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神の名鑑
釈迦如来

【釈迦如来】
(しゃかにょらい)
「釈迦」とは「釈迦牟尼」を省略したものである。

紀元前五六六年(異説あり)にインドとネパールの国境付近にあるルンビニー園で生まれたゴータマ・シッダッタが釈迦族の王子であり
出家をして修行ののちに
ブッダガヤーで悟りを開きブッダとなられたので、族名に尊称である「ムニ」をつけて「シャカムニ」と呼んだのである。


釈迦が何を悟ったかいうと、生きとし生けるものは、すべて生きんとする欲望をもち、それを満たしたいと願ってることを悟ったのです。

すべての生物は自己の存在に執着し他の犠牲のもとに生き延びてる。

そこで釈迦は、われわれが他人を害することなしに
生存するには、各自の特異性を認めつつも、すべての生命の同一存在(一如)を
追体験することだと考えたのでした。

この真理に目覚めた人が
ブッダ(覚者)といわれるのであり、ゆえにブッダは宇宙を創造した神でもなくて、人間を裁く審判神でもなくて超越的権力や力を備えた至上神でもありません。

釈迦は、現代の宗教が説くような「私を信じなければ不幸になる。地獄に落ちる」という類の言説は一切していなかった。

釈迦は当時のバラモンや沙門たちが共有していた文化の中で生きてきたため

確かに仏教は輪廻思想から自由でないが、釈迦にとってより重要だったのは

死後の世界よりもいま現在の人生の問題の実務的解決だった。

苦悩は執着によって起きるということを解明し、それらは正しい行ない(八正道)を実践することによってのみ解決に至る

という極めて常識的な教えを提示することだった。

従って人生問題の実際的解決は、釈迦に帰依しなくても実践可能であり

釈迦は超能力者でも霊能者でも、増して「最終解脱者」でもなく、勿論「神」のような絶対者でもなかったが

人々のカリスマ的人物を求める煩悶は何時の時代も変わりがなく、死後の釈迦は次第に神格化され

例えば釈迦の骨が崇拝の対象となったり、釈迦の言説とされる経典が信仰の対象となったりするなどしていった。

釈迦の像、入滅後400年間、釈迦の像は存在しなかった。
彫像のみならず絵画においても釈迦の姿をあえて描かず、法輪や菩提樹のような象徴的事物に置き換えられた。

崇拝の対象は専ら仏舎利または仏塔であった。

釈迦が入滅した当時のインドでは、バラモン教を始めとする宗教はどれも祭祀を中心に据えており、像を造って祀るという偶像崇拝の概念が存在せず、釈迦自身もそのひとりであった。

初期仏教もこの社会的背景の影響下にあり、またそもそも初期仏教は、偶像を作る以前に釈迦本人に信仰対象としての概念を要求しなかった。

仏像が作られるようになったのはヘレニズムの影響によるものである。

そのため初期の仏像は、意匠的にもギリシアの影響が大きい。

現在にも続く仏像の意匠が確立するのは、さらに後世の事である。


□釈迦如来の出自
法華経:その他
□原名:ゴータマ・ブッダ
□別称:釈迦:釈尊
特質:人類の大恩人

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あきゅろす。
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