略奪宣言 (欲しいって思ったの) 其の日、朝から幸村はぼんやりとしていた。 ───人も疎らな夕方の帰り道でも、其れは変わらなかった。 (綺麗な、人だったなぁ。) 燃える様な夕陽に照らされて、黒一色の服に、真っ赤な髪が艶を持って肩に流れていた。 廃屋に突然現れた、気紛れで狡猾な猫の様な人。 (今日も、居るだろうか。あのひとは。) 猫の為のカニカマを、鞄の上からぎゅう、と押さえて、頬を緩ませた。 (名前も聞かなかった。今日は、聞けるだろうか?) 幸村は心なしか早足になり、廃屋に着く頃には息が切れていた。 「おはぎ…!」 僅かな期待を込めて廃屋を覗くが、其処に人の姿は無かった。 (……ま、そうだろうな。見たところ社会人であった様だし…) はぁーと溜め息を吐いて、ふと、おはぎが名前を呼んでも出てこない事に気が付いた。 「…おはぎ…?」 不思議に思った幸村が足を一歩踏み出した瞬間、 「駄目っ───」 「!!」 幸村は、どん、と強く身体を押されて床に倒れ込んだ。 瞬間、パンッと音を立てて目の前に有った古い花瓶が割れた。 「な…何…っ?」 巻き上がった埃や利砂に噎せていると、「静かに!」という鋭い声が聞こえた。 顔を上げると、同じように身を屈めた赤毛の青年が居た。 「!あ、貴方は…」 「死にたくないでしょ。其処から動かないで。」 「…!」 昨日は気付かなかったが、彼は赤毛と同じ燃えるような赤い瞳をしていた。 其の瞳に射竦められ、幸村は息が詰まった。 「よし…目を閉じて。」 そう言うと、手に持っていた何かのビスを引き抜いて、外に放った。 「…っ!」 咄嗟に目を瞑って顔を背けると、強い光が目蓋に透けた。 「走って!」 「え?うわぁっ…!」 ぐぃっと手を引かれて、幸村は前のめりになりながら走り出した。 「な、な、何…!」 「止まらないで!あのバイクまで走って!」 黒塗りの大型二輪の前に着くと、フルフェイスのヘルメットとチョッキをを渡された。 「こ、此れは?」 「ごめん、説明は後。着て、被って、乗って。」 エンジンのかかる低重音が響くと、言われた通りに跨がる。 「飛ばすよ。後ろの手摺みたいなヤツに掴まって!」 返事を待たずに走り出したバイクに、幸村は慌てて言われた通りに掴まった。 「あ、あの!」 吹き付ける強い風に身を竦めながら声を上げると、「今は何も聞かないで、ね」とだけいって、前を向いて仕舞った。 (如何…なるんだろうか…) ぼんやりと何も考え付かない幸村は、突然後ろから響いた爆発音に身体を強張らせた。 (……なるようになれ!) * * * 「ふ、…他になかったから取り敢えず俺ん家ね。」 赤毛の男は、ふるふると頭を振ってヘルメットを外した。 「あの、」 「アンタは未だ脱がないで。俺の部屋まで待っててね。」 「はぁ…」 何がなんだか解らない幸村は、フルフェイスのヘルメットに、いやに重たいチョッキを着たままやたらセキュリティの高い建物に入った。 「入って」 冷たい鉄の扉を開けて、幸村を招き入れた。 「もう脱いで良いよ。あ、その辺適当に座って。何か温かいもの入れるから。」 幸村は言われるままに黒い革張りのソファーに浅く腰掛けた。 「えーと珈琲は…ホットミルクで良い?」 「は、はい。」 幸村は殺風景な部屋を見渡して、既に日没を迎えて居る事に気付く。 (あぁ、怒られて…しまうな。) 正確には怒られると言うよりはぐちぐちねちねちと嫌味を言われるのだが。 (仕方ないな…) 小さい溜め息を吐いていると、目の前に白いカップが置かれた。 「はい、どーぞ。」 「あ…ありがとうございます。」 幸村がカップを口につけると、赤毛の男は「さて」と話し始めた。 「このファイル、見てくれる?」 分厚いファイルを机の上に置かれ、幸村は戸惑いながらもファイルを開いた。 ページを捲っていくと、幸村は思わず目を見張った。 「───っ…な、何だ…此れは…」 そこには、自身の身長体重、身体的特徴や嗜好品、病歴から何から何までがびっしりとファイリングされていた。 幸村は凍り付いて赤毛の男を見た。 「アンタの事は全部調べ尽くされてる。何でか解る?」 幸村はぷるぷると首を横に振り、僅かに身を引いた。 「俺はアンタの遠い親戚の方からね、アンタの殺しを依頼されたの。その為の資料だよ、それ。」 「…ころし…?」 幸村は軽くパニックになり、ファイルを落として仕舞った。 (殺される?殺し?俺が?) 幸村の中でぐるぐると考えが巡る。 悪い冗談、と笑い飛ばすには手が込みすぎているからだ。 「落ち着いて…俺はアンタを殺すつもりはない。」 赤毛の男は幸村を宥めるように、おどけて両手を上げた。 「…成らば、何故…?」 乾いた声をやっと絞り出すと、赤毛の男は少し困った様に笑った。 「解んない。」 「は…?」 幸村は流石に困惑した。 理由もなく他人を助けられるような人間はそういない。 幸村は、其れを重々承知している。 「何でか解んないけど、アンタに死んでほしく無くなった。何か頭ン中で引っ掛かって、───助けたいと…思った。」 「はぁ…」 つまり此の赤毛の男は俺を殺さないのか、と思い直し、幾らか緊張を解いた。 「取り敢えず、門限厳しいんでしょ?出来れば信玄公に直接…そうだな、友達の家に何日か泊まるって言って。アンタは今帰ったら危ないからね。さっきも結構ヤバかったし。」 そう言われて、幸村はハッ、と花瓶がいとも簡単に消し飛んだ、先程の光景が蘇った。 「───アレは…銃、ですか?」 ケータイを出しかけていた手を止め、幸村は赤毛の男を見た。 「あぁ、うん。サイレンサー(音消し)ついてるやつ。まぁ、こっちもプロだから撃つタイミングは解るけど。」 「ほほぅ…」 殺されかけた訳だが、幸村は素直に感心した。 「じゃ、俺夕飯の仕度するから。その間に電話済ませちゃいな。」 「は、はい───あの、」 「何?」 「貴方の、名は…」 赤毛の男は少し考える素振りを見せて、小さく唸った。 「…?」 「んー…───俺の名前…ナイショかな」 冗談めかして唇に人差し指を触れさせている姿は、迚も様になっていた。 「でも、ま、呼びにくいだろうから猿飛って呼んで。」 「猿飛、さん。」 てっきり外国人だと思っていた幸村は、無意識に鮮やかな赤毛を見ていた。 「猿飛で良いよ。因みに地毛ね。」 「!」 驚く幸村を他所に、佐助はさっさとキッチンに向かった。 (俺は…そんなに分かりやすいのだろうか) 幸村は少し顔を顰めながら、ケータイに登録された信玄の番号を見つめた。 「さ…猿飛」 「なぁに?」 「その…御館様に本当の事を云うのはまずいのですか?」 「……うん、あまり得策ではない、かな。依頼者が内部の者だし、可能性は低いにしろ、…信玄公自体も関わって居ないとも言えない。」 「御館様が…?」 敬愛する信玄が関わって居ると言われたら、流石に幸村は顔を顰めた。 「ま、可能性ね。依頼者なんてのは何時も一癖も二癖もあるもんだからね。其れに、盗聴されてるかもしれないし。」 佐助は苦笑を浮かべながら、冷蔵庫を漁り出した。 (……) 納得いかない、と言った表情を浮かべながらも、幸村は呼び出しボタンを押した。 しかし、何時もの通り其の電話は留守電に繋がれ、暫くは帰らない旨を簡潔に説明して直ぐに電話を切った。 「終わった?」 「ええ、はい。」 幸村が短く応えると、佐助の手もとからトントンと食材を切る音が聞こえた。 「パスタ、食べれる?嫌いなモノのリストに描いてなかったと思うんだけど。」 「はい、全然」 そんなものまで、と思いながらも幸村は頷いた。 「…ねぇ…敬語、ってか丁寧語止めない?後、幸村って呼んで良い?」 「え…?」 幸村は少し戸惑いながらも、大きく頷いた。 「ん、良かった。」 佐助は鍋に湯を沸騰させて、パスタを茹で始めた。 「ま、諸々でちょっと待ってねー。」 淡い色のついた丸い器を二枚ずつ並べながら、佐助は幸村に視線を向けた。 「うん!」 幸村は久しぶりの手作り料理に無意識に頬を緩めた。 (レトルトは妙に味の濃かったり薄かったり…極端なものばかりだったからなぁ) 「あー、そうだ。制服、そこにハンガー有るでしょ?ブレザー掛けときなよ。」 「む、うむ」 「あと、着替えも一緒に置いてあるからテキトーに使って良いよ。」 ま、親の居ない友達の家だと思ってよ、と追加で何かを作りながら佐助は笑った。 (…猿飛は面倒見が良いのだなぁ。俺が気を遣わない様にしてくれる。) 武田に引き取られてからの、神経を削るような毎日に比べれば、佐助の暖かい対応は嬉しい限りだった。 (目に見える遠慮はしないようにしよう…其れが礼儀だ。) キッチリ締められたネクタイを緩め、幸村はよし、と寛ぐために気合いを入れた。 寛ぐために気合いを入れるのは変な気もするが、真面目な性格なのだ。 気合いを入れた幸村が戻ると、既に完成した料理が並べられていた。 「終わった?…適当で即席だから、あんまり期待しないでね」 「そ、即席?そうは見えないな…」 並べられた料理には確りとサラダまで付いており、短時間で此れだけ作るのは凄い、と素直な感想を述べた。 「本当?有り難う、嬉しいよ。」 へへ、と照れた様に笑った佐助に、幸村は思わず (可愛い、) と思って仕舞った。 「ま、取り敢えず食べてよ。」 「ん!」 幸村はすすめられるままに完食した。 佐助はにこにこと笑って、作りがいがあるよ、と言った。 「そうだ。明日さ、色々買い出しに行ってくるんだけど、幸村を独りにするのは危ないから…信頼できるヤツを呼ぶね。」 「…、む、うむ」 幸村はぐっと身を縮めた。 佐助には何故かあっさりなついたが、元来そう簡単に気を許す質では無いのだ。 更なる介入者に幸村が警戒するのも無理はない。 「大ー丈夫。なるべく早く帰って来るから、さ。」 宥める様に髪をくしゃくしゃと撫でられて、幸村はぐぅ、と唸った。 納得は出来ていないが、恐らく其れが最善策なのだということは理解出来ていたからだ。 (仕方ない、事…か。) 一抹の不満と不安を抱えて、その日は終わりを迎えた。 next... [戻る] |