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愚者の勝利‖私は戦う


その日は空気が冷たくて、風が秋を拐っていった。

「寒いな。」

「寒いね。」

私は余りの寒さに肩を竦めた。

君も乱れた前髪を気にしながら、少し身を縮ませた。

「───ねぇ」

「ん?」

淋しげに鳴る風に、君は言葉を乗せてきた。


「───如何して、君は生きているの?」


唐突に投げられた質問に、私は少し聞こえないフリでもしてやろうかと思ったが、思い切り反応してしまったので茜色に染まり始めた空に吐き捨てる様に言った。

「私は死にたいから生きてんだよ。」

コツン、コツンとローファーの踵が鳴る。

私は此の音が好きだった。

「なにそれ、───矛盾してない?元々人間なんて、死ぬために生きてんじゃない。」

だから、サッサッと終わらせちゃおーよ、と君は小さく呟いた。

「ヤだね。」

私の言葉は予想外だったのか、君の跫は少し乱れた。

「私は、戦ってんだよ。」

無造作にポケットに突っ込んでた手を握り、冷たい空気を吸い込んだ。

「…私は世界が大嫌いだ。だから、こんな世界に殺されない。絶対に。」

私は無意識にギリギリと左腕を強く掴んでいた。

「じゃあ、死にたくないの?」

消え入りそうな君の声に、違う、と私は左腕を解放して呟いた。

「死にたいよ。毎日、毎日死にたいよ。機械みたいに動いて、同じ事をして、何が人間だ。感情が鈍磨してく、其れでも私は人間なんだ。」

えぇ人間ね、と吐き捨てる様に君は言った。

「人間なんて、くそくらえ、よ。」

ああそうだ。他人なんて概念が無ければ、君が傷付く事も無かった。

「君が逃げたいのは人間、でも私が逃げたいのは、此の世界からだ。」

「世界は君を殺したりしない。」

「君とは概念が違うんだよ。」

私にとっての世界は、人間だ。

私の知る世界(人間)は酷く荒んで擦りきれて、使い古されたボロ布(きれ)のように汚れて、汚れて汚れて、危ういバランスの中なんとか崩壊を免れていた。

「ストレスとか、過労とかノイローゼとか…それは殺人なんだって、嘗ての文豪が言ってたんだ。」

君からの応答はなく、私は少し振り返って溜め息を吐いた。

「つまり、せか…人間による外的な圧迫に負けて死ぬのは、自分で死を選んだんじゃなく、選ばされたってこと。」

「じゃあ自殺の原因って何。外的な要因が大きいんじゃないの?後は、…ラリったとか?」

うーん、と言った君に、私は少し噛み砕いた説明をしようと少し考えを巡らせた。

「あー…、本当の自殺は、幸せで、もう何もすることが無くなった人間がするもんなんだって。」

強い、冷たい風が私達の間を吹き抜けた。

「───だから私は、今は死なない。でも死ぬために生きてる。今は…泥食ってでも生きるよ。」

握り締めていた私の指先はもう冷たく、感覚がない。

「…君、そう云うの嫌いだと思ってた。潔い生き方が好きだと思ってた。」

ふっ、と私は軽く噴き出した。

潔い?生まれて母親の生き血で生き延びた時点で浅ましいんだよ。

「可笑しいかしら?」

少し不機嫌そうな君の声に、私は少し肩を竦めた。

「でも、勿論如何しても駄目な時はあるよ。そう云う時は───死を想う。」

メメントモリメメントモリ、忌々しい、左腕。負の感情を全て込めた、左腕。

痛みで生きてる事を確認する。

反面、此の痛みの中死ぬのだろうかと、想像する。

「此の大嫌いな世界に殺されるのは癪だ。だから、私が世界に抗う必要が無くなったら、本当の自殺をする。世界に、ざまァみろって言ってやる。」

言ってやるんだ、と私は繰り返し呟いた。

「…ひねくれもの。」

呆れた様に君は言った。

きっと天を仰いで居るのだろう、しかし先を歩く私に其の表情は見えない。

「ああそうだよ。ひねくれてるよ。だから生きてこれたんだ。」

君みたいに、真っ直ぐじゃないんだよ、私は。

「生きろとは言わない。だが、私は負けず嫌いなんだよ。馬鹿だって解ってるけどさ。」

私は世界に勝ってやる。

愚か者だろうと、私は戦い続ける。

「君が苦しいと思うなら殺されろ。私は止めない。だけど私は生きるよ。…未だ、駄目だから。」

今は未だ、私の隣に絶望が居座って何時でも私を引き摺り込もうと目論んでいるのだ。

だから、戦う。

「あぁ、そうだね。君の理論だと君は未だ、戦わなきゃいけない世界があるんでしょう。」

「そうだよ。未だ、ね。」

あはは、と笑った声は、西に沈んだ太陽と共に消えていった。



愚者の勝利は未だ遠い。



end


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