明日死ぬ君へ‖サカナになろう*
「わたし、しぬの」
彼女は唐突にそう言って、私の肩口に顔を埋めた。
「笑えねーよ」
私から出た言葉は冷たいものだったが、戸惑いを隠すための言葉だった。
「わたし、しぬの」
彼女はもう一度同じ言葉を繰り返した。
「何で、死ぬの」
相変わらず彼女は私の肩口にいる。
彼女の髪が私の頬をかすめて、くすぐったい。
「明日、しぬの。海に潜って、サカナになるの。」
「随分急だね。私、白い花を用意していないよ。」
「いらない。きっと、わたし、目を閉じてしまっているから。」
彼女の声は震えて、私の鼓膜を不安げにゆすぶった。
嗚呼泣いているんだ、と私はどこか霞みがかった頭で考えていた。
「何で泣くの。…」
私は彼女の背中に手を回そうと思ったが、止めた。
「わたし、しにたくない」
彼女は、思ったよりもハッキリした声でそういった。
「死にたくない?じゃあ、死ななきゃいい。」
私の言葉に、彼女は涙をぐりぐりと押し付けながら声を絞り出した。
「しにたくないよ、しにたくない。」
嗚呼、そうか。
生きられない、のか。
死にたくはないが、これ以上変えられない現実。
生きるよりも、死ぬことを選ぶのは簡単なように見えてそうじゃない。
死ぬ気で、やればいい。逃げて、しまえばいい。
簡単に言うが、戸籍や住所、其の後の生活費や食費は如何なる?
逃げたやつに、誰が手を差し伸べてくれる?
結局、逃げても、死んでも、結末は孤独。
「…泣いても、現実はかわらんよ。」
判っているというように彼女は小さく頷いた。
勿論、生きていることは素晴らしいが、結局人は死ぬのだ。怯えながら死ぬか、受け入れて死ぬか形は様々だが。
彼女は、私には分からないところでゆっくり蝕まれて、心が内側から腐敗して、もう、だめに成ってしまったのだろう。
「しにたくないよう」
声が、震えている。
私に何が出来るってんだ。
(若し、神になれたら、きっと違う現実を彼女に見せてあげられたのに。)
「サカナの餌になって、わたし、海の底でゆっくり骨になるわ。」
脱力した彼女は、完全に私に凭れ掛って目を閉じていた。
「冬の、うみ。静かで好きよ。わたし。」
「あぁ。私も好きだ。灰色で、這うような波が心地いい。」
ふふ、と彼女が柔らかく笑った。
明日、君は死ぬ。
灰色の細波の音が、耳の奥で響いた。
end
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