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∞陰陽道探究∞
怨霊と化した天神様(5)

そのいっぽうで、時平は
ぬかりなく
こう醍醐天皇に注進した。

「道真は、宇多上皇と
結んで、おのれの孫を

皇太子に立てよう
と企てております」

状況からいえば、おおい
にありうることだった。


すでに宇多の初孫が
誕生したことに神経を
とがらせていた醍醐は

怒り心頭に発して
すぐさま道真の流罪を
決定してしまう。



それにさいして醍醐が
布告した宣命(センミョウ)
の文面は激越をきわめた。

「道真は、よこしまな
心をもって上皇をあざむき

現天皇(醍醐自身のこと)の廃立をはかって

父子のきずな、兄弟の
愛を引き裂こうとした。」

このとき、藤原時平は
してやったりという
大満足にひたっていた
ことだろう。


だが、道真の死から
六年後の延喜九年(909)
三月、時平は 重い病に
おちいった。

それを境にして、時平の
心に恐怖が巣くいはじめた

都には、すでに道真の
怨霊をウワサする声が
広まっていたのですから


道真が死んだ年には
かってない大旱魃
(だいかんばつ)があり
翌九0四年には疫病が
大流行した。


それらは、すべて魔物と
化した道真の怨霊の
タタリだという声が

ちらほらと聞こえていた
のだ。

まるで、そのウワサを
裏付けるかのように
時平の病は、いかなる
名医にかかっても治らな
かった。


時平は、陰陽五行説への
造詣(ぞうけい)で
知られた陰陽師の
三善清行
(みよしのきよつら)に
泣きつくことになる。


三善は、息子の
浄蔵(じょうぞう)を
時平の邸宅によこし、
悪霊祓いの祈祷を行じさ
せた。


「北野天神縁起」では
清行が時平の見舞いに
訪れると、時平の耳から
青い龍が顔を出してから


こう語ったことになって
います。

「こちらは正当な復讐を
しているのだ。
お前の息子に、それを
邪魔しないように
いっておくがいい。」


その年、時平は…
あえなく病死したのである
三九歳の若さだった…。


道真の追放をくわだてた
張本人の死は、道真の
怨霊が都に帰ってきている
というウワサにさらなる
真実味をほどこした。


そして、九三0年、
天皇の御殿である清涼殿
が落雷によって炎上した。
それは…。
宮廷の人々にとっても…
もはや道真の怨霊のシワザ
以外の何ものでもなかった
怨霊にたいする恐れが
あるかぎり怨霊は実在する
その意味で、道真は
じっさいに
「天満自在大天神」と
化して復讐をなしとげた
のです。


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あきゅろす。
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