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潮騒‖心中未遂の美学*



其の日、元々海に来る予定は無かった

だから彼女はハイヒールだった

浜辺に不釣り合いな其れは何だか酷く気取って居る様に見えて

脱いで仕舞えよ、と僕は言った

砂が付くわ、と彼女が応えた

「踵が沈んで砂が入ってるよ」

「うん。でも、良いの。」

気に入ってるから、と小さく付け足した。

「そんなに寄ると、水かかるぜ?」

僕はそう言いうが、ふわりとスカートを翻し、波打ち際を歩いた。

僕はもどかしく靴を脱ぎ、裾を持ち、海に素足を浸した。

「気持ち良い、」

ざぁざぁと止めどなく打ち寄せる波に、脛まで濡れた。

「ホント?」

彼女は靴(サンダルなのだが)を履いたまま、海に足を浸した。

「波、結構強いのね」

「うん、だいぶ強いね」


ざぁざぁ

ざぁざぁ

ざぁざぁ


「潮騒」

僕が呟いた言葉は波の音に掻き消されて仕舞って居るだろうと思ったが、

「三島由紀夫?」

と、水を蹴り上げた彼女は小さく笑った。

「よく知ってるね」

余り読書はしない彼女から其の作家の名前が出てきた事に驚いた。

「あなたが読んでたんじゃない」

「そうだっけ?」

「そうよ」

忘れっぽいのね、と彼女は可愛らしく唇を尖らせた。

「君は読んだ?」

「いいえ。何だか眠くなって仕舞うのよ。」

「あははっ、其れ、特技に出来るんじゃない?」

「もう、嫌味ね!」

彼女は、ざ、と足先で波を払った。

「わっ、」

服が水に跳ね、水玉模様のシミを作った。

「うぁ、ちょっとー…っ」

「っあはは」

僕の仕返しを危惧してか、彼女は踵を返して走り出した。

「こンの…」

僕は追い掛けながら精一杯手を伸ばした。

「あ!」

僕が触れる前に、彼女は波に足を取られて見事に転んだ。

「あーあ」

けらけらと僕が笑うと、彼女は僕の手を掴んで海に引き摺り込んだ。

「嘘ッ」

僕は案の定膝をついて、彼女と同じ目線になった。

「ひでぇ…」

「笑うからよ!」

ぺたりと身体に張り付いた服を、パタパタと扇ぎながら彼女は笑った。

「あーぁ…もー如何すんだよぅ」

僕は立ち上がる事も出来ずに、滲み行く服を見つめた。

「良いじゃない、」

彼女は僕の首に腕を絡めた。

「…冷たいよ」

「良いでしょう、」

彼女はゆっくりと僕の身体に体重をかけてきた。

「ねぇ、如何したいのさ」

「さぁ」

僕の身体は徐々に傾げていき、ざぶん、と完全に水の中に沈められた。

(息が、出来ないじゃないか)

本能的な恐怖に思わず身体を強張らせるが、彼女も一緒に沈んでいるのだと思うと、直ぐに其の恐怖は消えた。

(大丈夫だよ、)

僕は彼女の背中に手を回した。

(別に、死んだって、いいんだから)

僕が諦めた事を覚ったのか、彼女は身体を放した。

「っは……」

僕の身体は水面上に晒され、少量の海水を吐き出した。

「…心中未遂、してみたかったの」

「未遂で、良かったの?」

げほ、と塩辛い水を吐き出して、僕は笑った。

「未遂で良いの。…美学でしょう?」

彼女はそう言って屈託なく笑った。

「ダザイズムってやつ?片方死ななきゃ駄目じゃん。」

くっく、と笑うと彼女は肩を竦めた。

「そんな言葉知らないわ。でも片方なんて嫌よ。一緒じゃなきゃ、嫌よ。」

「そうだね。…立てる?」

「えぇ。」

彼女は立ち上がり、スカートの裾を絞った。

「あなたこそ、立てる?」

「勿論」

僕も立ち上がり、スカートの裾を絞った。

「これ、気に入ってたんだぜ?」

ぐっしょりと水を含んだ僕のスカートは、酷く重くなっていた。

「洗えば良いじゃない」

「ブラも透けてる」

「私だって同じよ」

「加害者と被害者だよ」

「怒った?」

「怒ってない」

じゃあ責めないで、と彼女は笑った。

「責めてなんていないよ、私は只、君の美学に殉職した私のスカートを憐れんだだけさ」

「何時も理屈っぽい女(ひと)ね。」

髪を絞りながら、彼女は顔をしかめた。

「誉め言葉だね」

僕は髪を掻き上げて、ニヤリと口角を上げた。

そして、手のひらに鼻を近付けて溜め息を吐いた。

「磯臭いなぁ…」

「仕方ないじゃない。…又来ましょうね」

「海に?」

「そう、海に」


心中に失敗したから?とは僕は聞かなかった。

其れも又、僕なりの美学なんだろう。

斯くして美学の上に成り立つ心中未遂に、僕は殉じようじゃないか。



「次は未遂かなぁ」

「さぁ、如何かしら」





僕はきっと、彼女に殺される。

(そして僕は其れを享受する)



end


あきゅろす。
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