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∞陰陽道探究∞
魔都・平安京の秘密(2)
天皇が住まう
天皇が政務を司った
大極殿(だいごくでん)
は大内裏の中心部にあり
ました・天禄元年/970
の記録には……

平安京の大極殿は
出雲大社、東大寺大仏殿
と匹敵する大建築とあり
ます。

正面の広さは10本の
朱塗りの柱が組まれた
十一間(けん)で

石段が三ヶ所に
もうけられている、

頂の両翼に黄金の沓形
(くつがた/靴を立てた
形に似ることからの名称)
が装飾されてたりして
まさに豪壮にして華麗。


平安朝時代最大の殿堂
とされました。

石段を上がって柱の
間を通ると百人も集まれ
そうな広場があり、

そのむこうには一段
高い床が張られた域がある
その域を守る朱塗りの柱
のあいだには、
あでやかな緑を取った
スダレがかかっており
天皇は、このスダレの
さらに奥に用意された

高い玉座に座って、
全面の広場に集まった
百官に対面した。


それが当時の『国会』の
姿です。

大極殿は平安朝当時の
建築・美術水準の粋を
集めた平安京最大の殿堂
なんです。

なんとかその偉容を
ありのままにイメージを
したいものですが

※興味ある人は
詳しく調べて下さい

現、京都御所ですが、
こちらとは異なります。

しかしながら
歴史上の巨大建造物には
何かと謎がつきまとう

平安京の中心を南北に
貫く朱雀大路には、
南の端から北の大内裏まで
羅城門、朱雀門、応天門
の城門が一列に並んで
ました。

いったい何を目的として
建てられたのか?

平安京が想定した外敵は
軍事氏族でもエミシでも
なかった。実は、
それ自体が外敵の
侵入を食い止めるために


設けられた巨大な
『塞(さえ)の神』で
あり『守宮神』だった
わけです。

その『外敵』とは、
空間を自在に駆ける
モノノケに
ほかならなかった。

つまり羅城門や朱雀門は
超自然的な魔物を撃退
するための「守宮神」で
あったからこそ

マジカルパワーを生み
出す巨大な楼閣をほど
こされていました。

おそらく、楼内の
大空間は人間世界から
超越した魔界を意味
したのでしょう。

※それには根拠があります

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あきゅろす。
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