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∞陰陽道探究∞
平安朝と安倍晴明の実像

陰陽寮が管理する天文道
のトップの座にいた晴明は
国家の科学技術部門を
つかさどる技術官僚の
立場にあったわけです。


676年の陰陽寮創設と
ともに、陰陽寮には
占星台が設置された。

天文博士としての
安倍晴明の仕事は
占星台から観測した天体
の状況を天皇に奏上
(そうじょう)すること
だった。

現代では、気象衛星の
データをもとにして天候
を読み取るのが
気象予報士の腕の見せ
どころになるが…


だが、平安朝の天文博士
が読み取るのは
自然現象なんです。

自然を見つめて
日々刻々と自然の景色は
変化していく夜明けなら
群青色から縹色へと
そして明るい、あかね色
へ朝日が登りゆく空模様
染め上がる雲…と

変化する自然を観察して
風・雲・日・星・月を読み
天文博士が読み取りする
のは気候どころでは
なかったのですから。

天文道は、天文と気象の
観測から国の吉凶を判断
する術だった。

天文・気象の異変は
古来、天下の動きに
通じていると信じられて
いたのである、

日本書紀の舒明(じょめい)
天皇の章には
「(舒明)6年8月、長い
ホウキ星が南の方角に
見えた」

「7年3月、彗星が
めぐって東のほうに
見えた」などの天の異変
に関する記述がならび


それらの年に事件や災害
が多発したことが
記されています。

ところで、陰陽寮に
関して律令には
きわめて厳重な規定が
定められていた。

それは…
「陰陽寮の職員は
それぞれの専門分野に
かんする器物、書物は
私有してはならず
私的に学んでもならない。
この定めに違反する者は
労役一年に処す」という
ものです。

この職員規律の目的は
国家による陰陽道の独占
管理にある。

さらに律令は陰陽寮の
職員にたいして、寮内の
他部署がつかさどる分野
を学んではならないとの
規則まで定めていたのです

この職員規律によれば
安倍晴明は占筮の書や
暦道の書を読むことを
固く禁じられていた
ことにもなります。

そこで思い出されるのが
晴明の幼少時にまつわる
伝説です。

あの伝説には
「賀茂忠行は、晴明に
陰陽道のすべてを
教えこんだ」とあった。

この一節から真実を読み
取るならば
陰陽頭だった忠行は
みずから禁をおかして
陰陽道の(すべて)を晴明
に授けたことになります。



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