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∞陰陽道探究∞
魔界と陰陽師の霊戦[3]
『怨霊(おんりょう)』

陰陽道は平安時代に
なって最盛期をむかえた。
それは、この時代に
怨霊が最盛期をむかえた
こととおおいに関係がある
右大臣藤原実資
(ふじわらのさねすけ)
が著者である「小右記」
には、怨霊に悩まされた
平安貴族が陰陽師の
憑祈祷(よりきとう)を
受けた記事がふんだんに
記されている。

そればかりか、あらゆる
史書は、平安時代に
なって、急激に怨霊が
バッコしはじめたことを
示しています。

それは現代社会でも
起こりうる可能性がある
いゃ、すでに起こっている

苛め、猟奇事件、誹謗
生活苦による自殺や恨み
ネット世界において
目に見えない安全圏から
人を咎め立てや濡れ衣
などの冤罪など数多ある

怨霊というものは
何らかの意味で強い
社会的変動を起こす
政治革命によって
生じるものである。…


古代における
「政治革命」とは

中大兄皇子
(なかのおおえのみこ)

蘇我入鹿(そがのいるか)
を朝儀におびき出して
斬殺[大化の改新]した
ような

マフィア的謀殺、あるい
は権力闘争をめぐる
内乱を意味します。


平安の初期から
「藤原摂関(せつかん)
時代」とよばれる

平安中期までは、
藤原氏の独裁によって
内乱がおさえられて
いたが……

水面下では、その独裁を
保つための謀略が
数多の怨念や心の闇や
惨死を生み出していた。


暗殺、処刑、あるいは
政治的抹殺による死など

それらにまつわる謀略の
証拠は残らなくても
怨みの怨念や
憎悪の闇や死んでいった
者の怨念だけは残る。


そして、その強烈な怨念
は、世間が知らなくとも
死んだ者と……
死ないたらしめた者だけ
は知っているのだから


平安期にあらわれた
霊鬼(れいき)怨霊の
数々は、暗々裏
(あんあんり)のうちに
なされた謀略の数を
示しているといっても
いいでしょう。

そして霊鬼(れいき)
怨霊のお祓いである
魔界(冥界)における
戦い(祓い)でもっとも
重要なポイントは

隠れた敵の姿を
見出すこと、敵から姿を
隠しおおせることの
二点にしぼられると
いっていい。

安倍晴明の幼少時の
伝説が、そのことを
雄弁に物語ってる。


幼い晴明は、闇のなかに
隠れた鬼を見出し
義父の賀茂忠行は
隠行(おんぎょう)の
術をつかって鬼たちから
姿をくらましている。


※怨霊は、あらゆる
凶事をもたらす目に
見えない力として
あらわれるのであって

ほとんどの場合、
陰陽師が術によって
探り出さないかぎり

その正体をあらわす
ことはない。

たしかに、恐るべき
モノにはちがいないが
姿形がないだけに
シロウト目には
たんなる病気や災害と
見分けがつかない。


すなわち、多くの
説話、伝承では、
怪異な姿をともなって
あらわれる怨霊や悪霊を

『霊鬼(れいき)』と
総称している。

もはや人の姿形を
してないモノ…である

つまり魑魅魍魎や妖怪
と同じなのである。

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