想ふことさへ‖貴方が喜ぶなら何でもします 佐幸
想ふことさへ
「佐助ーっ、此処は綺麗だなっ!」
「はいはいー、っと」
甲斐の城下で一等高く、美しい木の上。
「人があんなに小さいぞ!…」
きらきらと眼を輝かせながら身を乗り出す。
「旦那、あんまり動くと落ちるからね。」
「うむっ」
鳶の高い鳴き声を近くに聞き、此処が空に近い事を感じる。
「空気が冷たい。…空気も綺麗なのだな。」
幸村は瞳を細めて、肺に空気を取り込む。
少し身体を逸らせば、長い鉢巻が風に揺れた。
「全く…城主にもなって木登りなんて、旦那くらいですよ?」
佐助は苦笑を隠さずに木の葉のついた幸村の着物の裾を払った。
「佐助がするするとよく上るから、気持ち良さそうに思えたのだ。」
幸村は丸い眼をきらきらさせながら其れは間違いではなかった、と付け足した。
「ま、俺様のとっておきの場所だからねぇ。気に入った?」
「うむっ!佐助のとっておきは、本当に凄いな!」
大袈裟に頷いた幸村に佐助は照れたように鼻を掻いた。
「そぉ?そりゃ…有り難き幸せー、なんてね。」
そう言って、不安定な足場の中佐助は器用に立ち上がり、梢に移動した。
「さ、佐助?」
木の上に取り残される恐怖心と、佐助が危ないという危機感を感じたのか、幸村は少し上擦った声を上げた。
「大丈夫だって。ちょっと風が湿ってきたから、確かめようと思っ」
そうかと、気を抜いた幸村の身体が───
ゆっくりと傾げた。
「旦那ッ!!!」
反射的に佐助は幸村を追って飛び降りた。
そして片手で木を掴み、もう一方の手で幸村の両脇に手を入れ、間一髪、身体を支えた。
しかし、二人分の体重が佐助の肩と手首に一気にかかった。
「───っ」
ミシ、と厭な音が頭の中で響いた。
「っは……」
激痛を堪え、何とか幸村を落とすまいと力を込めた。
「さ…佐助ぇ…」
俺は大丈夫だと、幸村は震える声で何とか伝える。
「無理しないのー。ねっ、ほら…上がれる?」
肩と手首に激痛から、額に油汗が滲むのが判る。
其れでも佐助は笑った。
「の、ぼれる」
幸村は震えながら枝を掴み、其の後に佐助を引き上げた。
「す、すまぬ…っ、痛むか…?」
「大丈夫だよー、ちょっと抜けただけだと思う」
だらりと成った腕を支え、笑ってみせる。
「ちょっと応急処置っと」
佐助は手早く手首に添え木をし、鴉に伝令を伝える。
「直ぐに才蔵が来ると思うから…、ちょっと待っててね」
よしよしと頭を撫でて安心させるように、にっこりと笑ってみせる。
何時もなら子ども扱いするなとむくれる幸村だが、じっと肩を見詰めて動かない。
「い、痛むか…?」
「大丈夫。平気だよ。」
何度も繰り返した嘘。
其れでも幸村の前では、綻びてしまう。
「嘘だ…」
「旦那、」
「痛まぬ筈がない。腕、吊った方が良いだろう?…此れ、使えるか?」
しゅ、と手早く鉢巻を取り、二重にして腕を吊る。
「旦那…」
「安静にするのだぞ?」
「…はい、了解っと。もー、折角格好つけけようと思ったのに、旦那ってば」
「ん?…す、すまぬ」
「良いって。旦那は優しいからね。あ、才蔵来たから、旦那降ろしてもらいな。」
「う、うむ…佐助は」
「俺様は大丈夫だよ。後から直ぐ行くから。」
「む……」
不満なのか心配なのか、微妙な表情をして、幸村は才蔵の鳥に掴まって行った。
才蔵は振り向き際に、唇の動きだけで「馬鹿」と言った。
「───…ばか、ねぇ」
筋は切れていないだろうが、肩は脱臼は確実にしている。
脱臼を免れた手首は引き千切れるように痛む。
其れでも───
ふー、と息を付いて少し眼を閉じる。
吹き抜ける青い葉の匂いに佐助は首を反らした。
「……ん」
不器用に結ばれた鉢巻の結び目が項に当たる。
下手糞だなぁと、佐助は小さく笑った。
堅く結んであるようで、片手で簡単に解けた。
手に取ると、ゆるりと風に靡く───赤い鉢巻。
嗚呼守れた。
響く鳶の高い聲。
忍は、何も欲してはいけない。
只、唯一願う。
彼の暖かさを護りぬくことだけを。
梢をそよぐ冷たい風の中、己の劣情を隠すかのようにして、佐助は靡く赤い鉢巻にそっと───
唇を寄せた。
end
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