錯覚‖よい人であると言うこと 豊臣時代家三
「触るな、狸め」
ぱしん、と払われた掌の痛みより、肚の底を射抜くような鋭い其の眼が酷く印象的だった。
錯覚
「狸?ワシを例えるには随分可愛い動物だなぁ。」
たった数秒で家康は笑みを取り戻し、背中に流れた冷や汗を隠した。
周りには誰も居ない。一先ずホッとした。
「だまくらかしの狸。私は欺く者が嫌いだ。」
スタスタと先を歩き始めた三成を、慌てて追った。
「ワシは誰も欺いてなどいないぞ?」
「…貴様がそう思うなら其の肚を裂いて証明してやろうか。」
家康は刀の柄に手を掛けた三成を慌てて止める。
眼が据わっていた、本気だ。
「そんな即物的な!ええと…」
参ったな、と家康は頭を掻いた。
───今までこんな肚迄踏み込んで来た者は居ないからだ。
(狸、か。確かに的確な表現かも知れん。)
人質大名等と揶揄されながらも耐えて耐えて耐えて───小姓から成り上がった者とは相容れぬのも仕方無いのだろうか。
(しかしまぁ、諸刃の剣のような奴だな。常に何かに苛立っている様にも思える。)
「何だ貴様、言いかけて止めるな!」
しまった、考え込んでしまっていたか、と慌てて言葉を続けた。
「如何して、三成はそんな、ワシの事で苛立つんだ?」
三成は一瞬きょとんとしてから、「不快だからだ」と言った。
「ふ…不快?」
一体何かしてしまったのだろうか、否、思い当たらない。
家康がうーんと唸ると、三成は意外な答えを返した。
「ああ、お前が正直に生きられぬのが一番…一番不快だ。」
「え?」
吐き捨てるようにそう言って、三成は再び歩き出した。
「まっ…待ってくれ!三成!…如何して、そんなことを」
大して面識もない、寧ろ豊臣の中でも力を二分するほどの隊を率いて居るのだから、もう少し敵意を持たれても良い筈だ。
「…如何してだと?秀吉様の為に死力を尽くす者は皆其れに値する。」
もう良いだろうと言いたげに三成は振り向きもせずにそう言った。
「ひ…秀吉、秀吉かぁ…」
少しでも期待をした自分を責めたかった。
そうだ、三成という男はそういう男だった。
「様を付けろ。惨滅するぞ。」
「三成〜…」
「情けない顔をするな。貴様其れでも豊臣の兵か。」
「う…うぅ」
手酷い言動は相変わらずだが、眉間に深く刻まれていた皺は幾分和らいでいた。
(お…)
「おい、呆けるな。半兵衛様直々の御呼び出しに遅参するつもりか。」
「あ…あぁ、そうだな。すまない。」
細い身体をスッと伸ばし、僅かな音を立てて歩く三成の背を追いながら家康は少し頬を緩ませた。
(今は、其れでも良いか)
end
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