わかっている最古の文明、メソポタミアのシュメール文明が6000年前だから、それよりも古い文明があった、といわざるをえない‥
考古学の常識を覆す遺跡でもあるのです。

そこで衝撃的な説を発表したのが琉球大学の木村教授です。

これらの海底遺跡を失われたムー大陸の一部としたのです、実は教授のこの説は遺跡だけを根拠とするものではなかった。

‥また木村教授のいう「ムー大陸」とはチャーチワードのムー大陸とは似て非なるものであり、太平洋の真ん中ではなく北西部(端)に存在したものである。




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