正しい息‖多分此れが普通の反応 微グロ?
ごとん、と鈍い音を立てて、彼の身体が倒れた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ…」
殺した。
殺して仕舞った。
後ろから紐をかけ、強く強く縛り上げた。
力が入りやすい様に、紐の端を確りと手に巻き付け、確実に気道も動脈も押さえた。
彼の顔は鬱血して、赤紫に染まっていた。
時間も忘れて絞め続けていた私の手にも、クッキリと紐のあとが付いていて、酷く痛んだ。
(…如何しよう)
茫然と立ち尽くしていたが、急に恐怖感が襲ってきた。
(此の人、死んでるわよ、ね。死んだフリとかじゃないわよね…)
過度の興奮で震えている指先で肩をつつく。
(解んない…)
突然飛び起きて反撃されたらひとたまりもない。
刃物で喉元を裂いて仕舞おうかと思ったが、眼を離すのも血が飛び散るのも嫌だったので止めた。
(……血!?)
私は弾かれた様に急いで彼の身体を反転させた。
案の定、だらりとだらしなく口からはみ出た舌から、数滴の唾液が滴り落ちていた。
(しまった───)
慌て拭き取ろうとしたが、
「あ、」
はたと手を止めた。
(指紋が…!)
私は考えを巡らせて、念のためもう一度首を締めてから、彼の身体を湯船に浸けた。
(ふやけたら如何しようもない、早く、済ませないと)
頭から足先まで念入りに洗うと、彼の身体をバスタオルにくるんで、湯船の栓を抜いた。
次に、氷を敷き詰めて、更に保冷剤も放り込んだ。
其処に転がす様にして彼の身体を横たえた。
床に垂れた唾液も拭き取り、ベッドに倒れ込んだ。
(明日の仕事は何時も通り出て、…後は全て其れからだ)
私は睡眠導入剤を数錠飲み下し、眠る事にした。
目が醒めても「全て夢です彼は生きてます」なんて事にはならなくて。
湯船に転がる彼の身体だけが私に現実を突き付けた。
(ごめんなさい、って言っても許してくれないわよね)
私はドアを閉めて、何時もと変わらない様に出勤した。
日々変わる事なんて微々たる事で、
両手の裂傷と共に安息な日常を棄てて仕舞った私は「特別」なのか只の「愚か者」なのか。
どっちにしろ法に触れる事をして仕舞った事には変わりない。
そんな事を考えながらぼんやりして居る内に1日は終わる。
さっさと退社して、ホームセンターに寄った。
微生物の入った腐葉土を二袋と、シャベルとガスコンロ用のガスと、ノコギリと軍手を購入して、車に積み込んだ。
早々に自宅へ戻ったが、運び出すにも深夜が好ましい。
私はノロノロとノコギリだけを持ち、自室に戻った。
(ガスコンロ、有ったよね…)
滅多に使わない戸棚に押し込んでいたガスコンロを出し、私は溜め息を吐いた。
(彼が、鍋しようって買って来てくれたんだよなぁ)
赤塗りのコンロをカチカチと動かして、火がつくことを確認する。
(早く…しないと…)
重い足を引き摺って、私は湯船に入れられている彼の前に立った。
唇は紫色に変色し、うっすらと紫斑が現れていた。
(早く…)
硬直の始まった彼の身体を抱き起こした。
(重い…!)
身体を密着させて、やっとの事で持ち上げる事ができた。
(あ、こんなに…大きかったんだっけ…)
彼の身体を改めて抱き上げ、目の奥が熱くなった。
(私より、頭一つ大きくて、不器用で、馬鹿で、手が大きくて、)
彼の身体を床に降ろし、私は、初めて泣いた。
声を上げて、泣いた。
冷たい死体にすがり付いて、崩れ落ちる様に泣いた。
一頻り泣いた後に、腕や脚に触れた。
(戻れない、戻れないんだ)
私は少し冷静になって、ガスコンロで包丁を炙った。
シャワーの水を出し、其処から彼の身体を切り出した。
殆んど無心に、ガタガタと震える手が徐々に現実を受け入れ始めて、機械的に動き出した。
肉を包丁で、骨をノコギリで切り分けていく。
脂が引っ掛かっても、炙って何度も何度も何度も───
手足を取り外し、二重にしたポリ袋に詰め込んだ。
クラクラする頭を抑えながら、達磨の様になった彼の身体をぼんやりと見詰めた。
(もう、『此れ』は『モノ』だ)
幾分軽くなった彼の身体を布の上に置いて、ズルズルと引き摺った。
(、重い)
ぐにゃりとしたソレ、汚く捲れ上がった皮膚は血液が抜けて黄色く変色していた。
「っ、う…」
胃袋が捩れた様に動いて、私は胃の内容物を吐き出した。
朝から何も食べて居なかった私は、ひたすら胃酸を吐き出し続けた。
酢えた臭いと、吐き出した為に起きた疲労感。
(なんでよ…)
私は空っぽの胃にアルコールを流し込んで耐えた。
ふらふらと夢遊病患者の様に彼の身体をタオルで包んだ。
そして再び彼の身体をポリ袋に詰めて、抱える様に持ち上げた。
腕や胸にあたる彼の骨が酷くリアルで、アルコールさえも戻しかけたが、なんとか耐えた。
彼の身体を車に詰め込むと、私はもう一度部屋に戻って買いだめてあった生野菜を全て持ち出した。
其れを全て積み込むと私は車を走らせた。
あまり入った事の無い道を何本か通り、やがてコンクリートで舗装された道がが消えたところで私はスピードを緩めた。
しかし其れでも止まらずに車を奥に進めた。
じくじくと土が泥に変わり始め、木が密集しだしたところで私は漸く車を止めた。
そして車に積んであった軍手とスコップで無心で穴を掘った。
泥に近い土は柔らかく、湿った匂いがした。
滅茶苦茶にスコップを振り回すように掘り進めて、人が二人入れる程の穴が出来上がった。
(はやく、はやく)
私は腐葉土を穴の中に敷き、次に野菜を放り込んだ。
そしてポリ袋を引き裂いて、マネキンの様に黄色い色になった彼の手足を放り込んだ。
バラバラに手足が散って、本当に人形の様に見えた。
再び野菜と腐葉土を放り込み、私は息を吐いた。
そして、唇を噛み締めて私は彼の身体の入ったポリ袋を裂いた。
「っ、ぅ…」
泥で汚れた私の手で白いバスタオルが変色していく。
(硬い、柔らかい)
タオルの端を持って、彼の身体に触れずに穴へと落とした。
「ごめんね」
そして再び野菜と腐葉土を放り込んで、私は穴を埋めた。
(これで、腐敗スピードは上がる、はず)
脳裏にちらりと「完全犯罪」という言葉が浮かんだが、私は直ぐに打ち消した。
(そんなものは容易に出来る事じゃない。暫くの時間稼ぎ。……)
其れでも、もう後悔は微塵もなかった。
(愛してる、愛してた。堪らなく、好きだった。)
迚もじゃないけど、綺麗なんて言えない愛の形。
(其れでも、こうするしかなかったの)
私は私の居た証を極力消して、静かに車を走らせた。
帰路につく車内で、私は彼の感触を思いだして何度か嘔吐した。
其れでも私は振り返る事はしなかった。
(さよなら、わたしの全てでした)
end
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